信陽舎
それは、武蔵野の面影を現在に残す大変閑静なところに建っていた。千坪ほどもあろうか、
その敷地には屋敷のほかに中庭や裏庭があった。
そしてその中庭には背の高い木や、幹の太いもの、また常緑樹などが生い茂り、
一連の雑木林を形成して、木立は重なるがごとく連立していた。
私が、ここを最初に訪れたのは、たしか夏がまさに始まろうとしている頃で、
県営の学生寮でと考え、学生生活の本拠を物色しているときであった。
面接のため同所を訪れ、玄関でその旨を告げると顔がのっぺりとしていて、
ほっぺたを赤くした背の高い、明らかに新入生らしい少年が私を応接間へと案内した。
正面の入口から見ると、向かって右側に旧館、左側に新館があったが、
この応接間は旧館の玄関を上がったすぐのところにあった。案内されて入った途端に、
「古臭い」臭いが鼻をついた。それは「歴史のほこり」とでも言ったらぴったりとくるような、
臭いであった。それもその筈で、見て取ったところ椅子は木製の布張りであったが、
すでに何世代もの寮生に愛用され続けてきたかと見えて色あせ、所々破れたりしていた。
造り付けの本棚には、一見してすぐ分かるこれまた本来の色からは遠く、
あせた感じの古本が蔵書として残されていた。誰も手入れなどしている様子はなかった。
先ほどのからの臭いは、これら沢山の本から来ているらしかった。
そして私は部屋の備品や蔵書によって、一瞬のうちに、かつて行ったこともない、
全く知らない昔に引き込まれるような気がした。
|