荷物電車
いかにも、といった塗装と形状の荷電が3,4両在籍していて異彩を放っていた、と記すべきところだが、70年代前半の首都圏においては荷電という存在は別段珍しいものでもなく、ホームで電車を待っていると時たまやってきて荷物をドサドサッと降ろしてすぐ走り去って行く、というのが日常的な光景だった。
当時の国鉄でも首都圏の中距離列車にはよく連結されており、その成れの果ては一部の私鉄では工場の片隅で、JRにあっては旅客化されローカルの単行輸送で見ることが出来、かすかにこの時代の雰囲気を今に伝えている。
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小川駅にて、CANON VTというクラシックなレンジファインダーカメラにて撮影したクモニ1。至近距離でのファインダーとレンズの視界の差という基本的な事柄を知ったのは、大分後のことである。 拝島線も国分寺線もおよそ20分に1本、たまに貨物列車と荷電が来るといった調子で、この当時はのんびりした駅だった。 支線の交差駅の割にはこの駅は橋上式で、当時の本線駅のどこよりも立派な造りだった。東口にブリジストンの大きな工場や社宅、西口に幾つかの私立学校などがあったから、そのあたりの関係もあったのかもしれない。 今、列車の本数は当時のおそらく倍以上になったが、それが相変わらず平面交差しているわけで、考えてみれば大したものである。 |
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小手指にて、5000系と並ぶクモニ2。この当時の最新鋭組と最古参組の取り合わせ。 今鉄道貨物輸送は衰退してしまい、街にはトラックが溢れている。地球環境と資源を考えた場合、特に首都圏においては小回りの利く荷物電車というコンセプトは今一度検討に値するのではないだろうか。 今後の通勤通学客の伸びも期待できない中、何かチャンスを与えることは出来ないものかと時折考えることがある。 この頃に比べて今は殆どの路線が都心をくぐり抜ける事が出来るようになっており、加えて定時制と高加減速という視点からは新時代のロジスティクスという表現もあながちオーバーとも言えないのではと思う。 素人考えながら、狭い駅前に溢れ返るコンビニやファストフードの配送トラック、首都高の渋滞を見る度にその思いを強くする。 |