1974 九州へ(2)


 何とか着くには着いたが、列車は殆ど動いていなかった。ストライキとはいうものの、現JRに比べ当時の国鉄職員の数はかなり多く、管理職総出で何とか僅かの列車を動かしていた(ように覚えている)。元の本数が少ないので、動けばそれなりのダイヤで動く。貨物列車などは時間が分からなかったので、観光の合間に写したに止まってしまったのが今も心残りである。ただ、この旅行で世話になった友人はこのおよそ半年後に家庭の事情でこの実家に帰ってしまい、音信が途絶えて久しい。そちらの方がずっと心残りである。


   ここはストの最中の都城機関区。煤けたSLもいいが、この当時(15歳になったばかり)は真っ先にブルートレインに目が行った。隣の旧型客車やディーゼルカー共々、都市間輸送のかなりのシェアを国鉄が占めていた時代の面々である。
 時は流れて、先日、別府で下りの特急〔彗星〕を見かけたが、たったの4両編成に唖然とした。この旅行の帰りに寝台車に乗りたくて何度もみどりの窓口に行ったが、鹿児島線も日豊線も軒並み満席で仕方なく夜行の急行〔みやざき〕普通車で小倉まで乗ったことを思い出しながら、ガラガラの4両編成を見送った。
     
   ストライキ中とはいっても、蒸気機関車の火が落ちるわけではない。ここ都城にはC57がまだいっぱいいた。生きているSLを間近でじっくり見たのは、地元の西武山口線を除けばこの数年前の八高線以来で、だんだんその魅力が分かってきた。
目覚めるのが大分遅いが、それでもこの後の秋の会津方面や翌年の北海道での現役SLの活躍を見に行くことが出来たのは、幸運だった。
     
   日南海岸に行った帰り青島で遅れた列車を待っていると、C11の牽く貨物列車が入ってきた。これがこの旅行で唯一見た“動くSL列車”である。
     
   桜島に行った帰りの西鹿児島で。この頃の特急〔にちりん〕は10両位の編成で食堂車もつないでいた。特急列車がいるホームは心なしかそこだけ華やかさがあったように思う。それが何か、と問われると説明は難しい。今の上野駅の〔カシオペア〕周辺の雰囲気とも違う、“時代が持ち去ってしまった空気”とでも表現する以外にない。
 振り返ると、ここへ着くまでに乗った大隅線も志布志線も無くなってしまった。この旅行以来宮崎、鹿児島には行ってない。記憶が鮮明なうちにこれらの写真の場所を再訪したいものだと思う。

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