E851の時代


 ASカー、レッドアローの陰に隠れてはいたが、こちらの世界の住人にとっては西武秩父線三点セットを構成する主要メンバーである。“業務用”なので会社も西武ニュースなんかで広報することもせず、結構地味に横瀬と池袋、国分寺の間を主に走っていた。国鉄の EF65なんかは大して大きく感じなかったけれど、小川駅で初めて見たときはその大きさに圧倒されたものである。
 秋津に立派な短絡線が出来、編成が短くなって、もうその巨大さも感じなくなった頃、派手な引退興行を花道にリタイアした。それは一電気機関車のさよならイベントとしては空前絶後のものであり、機関車自体も“泣いて喜んでいる”ように見えた。


 小手指の西所沢寄りの踏切付近で。今はこんなに見通しは良くない。枯れススキがこの頃、この辺りを象徴している。
 この風景に重なる音と言えば、釣掛や赤白701系の軽やかなモーター音、25mレールのジョイントを刻むリズム、自動空気ブレーキの緩解音、それと上空の自衛隊機の腹を揺さぶる爆音と来る。
 経済成長と一極集中はこの辺りをも住宅で埋め尽くしてしまい、電車の編成も長くなり、そして何といっても速くなった。のんびり貨物を運んでいる時代ではなくなってしまい、今は“同期生”である101系が“若手”に追いまくられるかのように走っている。この写真の頃は軽快にも力強くも聞こえた101系のモーターの音は、今は時折悲鳴のように聞こえることもある。
   
 東吾野にて74年、午後の日射しを浴びる下り列車。JR12系を牽いたイベントの時はこの近辺で撮った。
 考えてみればこの機関車も12系客車もほぼ同じ時期のデビューである。当時、実現させたい組合せとして、ファンの誰もが考えた事が(多分関係者の敬意を表すべき努力と苦労により)最後の最後で実現したわけだが、この世界はまだまだ無数の“ベストカップル”が存在する。こんなサイトを開いておいて言うのも何だが、こっちの世界は懐古趣味もいいけれど、このE851の出た時代に比べ未来への夢という視点が随分後退している気がする。
 とは言うものの、山間の駅で出くわしたこの機関車の存在感と迫力にはやはり圧倒される。横瀬のイベントの時に庫から引っぱり出されるが、この写真なんか見ると懐古趣味的には“やはり野におけ何とやら”との感を一層強くする。

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