山口線のKOPPEL−2
“遊園地の汽車のようでその実れっきとした地方鉄道”と必ず枕に一言振られた西武山口線。“酒癖は悪いけど根はいい人なんですよ”といった人物評と一緒で全くフォローになっていないどころか、かえって枕詞の前段を強調してしまっている。それ故か車両そのものは興味深いものが沢山あった割に蒸気機関車が登場しても玄人筋のウケは今ひとつだったように感じたが、そもそもが自称“おとぎ電車”なんだからそれも仕方が無い。とは言うものの世を挙げてのSLブームの真最中に唐突に現れてからこれまた世の中がバブルに浮かれようとする直前までのおよそ12年間の蒸機王国は、自分にとって日常生活の中で皮膚感覚で接した唯一の蒸気機関車であった。
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機関車が西武園側を向いているので確か72年、ユネスコ村駅。今のUFOと大駐車場の入り口あたり。写真に写る子供達も今は同じ位の子供の親になっているに違いない。 この頃の西武鉄道は所沢工場で101系の大量生産の傍らどこからか車両を持って来て手を入れて再び地方私鉄に送り出すようなこともやっていたので、この機関車もその口かと思ったりしたが、写真の木造客車が入線した時はその心配も吹き飛んだ。 70年代末頃に謙信・信玄の2両とも一回り大型の機関車に置き換えられたが、何と言ってもこのKOPPEL2号機+Wルーフが印象深い。当日の運用が信玄号と平屋根の客車だったりすると写さずにそのまま帰ったりもして、今振り返るとかなり贅沢なことをやっていたわけだ。性格的なものもあるが、家から自転車の行動範囲内の鉄道を丹念に記録している人を自分は尊敬する。 |
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左の電柱が邪魔だがなかなかよく撮れている。ネガでは機関車のディティールも出ているし、右の木の配し方も悪くない。願わくばあとワンテンポ引き付けて撮れば更に良かった。16歳にしてはしっかりしたカメラアイを持っており、将来が楽しみである...、と、まあ少年の心をを傷つけず、かつ無責任に評するとこんな具合だろうけれど、大体が左の電柱を入れる時点でこの人の写真のセンスは知れている。 75年、西武遊園地を出て踏切を渡った先の辺りで。この線意外と人工物が多く、当時から情景的にまとめるのは結構難しかった。国鉄のSLが引退したこの当時は、我々ファンの世界もSLと共にこの世界から足を洗った人、旧型国電や電気機関車に走った人、ブルートレインなどの特急に目覚めた子供達、等々の多様性が生まれた時代でもあった。それでもこの線にはいわゆる“玄人筋”の人達はあまり入って来なかったようで、結構のんびりカメラを構えたり時には自転車で併走したりが出来た。今やったら罵声とパニックは必至である。 |