REUNION
ちょっと前に60’ブームなんて言われてたと思ったらあっという間に70’も一巡してしまい、一部では早くも80’が回顧され始めている。
ミュージックシーンも70’を彩ったバンドの多くが再結成を果たし、その頃にいわゆる青春時代とやらを過ごした身としては、懐かしさと怖い物見たさが入り交じった妙な気分で音楽雑誌などを手に取ったりする。
“ああ、懐かしいなあ”という気分に始まると同時に“でもこいつらもう50越してんだよなあ”とか自分も平等に年を取ったなんて事は棚に上げて自分勝手な心配をしてしまう。
観る方はこんな調子だが、肝心の演る方は心中どんなもんだろう。
ギターを持ってバンドの真似事みたいなものをやったことはあるが、アーティスティックな活動という意味では、ある時期によって決まった仲間とカメラを持って列車に乗ってあちこち回っていたことの方が多かった。音楽で言えばアマチュアバンドが趣味で全国ツアーをやっていたようなものだ。別に観客が居るわけではないが、それなりにマトモな写真も撮りたかったし、気の利いた文章も残そうとしたし、かといって必要以上の競争心があったわけでもなく結構仲良くやってはいた。中には“脱退”して別の道を求める奴も居たし、音楽ではないが正にバンドそのものだ。
そうこうするうち、学生時代の話なので、社会に出る時期は当然やってくる。つまりは否応なくソロ活動にはいるわけだ。
“再結成”と聞いて心が騒ぐのは何故か。懐かしさ、それは否定出来ないが観る側として敢えて言えば彼らの現役当時常にまとわりついた問題、情報に対するある種の“飢餓感”とでもいったものが未だに自分を動かすのでは、と思う。上手く言い表すのは難しいが、もしも当時、例えば70年代前半、バンドのあらゆるパフォーマンスが今と同じメディア環境で流通していたら果たして自分は再結成ライブに手を出すだろうか。
気分は常にEAGLESの「TWENTY−ONE」のつもりなのだが、「HELL FREEZES OVER」のヴィデオに嬉々として手を出してしまう。今更何を観るのか。それは、髪を切り髭も剃り落とし演奏も良くも悪しくもこざっぱりしてしまったが、当時はほとんど殆ど観ることが出来なかった彼らのステージを、だ。自分達の世代の再結成に対する思いは、単純な回顧を別にすればこの辺りに凝縮されているのかもしれない。
そして演る側の論理だが、これを窺うことは難しい。単なる懐かしさ、OB会感覚、それとももう一花、あるいはこのチャンスに一儲け...と動機は様々であろうが自分だったらどうか。
フィールドは違えど、最も多感な時期に一応幾つかの“バンド”的な集団で行動した身として、今当時と同じ事を同じ気持ちで出来るかと考えると、答はまずNOだろう。そうするには自分を取り巻く環境が変わり過ぎたし、個々の相手にしてもそれは同じ事である。なにがしかの見返りを得られるならちょっとやってみてもいいか、位には誰でも考えるだろうが長続きするとは思えないし、今の生活を変えるに見合う責任なんかを考えると後込みしてしまうかもしれない(まあ、そんなオファーが来るわけないのだが)。
かつてのメンバーであの山にカメラ抱えて登ってくれ、とか、今夜の宿はあの駅の待合室だよ、明日の晩は夜行列車ね、座れなかったらごめんね、でも写真は上手く撮ってね、なんてやられたらかなわない。
やるにしても気分に応じて気の合う奴とプライヴェートなデュオかトリオを組んで気楽に“プレイ”する程度だ。自分がそういう気持ちだけに、再結成バンドに対する見方は楽しさの反面どうしても懐疑的で辛口になってしまう。まあアマとプロの違いこそあれ割り切って観ることがお互い精神衛生上はよいだろうし、過去の再現なんて意気込むと反動が大きい。
今年でJOHN LENNON没後20年。もしあの事件がなければ、と考えてる方が夢と楽しみがあるのかもしれない。
あらゆるレコードジャケットは自分にとって卒業アルバムの集合写真のようなものだ。“今の貴方”に会うにはそれなりの心の準備が要る。
だから今夜は輝いていた頃の貴方に会ってみようか。1976年、シアトルのキングドームのEAGLESのヴィデオでも取り出して...。