≪初マラソン完走の手記≫ | |
東三フルマラソ 1982年(昭和57年)3月7日 45歳 2週間前、不調ながら青梅マラソン30キロ完走(2時間38分30秒)。そして一週間前はクロスカントリースキー大会10キロに参加、激しい体力の消耗と、その夜から始まっ下痢・腹痛。そんな不安の中でフルマラソン初参加の日を迎えることになってしまった。 ジョギングを始めてから2年10カ月のことであった。1キロ走るのも大変、大会に参加するなど思いもよらなかったのに、いつの間にか10キロ、15キロそしてハーフ、30キロと長いレースへ挑戦ししていった。最後の目標は“フルマラソン”、困難な課題であるのは体と足が百も承知していた。思いつきや冷やかしで完走できるものではない。でもいつかはその夢を実現するためのスタートラインに立とう、苦しみに耐え抜いて走り通してみよう。 その願望の実現には、毎月最低300キロ以上の走りこみと、それを2年以上続けてから挑戦すべきだと言われている。そんな話を聞くと腰が引けてしまう。 下痢により一過間で二キロの体重減。
気持ちよく晴れ渡ってはいるものの、強風注意報も出るほどの風の、フルマラソン初参加の私には無情である。 10ロ、15キロの短いレースと違い、最初からスピードを上げて飛ばさなくてもよいためか、気分的にはリラックスしてスタートを待った。「最初の10キロは徹底したスローペース」と考える。目標タイムは3時間40分、しかしこの強風の中、4時間を切れれば上出来、とにかく歩かずに完走することを心掛けて走ろう。 ところがレースともなれば、つられてどうしてもオーバーペースとなってしまう。向かい風の強風の中、5キロ通過が24分台、10キロが49分台は予定より2分も早い。 体調の方は案じたほどのこともなく、比較的楽に10キロ、15五キロを通過。このあたりではもっぱら追い越される側に甘んじる。多少のアッブダウンはあるが、全体としてはフラットで走りよい。ただ強風だけが気になる。 折り返しが近づく頃より、歩いているランナーもあって、一人二人とぼつぼつ抜くことができるようになってきた。風はますます強く徐々に疲労を感じはじめる。2週間前、私と同様青梅30キロを走ったという人と話しながら、約1キロを並走後、ペースを上げて折り返しへと向かった。 折り返し地点で2回目の給水、通過順位は136位と教えられる。これから折り返しに向かうランナーと次々すれ違う。私の後にはまだ多くの人が走っているのが分かって安心する。 疲労感が強まるとともに、風の冷たさが肌にしみる。つらい風だ。歩いている人がだいぶ増えてきた。27キロ過ぎから足が前に出なくなる。ピッチは落ちストライドは伸びず1キロが6、7分とがた落ち。完走への不安が初めて頭をよぎる。歩いている人を見ると自分も歩きたい誘惑にかられる。しかし何としても完走だけはしたい。一寸でも歩いたら4時間を切れないどころか、再び走り出せないかもしれない。“歩きたい、走れ”葛藤の繰り返しがつづく。歩いている人が更に増えて来る。 どんなにゆっくりでも走っていれば歩いている人を必ず追い抜ける。もうかなりの数を抜いている。青梅30キロも歩きたい誘惑に最後まで打ち勝って完走したではないか。今日だって完走できないはずはない。 喉がからから、31キロの給水所はまだか・・・フルマラソンはもうこれ一回だけにしよう。考えていたよりずっとつらい。「すぐ給水所ですよ」の声に励まされてようやくたどり着き、水を補給。最後の給水である。だがまだ11キロもあるのか、42.195キロがとてつもなく長い距離であることが身にしみてくる。5カ月前千曲川堤防での42キロ練習走を這うようにして走った時の光景が目に浮かんできた。完走できっこない、ここで止めよう、いや頑張るのだ。足が重いだけで痛みがあるわけじゃない、走れないはずはない。 ガンバレ、自らを叱咤激励しながら残り11キロに向かう。1キロ行くともう足を前に出すのがやっと、気力だけで走りつづける。35五キロ地点に予定外の臨時給水所がある。飛びつくようにして水を飲む。乾いた海綿が水を吸い取るようだ。 風は相変わらず強く、更に冷たい。気持ちとしてはもう完走を半ば諦める方へ傾き『どうせ駄目なら最後の力を振り絞って、走れるところまでかっこう良く走ってやろう。カ尽きたら歩くかりタイヤしてもいい。よ−し走ってやるー』開き直ってピッチを上げた。残念だが夢に描いたフルマラソン完走は無理だったか。 足を上げストライドを伸ばして・・・ピッチよし、腰の位置も高く腕も振れている。しかし1キロか2キロが限度だろう。300メートル、500メートル・・・おかしい、どうしてこんなに足が軽いのか、登り坂も苦もなく駆け抜ける。歩いている人は勿論走っているランナーも楽に追い抜いていく。一人また一人・・・1キロ2キロ、ペースは落ちない。スタートしたときと同じ身の軽さである。完全にリズムに乗っている。体全体のバネも良く効いている。 自分でも信じられない。夢ではないか。沿道の応援の中に「いいフオームしているね」という声が聞き取れる。私のことだとわかって、ますます気分良く調子が上がる。ストライドが伸びて気持ちいい。しかし風は相変わらず強く川沿いの道では、向かい風に呼吸も詰まりそうだ。休も前に進まない。 「ゴールまで四キロ」の声。 あと二十分だ、何もかも終わるのだ。完走への不安は完全に消えていた。途中で歩いたりリタイヤしないでよかった。昂ぶる気持ちがこみあげてくる。 前方にゴール地点の体育館の丸屋根が見えて来た。あと二キロだ。もう葛藤も不安もなく、ただゴールすることだけが頭の中にあった。ゴールの瞬間の喜びを頭に描き、完走の喜びに浸る姿を思い浮かべて足を運んだ。軽快な足取りも最後7、800メートルでは鉛のように重くなってきた。悲壮な気持ちはなくただゴールのみを考えて一歩一歩踏みしめ走りつづけた。 「あと三百メートル、ガンバレ」 声援に最後の力を振り絞。すぐにこの苦しみが終わる、もう走らなくていいのだ。 ゴールの瞬間、幾つかの拍手が私の耳には完走を称える万雷の拍手に思えた。しかしランナーを迎える人々の顔も情景も目に入らなかった。ただくっきりと目に映ったのはゴールを示す白いフィニッシュラインだけった。白線をまたいだとたん、周囲の世界がすべて消えて空っぽの世界にポツンと一人残されたような虚脱感と放心があった。ゴールを駆け抜けて30メートルほど走ってから、そのまま大地に仰向けに寝転んだ。空の青さが目に痛かった。目を閉じた。身体の芯の奥の方からじわじわと脈打って来るものを感じた。それはやがて手足から指の先まで広がり、底知れない充実感となって全身を包んで行くのを感じた。 再びそこに座り込んだ。 途中幾度となく襲って来た挫折感や葛藤と戦いながら完走できたのはただ気力のみ、途中諦めていたあげくの完走も、3時間40分の目標達成も、あの苦しみを思うとき、十分な結果であった。 翌日は4キロを軽くジョグ、足が少し痛む。その翌日は朝7キロ、夕方14キロ走。その翌日は7キロ走のあとスキーへ。 |