日暮里の朝


 東北・上越新幹線開業はるか前、夜行列車華やかなりし76年頃の日暮里周辺。子供っぽさが抜けないのか特急列車ばかりに目が行って、この辺りの名物とも言えたEF56とか57はおろか58も写っていない。
 西武線の始発に乗ってきたので恐らく6時台。今なら時刻表を見ながらの撮影になるが、この時代この時間帯は夜行の到着と回送、昼行の送り込みと出発で時刻表など見ているとその間に1本や2本は行ってしまう。シーズン盛りのハゼ釣りのようなものだ。
 新幹線の開業など頭の片隅にも無く、今で言えばたまのゴルフの合間に行く練習場のような感覚でシャッターを切っていた。ゴルフも然りだが、こういうところで手を抜かないのが物事の上達の秘訣ではないか、という悔恨めいた教訓をこの周辺での写真は示している。


   朝靄の日暮里を通過、終点まであと数分の特急〔ゆうづる○号〕。右上は朝早く出る秋田行きのDC急行〔おが〕だったように記憶しているが定かではない。今はその直下を同じく秋田に向かって新幹線〔こまち〕が走っている。
 20系も晩年とはいえまだ屋根回りの白線がある特急仕様である。この白線が消えてしまった急行時代は、人間で言えば眉毛を剃り落としたようで、折角の美しさが台無しだと残念に思っていた。
 それにしても20系客車の優美さは写真でも記憶の中でも際立っている。蒸気機関車の力強さそのものは“文明”だが、20系〔あさかぜ〕や特急〔こだま〕号のフル編成なんかは“文化”であると思う。文明はいろいろなところで保存され一部は復活したりしているが、文化は記憶の中で風化して行くだけなのが何とも寂しくもどかしい限りである。
     
   東北線のクイーン、特急〔ひばり〕。エル特急などと軽めの呼称が付いたとはいえ、食堂車を連結した堂々たる12両くらいの編成で僚友の〔やまびこ〕や〔やまばと〕などとともに東北本線を飛ばしていたのだが、あの揺れる食堂車内でのサービスは今思い出しても神業だったと思う。
 急行列車のビュフェはこの頃の上信越や中央線を最後に営業を休止していったが、特急の食堂車はまだまだ元気だった。
 奥を走るのは山手線の非冷房の103系。今改めて見ると“旧型国電”といっても差し支えない風格を感じるが、この当時103系やこの〔ひばり〕の前後を走る115系などは、本家の旧型国電を駆逐するためにフル生産の真っ最中だったのである。
 つい昨日のことのように思えるが...。

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