信陽舎(1/8)

信陽舎

はじめに

 このエッセイは、2年以上も前に手掛けていたもので、私にとっては、処女作に近いものである。 しかしながら、なかなかまとまらず、いたずらに時だけが経ってしまった。

 この正月の休みにと思い、一挙に完成に持ち込んだ。完成してみて、「信陽舎」には、 かなりの思い出があることを改めて実感した。このエッセイは、信陽舎のことをを中心に 「寮のアウティング」、そして[アルバイト」のことに触れてみた。

 現代の感覚からしたら、滑稽に思えるくだりもあるかも知れないが、 そのころ、一学生にとっては真剣そのものである。 読者は、同調し忘れていた感覚を取り戻すかも知れない。

1998年1月2日

   

信陽舎

  それは、武蔵野の面影を現在に残す大変閑静なところに建っていた。千坪ほどもあろうか、 その敷地には屋敷のほかに中庭や裏庭があった。 そしてその中庭には背の高い木や、幹の太いもの、また常緑樹などが生い茂り、 一連の雑木林を形成して、木立は重なるがごとく連立していた。

  私が、ここを最初に訪れたのは、たしか夏がまさに始まろうとしている頃で、 県営の学生寮でと考え、学生生活の本拠を物色しているときであった。 面接のため同所を訪れ、玄関でその旨を告げると顔がのっぺりとしていて、 ほっぺたを赤くした背の高い、明らかに新入生らしい少年が私を応接間へと案内した。

  正面の入口から見ると、向かって右側に旧館、左側に新館があったが、 この応接間は旧館の玄関を上がったすぐのところにあった。案内されて入った途端に、 「古臭い」臭いが鼻をついた。それは「歴史のほこり」とでも言ったらぴったりとくるような、 臭いであった。それもその筈で、見て取ったところ椅子は木製の布張りであったが、 すでに何世代もの寮生に愛用され続けてきたかと見えて色あせ、所々破れたりしていた。

  造り付けの本棚には、一見してすぐ分かるこれまた本来の色からは遠く、 あせた感じの古本が蔵書として残されていた。誰も手入れなどしている様子はなかった。 先ほどのからの臭いは、これら沢山の本から来ているらしかった。 そして私は部屋の備品や蔵書によって、一瞬のうちに、かつて行ったこともない、 全く知らない昔に引き込まれるような気がした。

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