ああ上野駅


 掲題の歌に代表される世代でもないしまたそういう経験もないが、上野駅の地上ホームで列車を待っているとその雰囲気くらいは何となく解る。この頃はまだ中長距離列車が朝から晩まで絶え間なく発着しており、名実共に“東京の玄関口”だった。人によっては“玄関口”は東京駅で、上野駅は“勝手口”だ、なんてことも言っていたようだが、発言の意図を詮索しなければ上手い表現だと思う。
 最近はこの駅近辺で飲んだ帰りにたまに地平ホームに寄ってみることがあるが、往時の賑わいは全くない。ただ数少なくなった寝台列車の電源車から出る排気と騒音が鼻孔と鼓膜を通じ往時の記憶を呼び覚ます。汽車の汽笛が...とは言えない東京育ちは、悲しいかなその“臭気”と“騒音”が郷愁なのである。


   75年、夕暮れの上野に到着した山形からの特急〔つばさ〕。1/15秒、手持ちのためブレているが、後方の交直流急行電車と共に雰囲気だけを味わっていただきたい。
 撮ったのは今や伝説になろうとしている“スト権スト”の直前。今はストライキと聞くと何処か遠い国の出来事のようだが、70年代を通じこの国でもエンドユーザーを盾に取る労働争議が公然と公共交通機関で行われていたのである(いまだにやってる航空会社もあるが)。
 スト権よこせ、とストをやる連中にそんなものを与えたらどうなるかという世間の見方とは裏腹に8日もやるにいたっては市場感覚の欠如ここに極まれり、である。利用者にも政治にもそっぽを向かれた国鉄が解体に向けて大きく舵を切る契機ともなった。もっとも当時高校生の自分にはたまのストライキの休校は結構楽しかったことも事実で、本稿は人間は時と立場に応じその時々勝手なことを言うものだ、という良い見本である。
     
   74年、発車を待つ特急〔はくつる〕。東北・常磐線で583系がフル活動していた時代。
 ここ数年飛行機乗る度に思うことは、この地上ホームの賑わいや本質的な部分は決して消滅してしまったのではなく、そっくり羽田空港に来てしまったのではないだろうか、ということである。バス連絡の搭乗ゲートやその周辺の売店はまさに“21世紀の上野駅地上ホーム”と呼ぶに相応しい雰囲気を持っている。
 出会いや別れの舞台としても時代の主役はやはり羽田空港に軍配が上がる。この当時「なごり雪」という歌がヒットしたが、一人に一台携帯電話という現代は“終生の別れ”というテーマを描くのは難しくなった。羽田であれば少なくとも“別れ”から1時間は携帯も通じないが列車は動き出しても電波は届く。
 「なごり雪」に今もうひとフレーズ付け加えるとしたら、歌の中の二人は発車前言えなかったことをお互い携帯にメール出し合うのか、それとも相手番号のメモリを消し合うのか。何れにせよ“ナンかな
...”と苦笑を禁じ得ない。

戻る TOPページへ