保健所は税金の無駄遣い
1. ある猟師の話
保健所に勤務している時にあった猟師の話です。不用犬・猫の引き取り日ではない日に、10頭近くの猟犬を
連れてきて、「もう要らないから引き取れ。」と言ってきました。私が「今日は引き取り日ではないから・・・。」
と言って断ると、「所長を出せ!」と怒り出し、それまでさんざん使ってきた犬たちを結局置いていきました。
今、保健所はこのように命を命と思わない大人に利用されているだけです。狂犬病の予防は確かに大切です。ワ
クチン未接種の「野犬」と言われる犬が増えれば、日本に狂犬病が入ってきて蔓延する恐れがあります。でも、
ちょっと待ってください。現在の日本には本当の「野犬」はほとんどいません。たいていは、かつて人に飼われ
ていた犬とその子孫です。一つの命を軽い気持ちで飼い、不用になれば簡単に始末してしまう身勝手な人間の便
利な機関として、その引き取り業務と処分のために大切な税金を投入する必要性はどこにあるのでしょうか?そ
れよりも、動物福祉の啓発へ力を入れた方が、放置動物が減り、過剰に生まれては処分される子犬・子猫が減り、
そのために「狂犬病予防」に効果があるはずです。もう動物の「ゴミ処分場」としての保健所ならば、時代遅れ
で税金を使うだけ無駄だと思うのです。
「〜死を迎える犬たち〜」・・・行政の行う殺処分風景を撮影した動画があります。
2. 行政のパフォーマンス
ある保健所で「猫の譲渡会」が催されます。全国的にも珍しい「猫の譲渡会」。それが開催されることとなっ
た発端は、定まった飼い主のいない地域猫に複数の住民が不妊手術を施すことなく餌を与え続けた結果、繁殖し
て数が増えすぎた猫が他の住民と糞尿による悪臭や畑を荒らすことなどのトラブルの原因となったことです。そ
してそれは、日本各地で今でもよくあることなのですが、ここでもやはり「保健所に引き取って処分してもら
う。」という非建設的で古く安直な結論が出され、それを動物愛護団体に知れ渡るところとなって問題化し、恐
れをなした行政が急遽、慣れない「猫の譲渡会」なるものを計画することとなりました。ほとんど人間になつい
ていない猫たち。それらを無理矢理捕獲して譲渡会を開催して、果たして何人がもらってくれるというのでしょ
うか?完全にパフォーマンスとなってしまいました。
ここに問題が何点かあります。一つはその場しのぎに野良猫に餌を与え続けていた住民。その結果、猫の数は
無意味に増加し、猫を好まない他の住民とのトラブルになった結果、かわいそうだからと餌を与えていた猫たち
を更に不幸に陥れることとなったのです。もう一つの問題点は、周辺住民が野良猫と言えども人間の得手勝手で
保健所で命を絶つという残酷な選択肢しか知らなかったこと。そして、最後の一点は狂犬病予防法の対象でもな
い猫を「住民サービス」の一環として他の方法を住民に提案することもできず、保健所の獣医師を使って殺処分
という無駄をせっせと続ける日本行政の動物福祉の遅れです。餌を与えるなら増やさない不妊手術をしなくては
なりません。繁殖することが本能的な営みである野良猫をいくら殺処分したところでキリがないのです。それ以
外に税金と獣医師の有効な使い方を知らない限り、日本はいつまででも「弱いもの虐めのなくならない封建的な
後進国」であり続けることでしょう。そんな同道巡りを断ち切るにはどうしたらいいのか、一人一人考えていき
ませんか?
3. あるブリーダーの話
2002年の後半、ある保健所の動物収容舎にシェットランドシープドッグ、ラブラドールにダルメシアンなど市
場では血統書付きとして高価に取り引きされる犬が大集合しました。これらの犬は、その保健所管内にて劣悪な
環境下で飼育したために周辺住民とトラブルを引き起こしていたブリーダーがお茶を沸かして所有権放棄した犬
たちです。アイフルの宣伝など「かわいさ」だけで煽られることで盛り上がるペット産業。その成れの果ての一
端がそこにありました。「狂犬病予防」の大義名分で収容され殺処分される動物たち。しかし、現在の日本で起
こっている現実では、ペット市場破綻後処理も担う、一部ではそんな都合のいい税金の使われ方をしています。
その税金、本当に「狂犬病予防法」の基く業務を遂行するためのものでしょうか?「動物愛護法」のための税金
はないのでしょうか?どちらも保健所の業務に関する法律なのに・・・。
4. アホな児童相談所職員
表題でいきなり口が悪くてすいません。
私が勤めていた保健所が入っていた建物の横に児童相談所があり、その周囲に猫が数匹いました。職員や子供
たちなど皆に構われてとても人になつき、性質の良い猫たちでした。ある時、そこの児童相談所長からうちの保
健所長に依頼がありました。
「あの猫たちを捕獲して処分して欲しい。」
私は一番下っ端でしたが、カーッと頭に血が上りました。「我々は猫の殺し屋ではない!」
狂犬病予防法という法律の下では保健所は徘徊犬を捕獲する義務があります。しかし、猫についてはそのよう
な義務はありません。何より、あの猫たちはすっかり人になついているのに何が邪魔だというのか?
下っ端であったため、所長に直訴することも出来ず、私は顔見知りであったその児童相談所職員の女性に訴え
ました。
「うちは殺し屋ではない。何よりもあんなになついた猫たちを殺すなんてどんな理由があると言うのか?子供達
の教育にも良くないでしょう。」
するとその職員はこう返してきました。
「所長がおっしゃったことです。それにあの猫たちのせいで衛生上の問題が起こった時に責任取ってもらえるの
ですか?」
あきれかえりました。行政に絡む人間は職員でも民間人でもすぐにこの「責任取ってもらえるのですか?」と
いう質問を会話の最後に付けます。自分が責任を負いたくないから、他人をこう脅すことが常套手段なのです。
砂場に糞をされることを衛生上の問題だとしていましたが、それが嫌なら砂場にシートを被せればよい。
その後、ちょっとした騒ぎになり、課長から私は抑えられ、結局所長同士の話だからということで逆らえない
という馬鹿な結論になりました。動物を処分する担当であった職員の人だけが私になぜか「ありがとう。」と言
ってくれました。
「あの猫たちどこへ行ったの?」
と、家庭に問題があって傷付いている子供たちの質問に、その子供たちを保護する立場の児童相談所はどう答え
たのでしょう?