ずっと昔の話

♪以前3人が所属していた アカペラグループThat's Doo-Wop Companyの話♪です。

[1] That's Doo-Wop Company 以前 (1986年3月頃〜1987年3月)
ナンシーIWASAKIとハニーナイツ

一連のアカペラ活動のいっとう最初がこれ。結成は1986年3〜4月頃。 リーダー・“きたむー”他男女総勢7名で活動開始。毎週日曜の練習は バナナホールのスタジオ・中之島公会堂・大阪府立中央勤労青少年ホームなどで。 「練習内容は・・・まずは腹筋!から(笑)。」

「1987年2月21日、バーボーンハウス (ライブハウス)に出演中のO上R利子氏に 来たるライブのお知らせをした大胆不敵なヤツら とは私たちのことです。ハイッ!」 と、メンバー“ぼんちゃん”の談。

「最初で最後のライブ=プランタンなんばのホール。 ナント客席にはO上さんの顔が!?しかし…?  3月で解散・活動休止。(メンバー就職決定、仕事多忙のため)」

当時の練習曲:
「タツロー オンストTより So much in love 、Close your eyes 、Alone 他
をやってたような気が…。but 形にはなりませんでした。(^_^;)
あとはー 各自の好きな曲(アカペラに限らず)のコーラスしてたかな、、、」

[2] That's Doo-Wop Company 第1期 (1987年4月頃〜1988年3月)

1987年、4〜7月か? 一部メンバーが入れ替わって活動再開。 練習場所は大阪府立阿倍野勤労青少年ホーム。

別の音楽サークルの人が時々顔出してくれてアドバイスを受けることも。 ご意見番・アレンジャーとしてもお世話になる。

同年秋頃、働く青少年の音楽祭(大阪府の大会)で大阪府知事賞(2位)受賞。 「…そんなこともありましたね〜。」 この大会はオリジナル曲での出場が条件で、“Cute”って曲でした。
 

当時の練習曲:
Cute、やはりオンストより、Remember me babyなど。

** ここまでの情報提供は“ぼんちゃん”でした。どうもありがとう!! **

[3] That's Doo-Wop Company 第2期 (1988年2月〜1989年3月)

翌1988年2〜3月頃、ある雑誌でメンバー募集を呼びかけ、 そこに集まった人たち全員がメンバーになって総勢10〜15人のサークルに。 (新人たちの中に“いっしゃん”や“じゅうたん”の顔も)

3月。入っていきなり、1つ目のイベント「ホーム祭り」で2曲披露してしまう。 など、あべのホームではとにかく楽しくて、濃厚な1年を過ごしました。

毎週日曜午後1時から6時まで。みんなが集まり出してから、ご飯やお菓子を 食べながらの雑談タイム。 音楽を真剣にやるというよりは、わいわいがやがやの時間のほうが 長かった気が・・・。
練習後は、近くの居酒屋さんに、ほんとによく通ってました。 そこでは結構音楽の話もしてたよね〜〜。 よく店で歌って怒られました。時々は拍手も頂いたけども。

5月には、アマチュアミュージカル劇団の旗揚げ公演で バーのミュージシャンの役で2曲披露。

秋には、我々をどうやって知ったのか、 イベントに誘われ、心斎橋ミューズホールに出演。
(衣装も自分たちで縫った、うん。)

そのほか、ホームで催される行事では必ず何曲か歌ってました。

1989年3月いっぱいで、あべのホーム廃館。
4月より大阪市立天王寺勤労青少年ホームに練習場所を移す。

当時の練習曲&レパートリー:
Cute、Sixty minutes man、Alone、It's all right、In the still of the night、
Remember me baby、Breaking up is hard to do、Twist and shout、
Somebody bad stole de wedding bell、
Merry christmas go around、一連のクリスマスソング、
かりそめ花嫁ブギ、For me"時を超えて" (オリジナル)

[4] That's Doo-Wop Company 第3期 (1989年4月〜1990年秋頃)

この頃のメンバーは、6〜7人から10人くらい(流動的〜〜)。 相変わらず毎週日曜の練習は1日たりとも休まず続く。

ホームのイベントでは毎回何曲か披露、 しかしながら外のイベントはなかなかなく・・・。 あべのホーム時代の他のサークル仲間からの出演依頼にお応えしてました。

1989年のイベント初出演は元メンバーの結婚式で、大きな教会にてアカペラ。 聖歌隊のような白いスモッグ(?)着てました。

秋頃、働く青少年の音楽祭に3曲も応募。佳作を頂く。

1990年、花の万博“ユニオンスクエア・ガーデン”にて、 花博のテーマソング(一般より公募された)のお披露目歌手に。 オープニングの4月1日は、一日署長ならぬ一日タレント。 お客さんの写真&サイン攻めに合う(うそうそ)。

同6月、花博・咲くやこの花館にてライブ(一般市民参加の行事)5曲も披露。

秋頃?同じくユニオンスクエア・ガーデンで働く青少年の音楽祭に出場。 この時は大阪府知事賞。 が、このイベントを最後に That's Doo-Wop Company としての活動はしばらく休止に。

当時の練習曲&レパートリー:
以前の曲たちのアレンジを変えたものや、
Sir Duke、ブロードウェイの子守唄、
賛美歌2〜3曲、
No return、Dear my friend、Boy and Girl (オリジナル)など・・・

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これ以降は、メンバー大幅変更(脱退&再募集)となります。 現Body & Soulの3人の姿もありませんので、お話はここまで。

実は、That's Doo-Wop Company はこのあと大活躍の日々となるのです・・・。 そのあたりは、現That's のホームページを検索して確認してみて下さい。

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(執筆:じゅうたん でした。)
しかし・・・今はもうない場所が多く登場してますなぁ。・・・う〜ん〜〜。

この後のThat's脱退メンバー時代の話は [ 少しだけ前の話 ]へ。




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