池袋
西武、東武の両百貨店がまだ今ほど大きくなく、西口はまだ何となくいかがわしく、東口にはサンシャイン60などは勿論なく、現東北・高崎線ホーム辺りには旧型電機が2軸貨車をいっぱい牽いて発着していた頃の池袋でのスナップである。練馬で物心ついたこともあり、地下鉄・都電・トロリーバスも発着していてデパートもあった池袋は自分の中ではいまだに大都会である。
これらの写真を撮った72年頃は都電もトロリーバスもなくなっていたが、特急も急行も来ないこの駅での当時なりの“空気のような存在”の電車の写真が数枚残っている。
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赤羽線の、確かカナリヤ色の101系。記憶が正しければだが、今の山手線外回りのホームではないだろうか。6両だったか8両だったかは覚えていない。今の埼京線の混雑ぶりからは想像もできないが、この当時は首都圏の一ローカル線である。 地下鉄東西線の全通、総武快速線東京地下駅乗り入れ等でこの当時首都圏東部の通勤輸送は飛躍的改善を見たが、北西部においての通勤インフラは脆弱でこの翌年にはあの上尾事件が起きる。 埼京線の開通からバブルを挟んでの池袋から渋谷界隈の発展は、この通勤インフラの整備と表裏一体を成している。 |
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東武東上線の旧型車。これら旧型の晩年に東上線を使って通勤していたことがあり、あまり意識はしなかったが通勤利用者の視点で多分最期を見届けていると思う。 この後間もなく東武電車はあのクリーム色一色になって行く。初めて目にしたときは“新塗装が間に合わず下塗りのまま動かしている珍しい事態”と解釈したが、それが新塗装そのものだと知ったときの違和感は筆舌に尽くし難い。当初は酷評され、見慣れてくる頃からも“サビ止め電車”などと揶揄され続けていた。この会社、車両自体は地味ながら質の良い物が揃っているだけに、何とも勿体ない一時期であった。 どこかの大統領だったかが“男は40過ぎたら自分の顔に責任を持て”と言ったそうだが、このクラスの電車にも見事に当てはまる。もっとも電車が自分で塗り替えるわけでもないので、そこは会社側のセンスと配慮に加えて懐具合であろう。 |