日記
以後の日記は、ブログへ移行しました。 |
'04.9.30 昨日、同僚の女性が私のところへやって来て言った。 「施設の周囲に野良猫が子供を生んでいる。」 なんでわざわざそんなことを私のところへ報告に来たのかなあと不思議に思っていたら、要は次のようなことを言いたかったらしい。「動物愛護団体の人が施設の動物が逃げ出したものと勘違いしないか?」と。で、私に捕獲しろとでも言いたかったのかな、とちょっとムッとしながら言ってやった。 「動物愛護団体の人もね、馬鹿じゃないですからそんな言いがかりはつけませんよ。」 |
'04.8.19 「麻酔は深過ぎても何もいいことがない。」私も同意。だからと言って、外科麻酔に入ってない動物にメスを入れ始めてはいけないでしょう。動物の麻酔はそれぞれだし、人間とも違う。きちんと使用する動物に見合った麻酔法を勉強してから臨むべき。 |
'04.8.9 私は動物、人間を問わず、安楽死にはうるさい。動物のお医者さんが人間のお医者さんより良いところは、安楽死が許されているということである。もちろん、獣医療の発展を妨げるような安易な安楽死は肯定しない。が、自然的であれ、人為的であれ、死期が分かっているものに対して、最後の最後は苦痛で身悶えすることなく安らかに逝かせてやることは、獣医師の大切な仕事の一つだと思っている。 が、どうしても参ることがある。それは、自分の手で動物を選択して、自分の手で安楽死させる場合である。自分の指差し一つでその動物の運命が決まってしまうのだ。神でもない私が、その命の運命を決めてしまうのだ。他人の動物を安楽死させてやることは、客観的に忠実にできる。その動物の運命を”指差した”のは、私ではない、他人だからだ。無責任な言葉で言えば、「気が楽」なのである。 今日はちょっと辛い。 |
'04.7.31 猫に噛まれた傷が痛む。「お前は獣医の癖に何をやっているのだ。」彼らが攻める、天罰みたいなものだと思っている。体の傷はいずれ癒されるだろうから良い。しかし、心の傷は死ぬまで負わなければならない。獣医になった宿命みたいなもの。それに潰されぬように毎日を生きている。そんなことはまだ良い。私の命が途絶えれば終わる苦しみだからだ。そんなものはまだ一時的で軽いもの。しかし、世の中には延々と続く苦しみがある。それが許せない。 変な研究者の卵がいる。4月8日の日記で書いた、「ライバルが少ないから。」と言って研究テーマを選んだ輩と同一人物である。彼にとって、社会的貢献とか、病気の人を助けるとか、そんなことは二の次三の次、どうでもいいことのようだ。まあ、偶然それが何かの役に立つということもあるかも知れないが、そんな万が一のことに賭けてもらえる程、研究というのは甘いものであってはならないだろう。 その人は某一流大学を卒業後、修士の学位もそこで取得。社会的に見ればエリートである。しかし、人間関係のまずさから追い出されてうちに来たと聞いている。私は噂を鵜呑みにすることも先入観で人を見ることもしない。そこは唯一の長所だと思っている。半年以上、悪い噂のある彼に対しても普通に振る舞ったし、理解しようとも努めた。でも、半年以上経った後、私もキレた。彼は人格が崩壊しているのだ。他人の些細なことは異常に気になってずっと忘れず、箇条書きにして後々になって責めてくる癖に、自分が他人に対して及ぼしている悪影響に関しては全く気に留めない。今ではほぼ総スカンを喰らっている。それでも本人曰く「自分はこんなに優しいし、良い人間なのに。」だそうだ。それを聞いた人は「ネタか?」と呆れたという。冗談にもならない。そんな彼も自分の研究テーマのために動物を使っている。使った動物を葬る時、彼は合掌しているそうだ。人が見ている時だけのパフォーマンスなのか、人が見ていない時でもそうしているのか、そんなことはどうでもいい。日本人の行う畜魂祭とか合掌など、自分が犯した罪を全てそれで帳消しにしようという誤魔化しだと私は思っている。犯したことはそんなことで忘れ去られてはいけない。未来に生かされなければ改まらず、また繰り返されるからだ。 「あんな人格が破綻した人間が…。」ある人に言った。すると「いや、あんな人間でも出世するかも知れないから、うまくやらなければいけない。」と言われた。私は納得できない。一般的に言えば、とっくにほされているような人間である。そんな人間でも偏差値の良い大学を出たから、或いはまた研究者になれば免れるのか?それは税金(研究には必ず税金が使われる)の無駄使いではないのか?何よりもそれは社会的強者に特権を与える差別ではないか? 私は許さない。そんなこと絶対にあって良いはずがない。彼はいつか何か起こす。小学校に入って児童を殺傷した犯人に似ている人格崩壊者だ。私も仮眠を取っている時に、部屋の扉を蹴られたり、鍵をかけられたり、あらゆる嫌がらせを受けた。そのうち仮眠を取っている時に刺されるのではないかという恐れさえ感じている。そんなストーカーみたいな人間に絶対に動物実験を続けさせたくないし、税金も使って欲しくない。そんな人間だけは許せない。 |
'04.7.15 年の離れた知人が言う。「いつも思う。自分なんかのために動物を犠牲にして実験をしてもいいのかと。」私は生き物はいずれ死ぬものであること、けれど実験動物は人間がその死を決定するということで特殊であること、だから生きているうちは幸福に暮らし、死ぬ時は苦しみなく安楽に逝かせるのが良いこと、だから、きちんとその取り扱い手技をマスターしなければならないことなどを言った。自分で言いながら、その場しのぎで彼の疑問にきちんと答えられていないと思われていないかと気になる。しかし、何よりも、そんな疑問に思う動物実験に、その上に立つ者はきちんと意義を伝え、その人の疑問に答えられているのだろうか?何を隠そう、私も思ったことがある。「私の獣医師免許を取るという目的のために、自分は動物を犠牲にしていいのだろうか?」と。多分、死ぬまで自問自答するし、するべきだと思っている。 |
'04.6.2 もう一つ。人は暗く、悪く、不幸な情報は知らない方が楽である。陰の部分を見ず、聞かずに過ごせれば、楽しいことだけ感じて一生を終わる。けれど、その「知らないこと」に間接的に自分も関わり、加害者の一人になっていることを気付かないことが一番怖い。楽しく消費していることだけを見るならば、それはその個人の勝手であり、誰にも迷惑を掛けていないと言い切る人が多い。しかし、その無邪気な消費生活が見えないところで貧しい人をより貧しくし、乱開発に拍車を掛け、犯罪集団に資金を与えることになっていることが往々にしてある。暴力団と関係のある総会屋に金を渡しているような企業の製品を買えば、企業を通じて暴力団に金を与えていることになる。そのお金で拳銃が買われ、覚醒剤がばらまかれ、不幸になる人が増えるのだ。自分のお金が自分の手元を離れた後、どこに流れていくのか、また、自分の買った商品は乱開発や浪費に結びついていないか、別の商品を買った方が大きく考えた場合にメリットになるのではないか…。一つ一つの消費が重要なものになるのではないだろうか。 |
'04.6.1 久しぶりにある雑誌を読んだ。再生医療の特集を組んでいた。交通事故などで脊髄を損傷し、半身不随になっても、それが治せる時代が来るかも知れないとあった。とてもすばらしいことだと思う。しかし、そのためにはおびただしい数の動物実験をしなければならない。自分が半身不随になったとしても、治らなくても構わないと思わなければ、動物実験はなくならない。人間に試す前に動物で試す…、この順番は変わらない。試してもいない治療法を「私が実験台になります。」と進み出る人はいない。獣医師としての私の仕事は、それらの動物の苦痛を除去してやることだ。 あるBBSに私のホームページが載せられ、そこで「ネガティブな情報しか伝播できないなら、獣医師なんて辞めてしまえ。」と中傷されていた。ほざけ。何を言われようが構わないが、今は「動物のお医者さん」の楽しい御伽噺しか伝わっていないので、ネガティブな事実も知らないと偏執的だろうと思う。私にとってポジティブなこと?動物の身体について知れたことはよかった。いざという時にその知識を元に人にアドバイスしたり、手元にある薬で動物を治せることも良い。医学と共通の知識もあるので、医者に誤魔化されないのもよい(お医者さんはやりにくいだろうから、虐めたりはしない。きちんと質問して説明してもらおうとしてるだけ)。プラスマイナスどっちかは、人生が終わる時にしか分からない。獣医師に限らず、皆、そうだろう。 |
'04.5.16 ともすると「早く死にたい病」が顔を出す。神様に守られていながら、不信心である。見た目には健康体の私。しかし、心は荒んでいる。悲しいことを見たり聞いたりするとそれが顕著になる。こういう人、周囲を見渡しても、またニュースを聞いていても多いんじゃないんだろうか?今、人間を助けるのは医学だけじゃない。教育、偏見のない多様性を受け入れる社会、思想、宗教…「生きていてよかった。」と思えないと人間は生きていけない。やはり治療医学研究が絶対視される時代ではないんじゃないだろうか?身体が治っても、心が癒されなければ、人はやはり死んでしまう生き物だろう。 |
'04.5.12 イラクで人質になっていたアメリカの民間人がテロリストにより意識あるまま首を切り落とされた。聞いただけで恐ろしく、その光景を想像すると動悸がし吐き気がする。しかし、タリバン政権下では公衆の面前で同じ方法による死刑が行われていたと聞くし、そのテロリストによっても同じことが行われてきていただろう。民間人は違うだろうが、テロリストはその光景に「慣れている」のだろう。動物実験の光景には「慣れている」が、あのようなことには慣れていない。殺戮に慣れていない社会になるよう祈る。 |
'04.5.9 知り合いのお見舞いに行った。その人の同室に白内障の人が何人か入院していた。知らなかったのだが、今や白内障は手術して一晩だけ入院し、翌日には帰れるような治療で治るらしい。手術を受けた人が「世界が明るくなった。」と喜んでいた。多くはお年寄りである。白内障にもモデル動物がいて、発病機序の解明や治療実験に用いられている。視界が再び明るくなった老人たちは嬉しそうにお礼を言って帰っていった。私の知り合いは別の手術を受けたのだが、その手術手技も最初は動物を用いて実験されただろう。知り合いはその後退院した。無事完治してくれるといい。治って喜んでいる人たちの姿を見ると、そちらの感情が大きくなる。しかし、実験動物を見ると人間も罪深い生き物だと思う。感情…自分のものでしかない、曖昧な物だ。 |
'04.5.6 我が家にシロアリ発生。家族が半狂乱で殺虫剤をまいた。子供の頃、私はどんな命も殺してはいけないと思い、アリを踏まずに歩き、蚊にはお腹いっぱい自分の血を吸わせ、大嫌いなミミズさえ死にそうになっていたら救命活動したものだ。けれど、自分の家が破壊されるとなれば話は別である。今の私は自分の家を食い尽くそうとしている敵と闘わなければと思っている。幼い頃の私はこの姿を見てどう思うだろうか?しかし、今の私でも全てのシロアリを絶滅すべしとは思わない。彼らも自然界で果たしている役割があるはずである。山林の朽ちかけた木を食べてもらう分には私は一向に構わない。寧ろ掃除屋として頑張って欲しい。今回の私の”退治”は私の家を守る範囲内である。また、何よりも次回家を建てる時は、シロアリに喰われない素材を選ぼうと思った。 |
'04.4.25 やっぱり猫にも性質の男女差ってあるのかも。生まれて2ヶ月にも満たない子猫たちだが、雄は雄同士で活発にじゃれあっている。雌は兄弟に混じってじゃれあうのだけれども、兄弟ほど活発ではないように見える。すぐ、逃げる側に回るし、物の下に隠れてしまう。だからと言って、「ほらね、男は好戦的で、女は弱虫だ。」と言いたいわけではない。性差はある。また例外もある。しかし、それを理由に社会的な差別をするのは人間だけだ。猫の兄弟たちはうまくやっているし、母猫も見事にまんべんなく可愛がっている。 最近、ミニチュアピッグとか畜産動物の種類であったものをコンパニオンアニマルにしている人もいるが、これを煽る危険性について一言。例えば、口蹄疫。日本でも2000年3月に92年ぶりに発生して一躍その名を知られることとなった家畜伝染病であるが、これは「偶蹄類」に属する動物が罹る。それにはウシ、ヒツジ、ヤギ、そしてブタも含まれる。ところで、この口蹄疫が発生した場合、日本を含め多くの国では、その発生地点より一定の半径圏内にいる「偶蹄類」は移動を禁止され、「感染の疑いのある動物」は”殺処分”される。この「感染の疑いのある動物」がコンパニオンアニマルとして飼われているミニチュアピッグにとって驚異なのである。2000年に口蹄疫が発生した農家の牛は全て殺処分になっている。症状を出していなくても、体内にウイルスを持ち、それが増殖していれば立派な感染源となって、この感染率が非常に高い家畜の病気をあっという間に広げる恐れがあれば、それは家畜であろうがペットであろうが、殺処分の対象になるのである。口蹄疫ウイルスは空気に乗ってやってくる。「室内外」であろうがなかろうが関係ないだろう。自分の家族の一員として情が移った動物を殺さなければいけないことになった場合、その悲劇を想像すると胸が痛む。動物愛護運動に関わっている人のホームページ中にもミニチュアピッグ関係のサイトをリンクしているものがある。「豚だって、かわいいんだ。」ということを訴えたいのかも知れないけれども、その問題点を分かっていない。動物は可愛がればいいってもんじゃない。お互いが近付きすぎることにより生まれてしまう悲劇もある。共存とは、お互いの生活圏内を近づけすぎないことをいうのだ。 |
'04.4.23 下の記事の詳細。 『鷹匠の伝統守りたくて』=捕獲、譲渡のNPO代表ら逮捕−愛知 「国内希少野生動植物種に指定されているオオタカやハヤブサを捕獲し、 譲り渡していたとして、愛知県警は15日、種の保存法違反容疑で同県西尾市の自営業で民間非営利団体(NPO)法人、吉田流鷹狩協会代表と同 協会理事2人の計3人を逮捕。3人は容疑を認め、「「鷹匠」の伝統を守る には国産の捕獲能力が高いタカやハヤブサが必要だった」と供述している のだそう(2004年4月15日時事通信)」 下のリンク先を見れば分かるのだけれど、同じ日の他のニュースは残っているのに、この事件に関係するニュースだけ削除されている。誰かに圧力をかけられたかな? |
'04.4.18 先日”大狸”が捕まった。国民の税金から出る補助金を堂々と詐欺するたあ、もう良心が完全に麻痺しているのでしょう。そんな人は大勢いますが…。 こちらもなかなか…http://newsflash.nifty.com/news/keyword/arrest/ts__jiji_15X748KIJ.htm 何といいますか、「伝統」という大義名分をかざせば何でもありというわけでは勿論ないわけで、そういう感覚が麻痺している人も大勢います。たいてい、そういう人は自分より弱いものを利用しているような気がします。 |
'04.4.15 知人の家に集まって夕食をご馳走になった。その知人は犬を飼っていて雄なのだが、私がお腹をなでてやった(犬はお腹をなでられると喜ぶ)時に多分おちんちんに触れてしまったのだろう。それから私の腕にしがみついてマウンティングを始めて止まらなかった。それを見て皆、私が獣医なので「犬も誰が一番かわいがってくれるか知ってるね。」などと言ってくれたが、私は恥ずかしくて事実を打ち明けられず笑って誤魔化していた。その犬はとにかく本能に駆られて辛そうだった。去勢されていれば、そんな辛い思いもせずに済むのに。でも、知人は優しい人だから自分のかわいがっている健康な犬にメスを入れることなどできないと思っているのだろう。私は「去勢した方がいいですよ。」と直に告げられなかった。去勢していないと前立腺肥大などもやはり心配だ。今度チャンスがあったら、上手にアドバイスしよう。それよりも、やはり動物を商用であれ、個人的であれ、ボランティアであれ、人に渡すのであれば、その後情が移って自分からは健康な身体にメスを入れることが困難な飼い主が多いのだから、渡す側が予め避妊手術をしてからでないと渡すべきではないと思った。あの知人の犬が偶然発情した雌犬に出会って交尾してしまったら、また不幸な命が増えるのかと思うと気が沈む。 |
'04.4.13 傷口が開いたため再縫合術を受けていた。母獣と兄妹たちがいるケージの中へ戻してやった。すると母獣は我が子であるのにも関わらず、一瞬たじろぎ、怖くて近づけないような様子だった。様子が変わった我が子を我が子と気が付かなかったのか、気が付いたけれども余りの変わりように驚愕したのか、ただ単にその傷口に塗られている消毒液の臭いが嫌いだったのかは分からない。しかし、近寄る我が子とその子から後ずさりする母の姿は痛ましいものだった。まもなく、母獣は平常に戻って我が子を受け入れた。子はすぐにまたうずくまった。余りの罪に声が出なかった。 |
'04.4.8 身内の恥を曝すようでとても気が引けるのだが、敢えて話そう。研究者が全て人助けのための研究を目指して日々自分の研究を行っていると思うのは大間違いである。先日の研究者の卵ちゃんのお言葉、「この実験をするのは、ライバルが少ないから。」…そう、ライバルがいなくて認められやすいから行うのである。その辺りの認識についてはさすがに指導教官が厳しく注意した。「いや、ライバルが多いというのは自分ができないところを補ってくれる人がいるということで、病気を治すという目的からすればいいことだ。」…負けず嫌いの研究者の卵君が、自分が社会の中で何のために、どういう役割を担うべく研究という仕事をするのか気が付くのはいつなのだろう?それまで、その研究者の卵君に使われる動物たちは、彼の名誉欲のためだけに使われることになる。「何のための研究なのか…?」多くの仕事が、社会の中でどうしてその仕事をする必要があるのか世代間でその意義を伝えられるべきであると思うが、研究者もその例外ではなかろうに…。ああいう言動を目の当たりにすると、やはり現在不憫な実験動物は多くいると思う。そのための獣医になるかと思うと、がっかりだ。 |
'04.4.6 いけない。完全に情が移ってしまった。かわいい。心許されているのがわかる。実験動物とは言え、生き延びられたら里親にもらってもらえたら…。私がアフターケアをし、きちんと預けられたら…。愛している。 |
'04.4.5 「春眠暁を覚えず」とは言いますが、何もそんなにぐっすり寝込まなくても…、ある講義で寝ていた医学生のことです。しかも、「動物福祉」に関するところで…。きっとあの学生は昨夜お勉強かバイトか遊びで忙しくて余り寝ていないのか、講義への興味よりも春眠の方が勝ってしまったんだろうなあ。私も学生時代に全ての講義中に目を欄欄と輝かせて聴いていたわけではないので人のことをとやかく言えませんが、でもあの学生が医者になっても私は診て欲しくないなあ。人間のお医者さんの卵もいろいろです。 |
'04.4.2 今日はある畜産動物。近頃はこの動物もペットになり、動物愛護運動家のホームページから何も考えずにリンクされているくらいだから、肉を食べない人も増えてきているのかなあとついでに思ったりして。でも、決してそんなことはないだろう。自分自身のペットは食べられないけれど、どこの馬の骨だかわからない肉がスーパーに売っていれば買ってくる。多くはそんなものだろうと思ったりする。今日の動物は予めある病気を人工的に作製しておいて、同じ動物の別の部位の細胞から増殖させて作った細胞を移植して治療に役立てるものだ。使用された動物はかわいそう。だけどうちはこの病気の家系である。私はもし母がこの病に倒れ、そしてその時、今回の治療実験が完成して完璧な手技として普及しているなら、その治療を施してもらうだろう。新しい手術手技の練習台はどうしても動物実験になる。「新しい手技で、今回が初めてですが試してみますか?」と言われて試す人はそうそういないだろうから。いたとしてもごくまれ。そんなごくまれな症例数では、一人の外科医は一生かかっても新しい手技を取得できないだろう。だけど、自分がかわいがっているペットを実験動物として人様のために役立てて欲しいとは絶対に思わない。だけど、自分が知らないところで、自分の情が移っていない動物を使って、「かわいそう」という感情よりも医療発展のためという思いが強い人がそんな技術を培っていてくれる。第二次世界大戦中は国民の知らないところで、自分たち情が移っていない他国の人を使って、「かわいそう」という感情よりも生物化学兵器を開発して勝利を納めることが大切だった国が人体実験をしていた。「命の価値」は、対象がヒトであれ他の動物であれ、いつの世も人間が決めている。せめて人道的に行わなければいけない。かって人体実験を行っていた日本人の命の基準は、今は一体どれくらいなのだろう?今日の動物は人道的に扱われていたと思う。それでも動物実験反対ならば、菜食主義になるのは大前提、どんな病気にもならないように予防しないとね。今日、一所懸命に実験を行っていたお医者さんに向かって、私は絶対に「動物実験反対」とは言えない。それが、実験動物専門医の立場なのです。でもね、もし、私が生きている間に動物実験が全て代替法に置き換えられるなら、私は喜んで転職しようと思う。 |
'04.4.1 家畜伝染病違反とかで某会社の社長が逮捕されてしまった。警察の権限は恐ろしい。同等の権限を保健所、食肉衛生検査所、家畜保健所にも与えられていたならば、脅迫・強要および公務執行妨害の業者さん、狂犬病予防法違反の飼い主さんにブリーダーさん、動物愛護法違反のペット業者さん、獣医師法違反の人工授精師さんに獣医師さん、食品衛生法違反の農家さんに業者さん、それから…とたくさんの人が捕まってしまう。違いは影響の大きさかな。影響が大きければ、人一人、いや二人が責任を感じて自殺しても許されないってことか。でも、根本的には皆同じ。結果の違いがかくも大きく明暗を分けるとは…。私には逮捕された人たちだけが特別に罪が大きいとは思えない。 ”タマ”と同じ部屋で今日いきなり大勢のヒトが入ってきてバタバタやっていたからか、タマが落ち着かず、イライラそわそわしている感じ。でも、子供たちの声に呼ばれて最後は珍しく自分からケージに入っていった。やっぱりお母さんだねぇ。 |
'04.3.30 新しい教科書を買い求める進級の季節。私の母校も今年も倍率高かったのだろうか。 今治療している猫、将来実験に使うために私が治療してやっているようなものなのに、耳かきしてやってすっきりした顔をしている。私はこの子を裏切っている。とんでもない人間だ。 別の子猫。今日も外に出して遊んでやった。一日15分間だけの自由。すぐにまた狭いケージの中。この子だけ独りぼっちでかわいそう。けれども私にはどうしてやることもできない。ごめんね。せめてもの償いに、私も自ら自由を奪った生活を送っているから。 |
'04.3.29 殺虫剤メーカーが研究用に飼育している吸血節足動物の餌にも実験動物が使われていることを知った。そこの研究所では以前は動物の方が逆に研究用の虫を食べてしまわないように、その動物が身動き取れないようにして、虫たちに血を吸わせるだけ吸わせ、その動物を使い捨てにしていたが、さすがにそれは動物愛護上良くないと他部署所属の獣医師が指摘したとのこと。それ以後、どうなったかは知らない。「生きた動物を放り込むのではなく、37℃位に保温した血液を置いておくのでは、その虫たちの餌にならないのか?」と尋ねたところ、「それで飼育できる虫もいるが、生きた動物でないとダメな種類もいる。」とのこと。さらに、そのような研究所の研究者は獣医ではなく、虫には興味があるが、脊椎動物の愛護については関心がない人が多いとのこと。これは、盲点だった。実験動物を愛護したい人は、これからは蚊取り線香や、殺虫剤を使わない方がよろしいかと思います。夏場外に出る時は、長袖長ズボンを着るか、蚊除けのウチワを持って出掛けるしかないようです。また、ペット用のノミ取り首輪も使用できませんなぁ。ダニに喰われないように、まめに掃除して、布団もまめに干す…おっと、これは当たり前か。 |
'04.3.27 母獣が、もっと広いところへ赤ん坊たちを移したいとばかりに、ケージの下へ移動したまま動かない。赤ん坊で釣ってもダメ。ケージの下からさかんに赤ん坊を呼び寄せる声を発している。赤ん坊たちも大きくなってきて、今の場所では狭く、実験動物でなければ子育ての場所を他所へ移す時期なのだろう。一所懸命に母獣に「そこへ出してやるわけにはいかないんだ。ごめんよ。」と言って、子供たちの元へ促す。最後に扉を閉める時は、まさに私が牢獄に閉じ込めているようだ。胸が痛い。情が移る。彼らの気持ちも分かってくる。けれど、この動物たちは私のものではない。飼い主は別にいる、実験動物なのだ。 |