特急「レッドアロー」見参
西武鉄道5000系、通称「レッドアロー」号のデビューは1969年。この頃はカメラを手にしていなかったので、登場時の画像は手元にない。そのかわり肉眼を通しての強烈な印象と、(多分)目を輝かせて駅からもらってきたパンフレットが残っている。その辺のがらくたを題材に、西武鉄道版“名車・5000系”を振り返ってみたい。
鉄道会社同士の競争は語り草になっているものが多い。古くは関西における官民のスピード競争が有名だが、関東でも古くは国鉄の〔日光号〕対東武のDRCという質を前面に出したものから国鉄中央線の特別快速対京王特急というスピードと利便性で勝負するものまで、高度経済成長を背景に、派手な見せ物を展開していた。
競争においてはいかにアドバンテージを取るかが重要であるが、競争は超過利潤を消滅させるという経済原則もまた真実である。前者において国鉄は勝負を投げてしまったし、後者は高速化、冷房化、車両大型化等々物量戦の挙げ句、しばし休戦状態となっている(JRの高架複々線化で相手がどう出るかが見物ではある)。
さて、そんな競争にはとんと縁の無かった当時の西武電車であるが、なんと秩父への路線延長を突貫工事で進めていた。東武には日光、小田急は箱根、京成は成田山など大抵の会社は何か売り物の一つもあったが、この頃の西武には何もなかった。「豊島園」「西武園」といった“遠足の名所”はあっても“観光地”というものがなかったのである。伊豆・箱根ではライバルに対し分が悪かったし、軽井沢は遠すぎる。それが降って湧いたように「秩父」ときた。「ちちぶ...」である。 大抵の日本人は日光、箱根がどこにあるかはわかると思う。だけどこの当時、果たして何割の日本人が秩父の位置を正確に理解していたかどうか。
そんな、どこかしまりのない印象の新線開通話であるが、何とロマンスカーが出るという。子供心にも“ホンマかいな”という感じもしたが、秩父線は軽井沢まで伸びるから、とか、国鉄の青梅線を介して奥多摩湖まで乗り入れするためだ、とかいうまことしやかな話が付いてきたものだから、当時の小学生としては“すげエ”ということで、コロリとその気になってしまった。
ロマンスカーといえば、この当時も今もやはり小田急、東武である。着席すればおネエさんがおしぼりとメニューなんか持ってきて、ジュースなんぞを飲みながら(今なら当然ビールだが)、パブリックスペースにはジュークボックスがある、というイメージだ。ところがいざ現物とご対面すると、なんか抱いていた重厚感がない(軽快感、というイメージを知ったのはもう少し後のことである)。東京地下駅開業にあわせて登場した国鉄183系を紹介したとある鉄道雑誌の記事に、特急車初の片側2カ所の出入り口を評して「西武のレッドアロー並かそれ以下のレベル」という記述があり、ある意味特急大衆化の走りだったのかもしれない。
さて、それでは本題のパンフレットを見てみよう。
写真は見開き中の一部であるが、下段に4両分の座席表がある。デビュー当時は車両ごとに変えたシートの色や花柄の化粧板が新鮮だったし、車内仕切戸は自動ドアで、この当時では新幹線くらいでしかお目にかかれず先進的であった。出入り口に採用した折り戸も国鉄20系から581系への流れに見られる優雅さを感じさせる。加えて小田急NSEに負けず劣らずの側面窓の大きさ、眺望性は特筆物だ。はっきり言ってこの電車は前面より側面の方が数倍格好良い。更に付け加えて言えば、集中式冷房のラインフローを覆う形で間接照明とセットでフラットにした天井は画期的なデザイン処理だ。この集中冷房とフラットシーリングのセットは、数年後の101系6連冷房化より本格的に採用され、今では全国の電車の標準仕様となっている。
当時の関東私鉄で3番目の「ロマンスカー」として登場した西武5000系であるが、前2者の高評価が定着していたためか、会社と目的地とスタイルが地味なためか、終ぞ「ロマンスカー」と呼ばれることはなかった。会社側もあえてロマンスカーとは言わなかったけれど。
就役後のレッドアローは好評をもって迎えられたようで、当初は停まらなかった所沢に終日全列車が止まるようになったり、8連を組んでフル稼働したりしているうちに、編成を6連化して増備を図ることになり、その過程では6+4の10連も存在した。左の切符はその当時のもので、NRAで復活するまで絶えて久しかった「7号車」のスタンプがある。この5000系、会社が本当に大事にしていたためか、自社工場があったためか、最後の最後まで実に細かく手が入れられており、引退時まで車齢の高さを感じさせなかったことは特筆に値する。今横瀬に先頭車1両だけがオリジナル風に戻され保存されているが、それとて完全ではなく、見方を変えれば原型に復しようがないほど常にバリューアップを図ってきたということであろう。決して派手ではないが、有料特急かくあるべし、を示す好例であると思う。
’95年秋、5000系は定期運用から引退し、その冬の秩父夜祭りの臨時を最後に西武線上から姿を消した。デビュー時の観光特急というコンセプトは引退時には有料通勤特急に様変わりしていたが、最後の最後に本来の仕業をこなして、これまた地味にリタイアした。今はNew Red Arrowと称する10000系が、観光特急とはほど遠い位置付けで活躍しており、5000系の車体は富山で再び観光特急としての活躍をしている。10000系の居住性は格段に向上したが、5000系に比べた時の“軽さ”は否めない。レッドアローを名乗らせるために赤い線を一本入れただけのような気もするが、ただ、勇壮なモーターの唸りは今も相変わらずだ。
音といえば5000系登場の頃の音、The Beatlesの“Let It Be...NAKED”が先頃リリースされた。あの時代の空気をそのまま持って来たようなクリアな音を聴きながら、先のパンフレットのシミやかすれとを比べてみると、21世紀のデジタル社会は麻薬のように快楽と地獄を併せ持ちながら、自分達に微笑みかけているように感じるのである。