山口線のKOPPEL


 中学2年のある日、学校で友人の一人が“多摩湖に蒸気機関車が走っている”というようなことを言い出した。どうせ遊園地の中の汽車のことだろうと思って相手にしなかったがそれでも熱心に“本当だ”と言うので、それでは、とその友人と放課後に自転車に乗って西武園方面に向かった。
 結論から言うと、見事に本当だった。おとぎ電車の線路沿いに走ると、やって来たのはいつものバッテリーロコではなく、煙を吐いた、小さいながらも本物の蒸気機関車の試運転だった。


   今は跡形もなくなってしまった西武遊園地前駅。列車が2本並ぶのは、休日ピークダイヤだったと思う。 新交通システムとなった今も遊園地の一日フリーパスで乗り降り自由なのは、様変わりしてしまった今もこの頃の路線の性格を引き継いでいるからだろう。ダイヤは少し前の東急こどもの国線のようだった、と言えば想像がつくのではなかろうか。
 乗り心地は何とも形容し難いが、今で言えば黒部峡谷鉄道のそれに近い。今風に言えばさしずめ“トロッコ列車・トトロの森レイクサイド号”か。後に井笠鉄道から購入した木造客車の方が乗り心地が良かったのには苦笑させられた。
     
   営業開始間もない頃、木造客車購入以前は、雨天・冬季用客車を赤く塗って使用していた。この頃は国鉄のSLもそこそこ健在で、世間のSLへの注目度もそちらの方が高かった。北海道で最後の9600が火を落とし、現役SLとして注目を一身に集めんとしたところ大井川鉄道でC11が復活してしまい、追って国鉄の方の山口線でC57が走るに至って、話題は常にそちらが先行してしまった。そしてその頃には西武がライオンズの買収を明らかにしたことで、この路線自体の運命が決まってしまったわけである。この線が新交通システムに姿を変えてからSL復活が本格化したのは何とも皮肉なものだった。
 今なら大ニュースのSL復活も、この時は多少際物扱いでもあった。
     
   西武遊園地前駅にて、到着後の機廻し作業中のKOPPEL2号。この辺りは今はジェットコースターの敷地になってしまったのではないかと思う。
 登場時は写真のように機関車は西武園方を向いていたが、後にユネスコ村向きになった。小学校の遠足は歩いてこの辺り、というのが多く、それ以外でもこの山口線はよく乗った。
 右奥の車庫をかすめて左にカーブし踏切を渡って、という情景は下から突き上げてくるジョイントの衝撃と共に今も脳裏に鮮明である。

戻る   TOPページへ