癌、人工肛門のコーナー
(46)死への恐怖 

妻を支える人たちがいた

肉親や、職場の同僚や、マラソン仲間や、だれかどうか毎日顔を見せてくれた。
しかし誰よりも骨身を削っていたのは妻にほかならない。
私が少しでも快適に過ごせるようにと、妻は病人以上の激しいプレッシャーを背負いながらも、それを顔に出さずに必死になって努めてくれていた。

この心身の緊張は、とても一人だけでは持ちこたえられない。その妻を親身に気遣い気持ちの支えとなってくれる人たちもまた多かった。あるときは妻の体を気遣い、食事の差し入れをしてくれる人。あるときは時間も気にせずに心行くまで話を聞き、相談に乗ってくれる人。そんな友人たちが心の支えであり、今は遠慮しないでその好意に甘えることにしていた。
いつの日かそれを返せる日があるかもしれない。 そんな人々がいてくれることが、崩れそうになる気持ちを立てなおし、がんばるエネルギーとなっていた。

四六時中妻の頭を離れないのは『癌』のこと。そして『死』ということ。
リンパ節からの転移はどうなんだろうか。 すでに他の臓器に転移して増殖をはじめている確率は高いものと覚悟しなけれぱならない。 お金はかかっても良い。癌の特効薬はないのだろうか。 それに呼応するように周囲からはさまざまな情報がもたらされる。
何年かしてから妻が述懐していた。

「もちろんみんな好意で言ってきてくれるのだけど、こういう薬が効いたらしいから試してみたら、○○療法というのがあってよく効くそうよ、もうだめだと言われた人が××様へお参りしたら奇跡的に回復した、どこそこの水が癌に良いなど、いろいろなことを言ってくれるの。 あんまりいろいろ言われると、藁にもすがりたい気持ちもあったりして何がなんだか分からなくなってしまうのよ。そんなとき『絶対信頼できる人を一人だけ決めて、その人に相談するようにするのが良い』と教えてくれた人がいたの。あの一言はありがたかったわ」

幸い妻には心底信頼できる一人の友人がいた。Mさんである。
朝を待ちきれずに深夜訪ねて行って、自動車の中で夜の明けるまで話を聞いてもらったこともあった。 妻は私の看護に身も心も傾け、その妻の心身の疲労を癒し慰め励ましてくれていたのはMさん。結局私は妻とMさんの看護に支えられていたことになる。

死を現実のものとして意識するということ

リンパ節に癌細胞が発見されたということは、転移の可能性がきわめて高いということである。常識として素人にもわかる。もう快癒を期待するような甘い段階でもないし、余命がどうこういう話でもない。
ふと『葬式』という言葉が頭に浮かぶ。
K医師も「多分1年は大丈夫だと思いますが、その先はなんとも言えません」 という言い方をしている。
死を現実のものとして考えなくてはいけないかもしれない。 浅い眠りの中で葬式の夢にうなされ、はっとして目が覚めることが再三あった。お葬式の段取りが出来ずにうろうろしている夢、死亡通知をどうするのかわからずにおろおろしている夢・・・・・。生気を失った土色の夫の顔が迫ってくる。うなされて目が覚める。

一方私の方はK医師から癌を否定されて救われた気分になったのもほんのいっときだけ、冷静になって一夜を過ごすと、やはりその言葉を鵜呑みにはできなかった。 私が癌だと自覚したのは根拠のない憶測だけではない。あの健康雑誌や講演記録、思い起こせば最初「黒(癌)に近い灰色」と言われた言葉など、裏付けられるのはたくさんある。
周囲は隠しているのだ。それにちがいない。
もう看護婦に「本当の病名は?」と言って責め立てることもなくなって行った。代りにそれは内にこもっていった。癌への認識は、押さえがたい死の恐怖を伴って、奥深いところへと沈殿して行くようだった。 死を見詰める恐怖、死と対峙する厳しさがひしひしと迫ってきた。 もうすぐ死ぬのだろうか。 死ぬってどういうことなんだ。でも肉体はまだぴんぴんしている。とてもすぐに死ぬような気はしない。死ぬのはいつなんだ。

これだけ医学が進歩しているのに、いまだに「癌=死」という図式が当たり前のようにまかり通っている。
癌患者は、癌を自覚したときから否応なく死と向き合わなければならない。厳しすぎる宿命であった。
癌と無縁の人が頭で考えるような甘いものではなかった。人工肛門への恐怖も確かに大きかった。しかし「癌」、それは別次元の恐怖、イコール「死」という次元の話である。

恐れおののいていたとき、こんな話を思い出した。
自分は癌かも知れないと疑っていた高僧の話です。
「先生、私は長年修行を積んできました。何を言われても動ずることはありません。どうか安心して本当の事を話して下さい」
という申し出に、この人ならきっと動揺することなく正面から受け止めてくれるだろう。しっかりと最後を生き抜くだろう。そう確信して医師は癌であることを告げました。
「確かに癌です、あと1年どうでしょうか・・・」
それを聞いた高僧は、その後すっかり落ち込んでしまい、ときには平常心もなくし、意欲を失い、やがて1年を経ずしてなくなったと言うことです。
死を自分のこととして意識したとき、人間ががどれほど厳しい状況に置かれるかということだと思います

節分の夜、 「早く病気を追い払うように一緒に豆まきをしましょう」と言って看護婦が回ってきた。
みんなの遠慮がちな声の中、私は場違いな大きな声で「鬼はそと、福はうち」を何回も繰り返した。
(もどる) (つづく)
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