さよなら尾小屋鉄道


 ’77年春、尾小屋鉄道が廃止になった。昨今のような派手なイベントもなく、目を見張るカメラの砲列もなく、ささやかなデコレーションを纏い、非電化のナローゲージが消えて行った。
 架線のないナローゲージなら地元の西武山口線ではSLが一応は現役だったし、生活路線という意味では電化路線であったが、近鉄や下津井電鉄がまだまだ頑張っていたこの時代。それでもこの尾小屋鉄道がなくなってしまうことに何か特別の感慨を抱いたのは何故だろう。今にして思うとそれは多分、“野生種の絶滅”を本能的に感じ取っていたからに違いない。


   廃止の何日か前、新小松、18になったばかりの頃。北陸均一周遊券、上野からの急行〔越前〕、深夜の碓井峠、ふと目を覚ました雪深い信越国境、などなどが散発的に思い出される。尾小屋の車庫にいるはずのC155が、スノープロウをつけて、ここ新小松にいたのは少し驚いた。
 いつもはラッシュ時(ここでそういう表現が妥当かどうか)だけの客車が、昼間も連結されていて、鉄道ファンや地元の人で結構混み合っていたが、それも“いつもよりは”という表現の範囲内。朝の下りの一番で適当なところまで行って、というときにキハ1とキハ3には何度か乗ったけれど、対向する上りに連結されるこの客車には、残念だがついぞ乗る機会がなかった。
 牽引する気動車が大きく見えるこの客車、今となっては西武山口線の木造客車をハードサスにしたような乗り心地かと推測する他はない。
     
   新小松〜西吉竹間を“快走”するキハ1+客車1両。シンプルな台車とエンジンの下回りが、ファインダー越しでも印象に残っている一枚。車内はほとんど“同病相憐れむ”状態だが、スシ詰めというほどでもなく、まだ余裕の空間が見える。
 60〜70年代は路面電車と軽便鉄道が急激にその数を減らした時代であった。21世紀の今、路面電車はその存在価値が見直されているが、軽便鉄道はどうにも分が悪いままだ。路面電車の復権ぶりに比べ、“交通機関としての軽便鉄道の優位性を挙げよ”と言われても、そう簡単には思いつかない。 路面電車との対比で言えば、現代の軽便鉄道は新交通システム、ということになるのかもしれない、と無理やりこじつけて考えてみたりするのが精一杯だ。
 路面電車のプロトタイプを偲ぶものは明治村にあるが、軽便鉄道のそれはインフラという形で全国そこかしこの遊園地にある。

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