営団2000系
今は車両が統一されている銀座線、70年代は車両の見本市のようで趣味的には面白かった。ただそれは後から振り返っての物言いで、当時は走ってうるさいボロ電車の集まりのような印象しかなかった。そんな中での2000系は丸ノ内線にはないエアサス台車を履いて颯爽と走っていた印象が残る。子供心には茶色に塗った屋根と併せて洋菓子のプリンのような洒落たイメージを抱いたものだ。
年月を経て、銀座線とも縁が薄くなり、都心に通勤するようになった頃再会した2000系は、あの頃と違って屋根まで黄色く塗られていた。それは“プリン”というよりは“玉子豆腐”であった。
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渋谷駅到着ホームにて。まだこの先の車庫がビルの谷間になっておらず、玉電の名残もあった頃。今は塗り固められている背景の明かり取りのガラスが洒落た雰囲気を醸し出している。 この当時までは、「地下鉄は夏涼しく冬暖かい」と言われていたが、今は夏は人いきれで暑苦しく、冬は冬で電車の気密性が向上し、これまた暑苦しい。車載エアコンの小型高性能化は想像を凌ぐスピードで進み、不可能と思われていた銀座線・丸ノ内線への搭載が可能となって今に至る。制御方式の問題でもあったが、トンネル冷房なんて苦肉の策も結構長く続いたものだ。 当時の渋谷と言えば、東急と井の頭線のステンレス車体が眩しすぎる光を放っていた。今は軽金属無塗装の車体が当たり前で、そんな中イベントで銀座線や丸ノ内線で当時の塗装のラッピング車が走ると、懐かしさを通り越してとても新鮮に映る。 |
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中野坂上にて、方南町支線の丸ノ内線仕様の2000系。何を狙って撮ったかよく解らないアングルで、いつもながら写真センスの無さを痛感する。強いて言えば、写り込んでいる人物や天井釣り下げの時代がかったファンから70年代初期の風俗と空気を垣間見ることの出来る結果オーライの一枚。 この塗装も似合うと言えば似合うが、サインカーブの有無については意見の分かれどころであろう。また、同線の車体幅に合わせるために、ドアの所にステップが取り付けられていた。 この2000系、’93年の引退後も小ぶりな車体が幸いしてか日立電鉄と銚子電鉄に売られて行ったが、両社とも経営状態が極めて良くなく、存続が危ぶまれている。やっと陽の目を見る職場を得たかに見えたが、嫁入り先というか就職先に恵まれない電車である。 |