1975北海道


 前年の会津行きに続いて北海道に行こう、ということになった。〔十和田〕や〔八甲田〕ではなく当時の最速渡道パターンである〔はつかり5号〕+〔おおぞら(だったと思う)〕を使ったのは、移動効率や正月返上のアルバイトの収入もあったが、まだ“特急列車に乗る”ということが当時の弱冠16歳には特別の意味があったのである。
 冬の北海道ということで防寒には気を遣い(周りからは大分脅かされた)、母親には握り飯をたくさん作って貰い(この頃はコンビニでおにぎりとお茶という選択肢は存在しなかった)重装備で荒れた津軽海峡を越えて行った。
 約10日間、夜行列車を中心拠点として動き回ったが、改めて写真を整理しながら当時の行程を振り返ると、溜息が出てしまう。頭と体と時刻表、この三つが常時フル回転していたのであるが、疲れたとかいう記憶は全くない。
 近年復活した往年のロックスターが当時のツアーを今やれと言っても無理だ、といったような記事を見たことがあるが、その気持ちはよく解る。


   室蘭本線の由仁にて。この線を象徴する石炭列車である。旅客列車はDL化が進んでいたが、貨物列車はまだD51の天下だった。
 この時は石北線や名寄線のSLが最後の時期にあり、撮影者はみんなそちらを中心に行動していたようで、数を稼げるとはいってもこの辺りで撮っている人は少なく、C57は撮るがD51は撮らないという人も結構いた。自分はといえば折角来たんだから、と効率優先で、周りから見ればまだ子供に見えたのだろうと思う。
 ところでこの写真に対する思い入れだが、このD51118号機は引退後我が家の近くの公園にやって来て今もそこで休んでいる。また撮影後札幌へ向かう為に乗った列車を牽いて来たのは、あのC57135だった。
     
   遠軽を発車して常紋峠方面へ向かうD51。夜行の急行〔大雪〕を遠軽で降りて、待合室で夜明けを待って写した一枚。 朝一番で雪がちらつき始め、寒さに震えながら撮ったこの撮影行のベストショットと自賛しているが、こともあろうにネガを紛失してしまっている。学生時代に共同で引伸作業をした時に誰かのに紛れたか、引越時にゴミに紛れたか、それにしてもよりによって...である。
 一枚だけ残っている端の方から変色し始めたプリントからスキャンしたが、これだけでもマシンとスキャナを買った価値があると心底思う。
     
   追分にて、入換作業中の二つ目の9600。写す気は無かったが、力強いドラフト音と煙に惹かれシャッターを押した。

 1975年、現役蒸気機関車最後の春、みんな思い思いに北海道に集まって来た筈だ。周遊券と夜行列車と即席の友人...。みんなもういい中年になってしまったであろう。
 作品を仕上げるなら石北本線や名寄本線に湧網線、数を稼ぐなら追分中心に室蘭本線と夕張線。自分はどちらかと言えば後者の部類であったが、ひっきりなしに来る(今のレベルで振り返っての話)D51やC57を撮ったり乗ったりしていると、本当に今年一杯で全廃されてしまうのか、という思いは増すばかりであった。
 実際は翌春まで一部が入換用として残ったが、蒸気機関車の本来の役割に幕を引いたのは、ここ追分の9600であった。


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