国鉄153系


 東京育ちには165系よりも馴染みが深い。顔付きは顔の下半分をマフラーで覆った山男のような165系の方が好きだが、長大編成を組んだ時の編成美は先頭車だらけの165系を遙かに凌ぐ。晩年は東が東海道・伊豆・房総の急行運用に、西では画期的な新快速の運用に就いていたが、それぞれ185系、117系へと発展的にそのコンセプトを譲り、最後まで幹線の優等列車の運用をこなしながら国鉄時代末期にその姿を消してしまった。
 弟分とも言える165系は山岳線対応で短編成の小回りが利いたためか21世紀まで生き延び、近頃は最後の活躍を記録する人も多くなってきたが、果たしてそれらの何人が153系に思いを重ねているだろう。雪山をバックにした165系の中央・上信越急行の凸凹編成も懐かしいが、ビュフェ2両を従えた美しい12両編成に代表される153系は165系にはない“シティボーイ”の雰囲気と共に今も記憶に鮮明に残る。


   ’72年、東京駅にて。急行〔伊豆〕か〔おくいず〕のどちらか。153系は165系のように正面貫通幌の台座が固定されておらず、扉回りがシルバーで良きアクセントとなっていたが、この頃は順次オレンジに塗られてしまっていた。側面では181系や157系でおなじみの台車がこの形式を自己主張している。
 この数年前の御殿場線電化に伴って乗り入れる165系の3連が併結されるようになったが、まだまだ東海道線が153系の天下の時代の一枚。 新幹線岡山開業が近づき山陽線の急行の動向が風雲急を告げ、翌年には新快速のデビューと、153系激動期の幕開けの年でもあった。
 この翌々年の九州行で大垣夜行(当時は列車番号で呼んでいた)、急行〔比叡〕、新快速と期せずして153リレーをやったが、新快速の走りっぷりには、東京口の急行の少し気取った軽やかさとはうって変わった野性味が感じられた。本当にあの列車は速かった、と今でも思う。
     
   ’76年、早川−根府川の橋梁を行く初期の低運転台車の編成。
 東海道筋の急行ビュフェはこの時期とうにリタイアしていたので、遠目には普通か急行かは判らない。編成中のグリーン車は既に165系化されていて、153系の老朽化と共に先頭車にも165系を組み込んだ編成が多くなっていった。 ただこの頃、この線は写真の編成より面白いものがたくさん走っており、これはついでにシャッターを切った一枚に過ぎない。
 これから約10年後に153系は形式消滅、それから更に10年余、細々と走り続けたグリーン車2両の優等編成の王道たる急行〔東海〕が終焉を迎える。ただ急行〔東海〕は時期的にも実質的にも153系の消滅と共にその役割を既に終えてしまっていたのだと思う。
 急行〔東海〕カウントダウンの頃、グリーン車付の編成に郷愁を覚えこの近辺で見送ったことがある。久しぶりに見た165系の本格編成だったが、この景色にはやはりオレンジマスクの153系が似合っていると、その時にして強く感じたのであった。

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