ディーゼル特急


 60から70年代は国鉄特急列車の最後の輝きの時代であったと思われる。日本中が同じ色の特急列車で占められていたその中でもディーゼル特急の躍進はめざましく、架線が有ろうと無かろうと機動性に物を言わせ列島を縦横に走っていた。電車特急に比べ趣味的な車両のバリエーションには乏しいが、それを補って余りある“優美さと力強さ”を感じさせたのがディーゼル特急だ。残念だが前者を代表する82系は引退して久しく、後者の“力持ちの弟分”的な181系も最近は妙な衣装を纏って“老後の散策”のような運用しかなくなった。もっとも末端の非電化区間のために中央から気動車を直通させる、というのは行政サービス的な発想ではあっても経営者のそれであるとは言い難い。
 21世紀となった今から見ての物言いだが、ディーゼル特急の果たした役割は皮肉にも地方航空路線、高速自動車道の需要喚起と整備促進で、高速大量輸送機関としては20世紀後半の、登場から20年位の期間に駆け足でその役割を終えてしまったのではなかろうか。


   日豊本線の財部にて、交換待ちの間にやって来た特急〔にちりん〕。間違いなくこの時点の日豊本線の大御所で一種悠然とした雰囲気を漂わせている。今や〔にちりん〕は大分で運用が分断されてしまい(そのこと自体は効率的で結構なことだ)、その上〔ソニック〕は〔にちりん〕の名も外され高速バス相手に蒼い顔でせわしなく走り回っている。本家〔にちりん〕に至ってはくたびれた車両のローカル特急と化してしまい、門司港はおろか博多、西鹿児島でもその名、姿を見ることが出来なくなった。
 新幹線博多開業を目前としたこの頃が西日本のDC特急のピークで、九州でも門司港を起点に長大編成が発着を繰り返しており、関西からも〔かもめ〕や〔まつかぜ〕が足を伸ばしていた。
 それにしてもこの82系のパノラミックウインドウは美しい。妙なこだわりを付け加えればHゴムはグレーに限る。最近は耐久性かみんな黒ばやりだが、どうも“目元がきつい”という印象を受ける。このウインドウと新幹線0系、ナハネフ22の展望車が日本の鉄道車両での3大曲線美であると思うのは自分だけか。
     
   石北本線、今は亡き湧網線と分岐した網走湖の近くを行く特急〔オホーツク〕。6両編成とこの頃の特急列車にしては短編成だが、ちゃんとグリーン車も食堂車も繋いでいる。そういう視点に立つと「グリーン車(A寝台)」、「食堂車」、「全車指定席」が特急列車の風格を決める必須3要素ではないか、と思うと同時に、列車に対し“風格”というものを論じる余地があったことに対する軽い違和感を覚えてしまう。
 今は6両でグリーン車でも付いていればそこそこ立派な(鉄道に対する需要がある、という意味で)特急だ。
 80年代の中頃、列車名は忘れたが末期の食堂車を利用した。客は自分一人。常紋峠で雪がちらつき出したので雪見酒と決め込みイカの丸焼きを食いながらビール・日本酒を相当量飲んだ。従業員の姉さん達もヒマだったのかたった一人の酔客のお酌やバカ話の相手をして延々札幌まで、という奇妙な体験をしたことがある。今思い返しても、「男はつらいよ」のラストシーンのようだ。

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