「こころのバリアフリー」 7月4日(金)
6月21日から30日までフィンランドに行ってきました(残念ながら遊びではなく、学会があったからなんですが)。フィンランドといえば、スウェーデンやデンマークと並ぶ福祉の最先端の国。どんな施設や設備が整っているのか?街はどこもバリアフリーなのか?などいろいろなイメージを持って出かけました。
しかし、フィンランドの首都ヘルシンキの中心街を見てビックリしました。バリアフリーどころか、段差は多いし、道路は昔ながらの石畳で道はガタガタ。横断歩道でさえ路線バスが走っているので段差があり、全然バリアフリーではないと感じました。また、デパートの階段には後から板で代用している急なスロープがついているなど、これが福祉の最先端の国かなぁーと疑問に思ってしまうところもありました。
しかし、車椅子の人がいると、通りやすいように道をあけたり、食事においてもウェイトレスが配膳のお手伝いを自然としている。空港でも座席から車椅子への移乗も数人のスタッフがすばやくお手伝いしていた。「あーこの国は人と人との間がバリアフリーなんだなー」と感じました。
もちろんフィンランドでもいろいろな場面でさすが考えられているな!っと考えるところがありました。空港の車椅子には、棒がついており、人ごみに紛れないような方策をとっており、なるほどーと感心させられました。
私は、福祉施設を見学したわけでもないし、施設で働く人と話したわけでもない。なんとなく、北欧の空の下、こころのバリアフリーを感じただけかもしれない。しかし、言い過ぎかもしれないが、今の日本のように、なんでもかんでも、バリアフリーにするのも1つの福祉の方法であるが、それによって人の手と手が離れていってしまうのでは切ないのではと感じました。住みやすい環境、自立するための補助具、段差のない施設など、決して必要ではないとは言わないが、本当のところの福祉というのは、人の心の温かさではないかと感じました。
「コミュニケーションの距離」 12月14日(土)
12月11日、中日新聞の「支え合う」という記事の中で「痴呆の方とコミュニケーションを図るにはアイコンタクトが大切です。その間隔は70センチがいい。それよりも近ければ威圧感、遠ければ疎外感の恐れがある。」という文章をみかけた。これはスウェーデンのバルブロー・フェリックス医師の話で、医科学的な検証では70センチがいいそうだ。
私はこの記事をみてから、私は「前ならえ」をしてみて、その腕の長さを測ってみた。すると60センチくらい。「うーん」ということは、、、自分が手を伸ばしただけでは届かない距離か。相手が手を伸ばさなくては触れながら話すことはできないのかと思いました。私は施設で利用者さんと話すときは、ほとんど相手に触れている。これは自分ではそれほど意識していなかったが、ある時、後輩に言われて気付いたことなのだが、「うーん」私の距離はもっと近いぞと思った(もちろん近ければ近いほどいいということではない)。
私は今まで嫌がられない限り、できるだけコミュニケーションは近い距離がいいと思ってきた(もちろんある程度の節度はわきまえているつもりである)。この70センチは、アイコンタクトの距離を言っているのだが、それでも私にとっては遠い。僕はどれだけ近づけるかは信頼関係の距離でもあるのではないかなとも思う。だから私はレクリエーション活動の中で、心がけているのが、この人と人との距離を縮めるということだ。グループでレクリエーションを円形で行うときは、最終的には隣の人と肩と肩とが触れあうくらい近い距離になってレクリエーション活動を終われればいいなと思っている。
レクリエーションは言い方が悪いかもしれないが、人と人との距離を縮めることができる手段の一つでもあると思う。レクリエーション活動を通して、相手との距離を縮めることができれば普段の距離も縮まると思うし、普段のコミュニケーションで相手との距離が近づけば、レクリエーション活動での私との距離も縮まると思う。
レクリエーションをうまく使って、利用者さんとの交流が深まり、また他の人とも交友関係が広がり、信頼関係を築いていければいいのではないか。それくらいレクリエーションはパワーがあり、意味のあるものではないかと思う。
「サポーターの大切さ」 12月3日(火)
「福祉レク・ワーカー」のスクーリングからの第2弾!(だいぶ時間が経ってしまったが・・・)
私自身は普段、リーダー的な役割でレクに関わっているのですが、レクを行うときのサポーター(レクリエーション活動を補助するスタッフのこと)について、研修会でサポーターとしてレク支援に関わって思ったことを中心に書いてみたいと思います。
まず、研修会でサポーターをして、私はこの役が下っ手だなーと、そして、なんてこのサポーターが大変な役割なんだと感じました。何が大変か。1つは、リーダーはある意味全体をみなくてはいけないので(ちょっとおかしな言い方かもしれませんが)、サポーターが個々人をうまく見ていかなくてはいけない。例えば利用者の方の中で、気分が悪くなった方に対しては周りのサポーターが対応にあたらなくてはいけない。それから、何らかの障害を持った方、例えば片方の耳が聞こえないという場合、聞こえる方の側についてサポーターがリーダーの発言を補助しなくてはいけないこともある。そのときにいかにその方が気持ちよくレクを行える環境を提供できるか(安全面も含めて)は、サポーターの支援にかかっている部分が大きいと思った。
2つ目は「合いの手」をうまくいれなくてはいけないということ。サポーターのリアクションしだいで盛り上がるかどうかが決まるといっても過言ではありません。また時には、リーダーの説明が利用者さんにとってわかりにくそうだなーと思ったら、「今の説明は○○ということでいいですか?」というように聞きなおすということも重要であります。そのためにはサポーターもしっかりリーダーの発言を聞き、そして利用者さんの様子を見ていないとできない大切な役割だと思いました。
3つ目はリーダーの展開にうまく合わせる支え。あらかじめリーダーが今日は「○○ゲーム」を行いますと言って、サポーターさんと打ち合わせをしておいたとしても、利用者さんの様子や盛り上がり方によっては、途中で予定と違う展開しないといけない場合があると思います。そのときに、うまくリーダーに合わせながら、展開をサポートしていかなくてはいけない。これは、相当重要かつたいへんだと思います。
実際、リーダーだけがレクを行うのでは、利用者さんの個々人のことを考えるという点でも、安全の面でも、満足の面でも、雰囲気というか演出的な部分でも、いいレクが展開できません。これは、現場でレクを提供している方なら感じている問題だと思います。しかし、実際は日常業務の繁忙や何をどのように提供していいかわからないといった情報不足、そして施設の方針などによって、思ったようにレクを提供できない状況が多々あります(もちろん、すばらしいレクを提供している施設もあります)。
私はレクの効果を明らかにし、レクの重要性を行政に働きかけ、このような状況をなんとか変えたいと思っています。みんなで一緒に、より良い現場をつくっていきましょう!
「プロの視点」 11月29日(金)
先日、後輩のPTと介護現場でのレクリエーションを含む様々な話をしていたときに、後輩からいい言葉を聞いたので、紹介したいと思う。
「プロとはその専門職の視点から1つの物事が述べられる人のことである」というだ。今さらと思う人も多いかもしれないが、実際にはきちんとした知識と技術がないといえないことではないだろうか。 レクリエーションを支援する上でも、なぜこのレクリエーション活動なのかということをきちんと押えるということはこれまでに言ってきたが、介護者、看護者、PT、OT、ケアマネージャー、医師、そしてレクリエーション支援者などがそれぞれのプロの視点をもち、どのような「いきがい」ケアができるかということをチームで話し合えればレクのマンネリ化などという問題も、少しは解消されるのではないかと思う。
この理想をかたちにすることは難しいかもしれないが、まずは、ケアするスタッフがプロというの意識と視点をもちケアに取り組めればと思う。
「財におぼれて」 11月13日(水)
前回の日記の続きではないですが、昨日(12日(火))に行ったレクの感想を書きたいと思います。
昨日は、歴史的とか文学的とかで有名なカップル(架空の人物を含む)の名前を書いたカード(例:貫一・お宮)を何枚か各テーブルに配り、カップル同士組み合わせてもらい、順々にチームにカップルを答えてもらい、さらに、どういったカップルかということを答えてもらうというレクを行った(以前は利用者さんに書いてもらうという形をとっていたが、今回は前日にけっこう時間をかけてカードを作って考えやすいようにした。その方が、いろいろと話がでて盛り上がるかなーと思ったので)。
その予想通りペアを作る段階では各チームいつも以上に盛り上がった。しかし、いざ発表になると発言する方に偏りがでてしまった。ちょっと、財におぼれたというか、準備に手をかけすぎたからか、展開が単調になってしまったと自分としては反省している。事前に問題として出すカップルについては調べておいたが、にわか仕込では利用者さんのほうがよく知っていた。反省である。
他のスタッフにどうだったかを聞いてみたところ、「利用者さんは自分の歴史の中で知っていることを思い出したりできて良かったのではないか」また、「発言できなくても、うなずいている方もいたので、カードがあったおかげで、イメージしやすかったのではないか」という意見をもらった。
結局、この財を自分自身が使いこなせなかっただけだ。。。もっとうまく展開すればいろいろと利用者さんのいいところや自発性も引き出せたのではないか反省するばかりである。
「アレンジ」 11月7日(木)
久しぶりの日記です。先月から掲載しだした友人のスポーツコラムの方が、更新ペースが速いので負けていられないな!という気持ちなんですが、なにぶん今年で大学院の博士前期課程が修了なので修士論文を1月中旬までに書かないといけないので、なかなか日記にまで手がまわらず・・・ああ言い訳だ(掲示板にいろいろとお役立ち情報があると思いますのでそちらも見てください・・・ますますいいわけかも)。
さ、前置きはこのくらいにして、今日は先日いってきました「福祉レク・ワーカー」のスクーリングの1日目に学んだことから書いてみたいと思います。
「福祉レク援助のためのグループレク体験とアレンジ法」が初日最初の演習科目でした。その中では、レク財を行っていく中で、レクを展開していく上での心構え、どういう点に気をつけてレクを考え、支援していくかなど、再確認することができました。
そして、今回書きたいことは、アレンジについてです。演習のタイトルにも入っていますが、やはりいかにレク財をアレンジして、自分の関わる利用者さんに提供できるかが一つ重要なポイントになるということです。今回、演習の中で行ったレク財は、10以上あったと思いますが、まず自分のところで使えるものをと考えるとそのうち3、4個といったところでしょうか(嫌な性格ですね(言われる前に書いておきました(弱気))。そして使えると思った財でもやはり展開の仕方などは、「アレンジしなくてはいけないな」と思いました。でもまぁこれは当たり前のことだと思います。例えば、「グーパー」というレク財にしても(「レク財」に掲載)、目標を持って行うために、ある動作まで間違えずにできれば「○○歳」という展開方法もあれば、歌にあわせて行う方法もある。その時々の利用者さんにあった方法を選択し展開していかなくてはいけない。最近では、このHPのレク財も更新できていませんが、掲載しているレク財も一つの展開方法にしか過ぎないということです。私はこのHPで、レクのネタについては「レク財」で紹介し、レクの展開や進めるうえでのヒントみたいなことをこの「レク日記」や「掲示板」で紹介できればと思っています。
さて、そこでアレンジのときですが、まず心構えから言えば、いろいろやってみよう!という気持ちを持つことだと思います。正直、やってみないとわからないことが多いです。この現場では。ですから、「失敗しても次はその失敗を活かしていい方法を考えてやる!」という前向きな気持ちがあれば、どんどんいろんなことやっていこう!という心構えがいいと思います。
次に、一人で悩まないということですね。自分の考えた方法を周りのサポートしてくれるスタッフに「今日は○○っていう方法でやってみたんだけど、利用者さんの反応はどうだった?」とか聞くことがいいと思います(もちろん事前に話しできれば、さらにいいと思います)。
そして、司会になったときに一人で全部しようと思わない(無責任になれということではないですよ)。例えば、「定番ゲーム(名前は勝手にそうやって言っているだけです)」"簡単に内容を言うと「△△の秋」といえば、△△にはどんな言葉が思い浮かびますか?」というようなゲームです"を行っているときに、お題に困ったふりをして逆に、このゲームにあいそうな「お題」を考えてみましょう。特別ボーナス問題!みたいなふりをしてもいいので。。。そして、その出てきたお題を使ってしまうとか。レク活動で重要なのは、利用者さんが主体的にレク活動を行う"きっかけ"なんですからこれはけっしてサボっているのではないですよ(笑)。
"ものは言いよう"ですね。しかし、この言いようによっては、利用者さんをやる気にもさせるし、元気にもさせると思います。
最後に、この"言いよう"のためのポイントととしては、面倒かもしれませんが、インターネットとかを使って、ちょっと勉強するということが大事だと思います。「このレク財は、行うことによって利用者さんにどのような効果・影響があるのか?それも、身体には?脳(頭)には?心(感情)には?人間性みたいなところには?」ということをキーワードに考えてください。そしたらちょっとは、レク財の大切さ、意味がわかると思います。
久々に書いたのでだいぶ長くなりました。次回は、この最後に書いたキーワードの部分についてとスクーリングでの話も交えて書きたいと思います。
あれ!?今日はきちんと「アレンジ」というタイトルにあった内容、「アレンジ」のコツみたいなものが書けて伝わったのかな・・・という気もしますが、、、まぁいいやこれからもいろいろ書いてきます。今、足りなかったことは次に!ということでね。
「理論からはいる」 10月15日(火)
今日は久しぶりのレク支援の日だった。先週1週間、学会での発表のために仕事をほぼお休みにしていたので、およそ1週間ぶりのレクだった(しかも午前、保健所関係、午後はデイケア)。
今日の午前の参加者の方は地域の老人クラブの方々でほとんどが男性だった。これは、事前に情報として聞いていたので、まず理論からはいり、運動やレクを通して身体を動かすことを知ってもらってから内容に入ろうと考えました(内容はカレンダーを参照してください)。
例えば、「リズム膝たたき」をやるにしても、腰痛予防には体幹のひねりの運動が大切ですよ。それから、リズム膝たたきを「あんたがたどこさ」に合わせるならば次の「さ」では左か右かをしっかり覚えとかなくてはいけません。これはしっかり頭も使ってくださいね。という話をする。
そういった感じで進めていくと、みなさん始まる前よりも表情も豊かで、会話も弾みいい結果でありました(自分で思っているのだけかもしれないが・・・)。
そして午後のデイでは、火曜日はだいたい頭を使ったレクが内容としてあっている方々だったので、今日も、連想&記憶力ゲームをしてきました。火曜日の方々には以前から、「右脳では感性や芸術的な部分、ひらめきなどに活躍しており、右脳は、言語や記憶などの部分で活躍していて」、という説明を私がよく話しており、皆さんもそれを少しずつ理解してくださってというか、「これは楽しいだけではなくてなにかしらの影響があるんだ」みたいな雰囲気があり、私の中ではこれは頭の運動であるという「刷り込み」(いい表現ではないかもしれないが)になっており、「説明」というか、理論から行ってきたかいがあったとあらためて思いました。
以前に、「レクリエーション時間の雰囲気づくりが大切だ。レクの時間が意味のあるものだという雰囲気づくりができていれば、私が今日はこういうことをこういう目的で行うということを説明すると大体の方は入りやすい。」という話をしたが、レクの時間の入り方として、徹底的に理論から入るっていうのは1ついい手だと思いますよ。
「マンネリ化をうまく使う」 9月29日(日)
9月シリーズとして毎週火曜日(4回)にずっと通して行ってきたレクリエーションがあります。それは連想ゲームです。はじめは、「お」が頭につく言葉を「植物」「苗字」などの課題で回答してもらうということからはじめました。次の週は、「歌手」をテーマに「村田英雄」「三波春夫」さんの曲名を答えてもらい、三週目は「色」をテーマに「赤」「黄色」などのから連想するモノを答えてもらいました。そして最後に「ことわざ(四文字熟語など)」をテーマに「数字の入ったモノ」「季節を感じるモノ」といった課題で行いました。
よくレクリエーションのマンネリ化という言葉を聞きます。自分もレクの内容として常に新しいことをとこれまでよく考えていました。それは正直、なんかいも同じことを繰り返し行うと飽きられてしまうという思いが一番にあったからです。しかし、あえてその壁をひとつ乗り越えるために毎週同じ内容を行うということにチャレンジしてみました。そしたら意外にうまくいきました。マンネリ化どころか週を重ねるごとにこれまでレクの時に発言されなかった人が発言するようになったり、スタッフに「今日も私たちのチームで一緒に考えてよ」というご利用者さんの声も聞こえたり。「連想ゲーム」という内容から少し展開することでいい意味での慣れというか、私が行うことの理解がました感じを受けました。
どこの現場でもこんなにすぐにうまくいくなんていうことはなかなかないと思いますがなにかの参考にしていただければと思います。
「利用者さんの一人に焦点を当てる」 9月29日(日)
さて、今日は二本立てで日記を一気に書いていますが、連想ゲームの中で、「歌手」をテーマにしたことがありましたが、これには一つ、利用者さんの一人に焦点をあてるという目的がありました。一人に焦点を当てるというのは極端な言い方ですが、利用者さんの中に「村田英雄」と「三波春夫」のことが大好きな方がおられたのでその方の好きなことをテーマに展開したということなんですが、これが見事にはまりました。その方はレクのときはあまり発言されなかったり、毎回参加ではなかったのですが、そのレクを境に私に「今日もご苦労様」とか「ありがとうございました」と丁寧に声をかけていただけるようになりました。
一人に焦点を当てるなんていうことは、聞き方によっては他の人をないがしろにしているようですが、これを毎週つづけていけば、いずれ利用者皆さんが楽しく参加できるのではないかなーと思いました。
「展開に活路あり」 9月11日(水)
先日、連想ゲームを行ってきました。「テーマ」を「秋」で行ったのですが、いがいにたくさんでてきたので、さらに展開して、だしていただいた内容を「グルーピング」するということを行ってみました。そしたら全然予想しなかった枠組みがでてきたりしてたいへん盛り上がりました。
しかし、自然の流れに展開をまかせたために、ご利用者さんに自身が何を行っているのかがわからなくなるということに陥ってしまいました。これは「連想」することで、頭に刺激を与えることと、チーム対抗で行うことでチーム内のコミュニケーションを図るという目的を明確に伝えなかったために起こったことなので、今後この反省を活かしていきたいと思いますが、いろいろな展開方法があるなーと発見がありました。最近、レク財を更新できていませんが、、、新しい内容を考えて行うのも1つですが、ある1つのレク財で、展開をかえて、また違う楽しみ方を味わうこともいいのではないかと思いました。
「うれしかったこと」 9月6日(金)
9月から再び金曜日にレクリエーションを提供することになった。1ヶ月ぶりの金曜日の復活・・・正直、今日は始まる前からめっちゃ緊張していました。そんな僕の緊張をほぐしてくれたのが、普段は私に自分から話しかけてくることのないご利用者さんからの「あれ!あんた金曜日くるの!よろしくお願いいたします」といういたってシンプルな一言でした。1ヶ月ぶりでまた受け入れてくれるかなーという心配がその方の一言ですっかり解消されました。これからもご利用者さんと一緒に楽しいレクリエーションをつくっていきたいと思い直しました。
うれしかったので、日記に載せてしまいました(笑)。
「喜びと矛盾の間に」 8月8日(木)
今日は「美しい日本語の朗読」というレクリエーションを行った。内容は、歌舞伎の「弁天娘女男白浪(白浪五人男)」、浪曲の「森の石松」や島崎藤村の「初恋」をご利用者さんに読んでいただき、詳しい解説ができる方にはお話いただいたり、また当時のことをお伺いしたりという進行で行っていった。
今日(木曜日)の方にレクリエーションを提供するのは初めてだったので、どのような方々がおられるのかを知りコミュニケーションを少しでもはかるために午後からデイに伺った。最初はレクの時に、その歌舞伎の言葉などの書いたプリントをお配りするつもりでしたが、リハやお風呂から戻られた方に「もし時間がありましたら見てみてください」と言って早めに配ることにした。そしたら自分の予想以上に皆さんに好評で、レクの前からすっと目を通してくださったり、レクのときに、他のご利用者さんが読んでいるのを真剣に聞いておられたり、また「家でまたじっくり読ませていただくわ」といって喜んでそのプリントを持って帰っていただいたりとたいへんいい結果でした。
しかし、うれしかったのですが、自分の中に矛盾を感じるものがありました。それは自分は今日、ほとんど何もやっていないのです。下準備としていろいろな文献を用意しましたが、実際にはプリントをお配りし、読んでいただけませんかとご利用者さんにふり、感想をいただいたりしただけである。言ってしまったら内容、選んだ財がよかったからみんな喜ばれたのである。今はすごい矛盾である。でも、これが本来の姿のような気がする。レク財を提供する人のパフォーマンスですばらしく組み立てて演出することでは限界がある。特に高齢者の方にレクを提供させていただくようになってからずっと思ってきたことだが、やっぱり中身が重要である。そうすると自分の満足はなかなかすぐには得られないかもしれないかもしれない・・・
レクは、それぞれ個々人にとって、喜びであったり、癒しであったり、いきがいであったり、ときには休息かもしれないが、その人にとって自発的な時間ではないかなと思った。そうすると私達ができること、いや、しなくてはいけないことは"きっかけ"づくりなんではないかなと思った。(参考文献:齋藤孝「声に出して読みたい日本語」(草思社)2001)
「身近にあるレクリエーション財」 7月29日(月)
先日、テレビで方向音痴の人とそうでない人の違いをやっていた。部屋の掃除をしながら見ていたが、「方向音痴かどうかを調べる方法がある」という言葉にひかれ、じっとみることにした私は、ふっと「"方向音痴"がレクリエーション財として使える!」と浮かんだ。
方向音痴かどうかを知る方法およびゲーム内容については、レクリエーション財(方向音痴解消ゲーム)で見ていただきたいが、ここで私が言いたいことは、「こんなに身近なところにレクリエーションの財にもなりうる内容がある」ということだ。私の場合はレクリエーションで飯を食っていきたいと考えているから、四六時中、レクリエーションの財になることはないかとアンテナを張り巡らしている。現在、レクリエーションの財に困っている方やレクリエーションを担当される方もちょっとアンテナを今までと違う方向にも張ってみれば、意外に近くにレクリエーションの財になることってあるのではないでしょうか。
テレビ番組の内容をレクリエーションとして取り入れてもおもしろいと思います。本や既存の内容にとらわれるのではなく、ちょっと今までよりも広く目を向けてみてください。最初は多少のこじつけた理由を考えたりしないと財として使えないかもしれませんが、意外に使える内容が転がっているかもしれません。そしてそれは、今までの一方向のレクリエーションよりはちょっとおもしろいかもしれませんよ。
「介護現場のレクリエーションとは」 7月19日(金)
レクリエーションという言葉は、英語からの外来語である。英語の「recreation」は、「create(=つくる)」に「再び」を意味する接頭辞「re-」がついたもので、"再びつくる"つまり「つくりなおす」という意味である。(中略)人間について言えば、壊れた状態(病気)が癒えること、疲労から元気を回復することである。中世の英語での「recreation」には、疲れ果てて倒れている人に滋養を与えて元気にするという方法がある。レクリエーションは、次第に意味が広がって、元気になるための休養や気晴らしや楽しみのの活動そのものをも意味するようになってきた。((財)レクリエーション協会編集「楽しいをつくる」より)。
介護現場でのレクリエーションは、おそらくこの言葉だけでは定義できないと思うのですが、今の介護現場でのレクリエーションは、この言葉とくらべてどうでしょう。(ちょっと失礼な発言ですが、)支援者が一方的に提供しているような感じがないでしょうか?ご利用者さんにとって、楽しむというより、楽しまされる時間になっていないでしょうか。
私は、レクリエーション財は、提供するモノでなくて、媒介でないといけないと思っています。実際には、他の業務で時間がかけられなかったり、勉強する機会が少なかったりといろいろと問題はあります。それをどうしたら変えていけるか?根本的な部分から変えていかなくてはいけないと私は考えています。今のレクをどうすればもっとよくできるか。レク財を考えないといけないし、レクの位置付けを確立し、しかも意義の高いものとしての客観的なデータの裏づけのもと位置付けを行わなくてはいけない。
そんなことを考えている最近です。(もう半年も前からですが(笑))
「説明と雰囲気」 7月12日(金)
私がレクを行うときに支援者として心がけていることの1つに、行うレクの説明を丁寧にわかりやすく、そして意味をきちんと話すということがある。
先週の話だが、二人組みになり、それぞれが片手ずつ使って新聞を切り、どれだけ長くできるかというレクを行った。<「二人の新聞」としてレク財に掲載>
一見単純だが、このゲームの目的は、お互いが新聞という物を介して、働きかけ合う。相手の力を感じ自分も力を入れる。相手に自分の意思を伝え、そして相手の反応から自分の力をさらに加減する。ようは協(共)力、協(共)働してことにあたるということである。そして、このレクを通して他者の存在を考え、他者との交流を促進するということである。
自分の反省として、切った新聞の見せ方をもっときちんとできればよかったと思った。特に、一生懸命つくってもらったものなのでそれをきちんと、讃えるということもしないといけなかったなと思った。また、勝った方ももっと讃え、コツをきいたりしながら進めていけばよかったなぁと思った。
また良かったこととしては、男女ペアが以外にうまくできていたこと。男女に関わらず二人の距離が近づいたことでしょうか。一歩まちがうとケンカということにもなりかねませんが・・・
それと、レクリエーション時間の雰囲気づくりが大切だと思った。レクの時間が意味のあるものだという雰囲気づくりができていれば、私が今日はこういうことをこういう目的で行うということを説明すると大体の方は入りやすい。このレクの場合、お互いの力加減、協力など自分だけではできないことを説明するということ。その時々で、行うレクのテーマ、目的をきちんと話すこと、これは大事ですね。
「一歩ずつ」 平成14年6月29日(土)
「連想ゲーム」を昨日行ってきました。これは、あるテーマに関して、そこから想像することをたくさんあげてもらうというゲームであります(例、「海」ならば"魚"、"大きい"、"青い"等といった感じでたくさんあげてもらう)。<レク財に掲載>
このゲームの目的は、先日の日記に書いたとおり、「生活史レク」に結びつける。それから、私から提供する一方的なレクリエーションではなくて、ご利用者さんからも働きかけがあるレクリエーションへの転換ということがあります。
昨日は、最初にホワイトボードで例を示してから、グループで考えてもらうという進行で行いました。そのときは2問行い、テーマは「名古屋」と「ひまわり」だったのですが、皆さん紙に向かうとなかなか出てこない。言われれば、「あーそういえばあるねー」といった感じでした。そこで、職員のスタッフの方からいただいたアドバイスが「最初から紙とペンを渡すのではなくて、目を閉じてイメージしてもらったり、ヒーリング系の波の音とか森の音(テーマが海や山の場合)の音楽をかけてみたら想像しやすいのではないか」ということであった。
それから別のスタッフの方からは「海といっても、ずっと行っていないから思い出すのに苦労したという意見をご利用さんから聞いた。人によって想像しやすいこととしにくいことがあるんじゃないかな」という意見をいただきました。
このことから何が言いたいか。それは「今日、今にふさわしいだろうと思うことをどんどんやっていく、完成はない。」様々な「入り方」「進め方」「落とし方」がある。今行っていることが間違っているかもしれない。でもそこでやめてしまうのではなく、前向きに反省し走り続けていきたい。正直、ダメだったーと落ち込むこともあるし、どんなことをやろうと悩むときもあります。
しかし、私のレクリエーションを楽しみに待ってくれる人がいる限り、そして私のレクリエーションに真剣に意見を述べ、一緒にいいものをつくっていこうとしてくれる方がいる限り、私は歩を進めていきたいと考えています。
毎日毎日レクリエーションを提供している方々は、本当にたいへんだと思います。でも負けないくらい私はレクリエーションのプロとして、24時間365日このことを考えていますし、レクリエーションが"自己完結"で終わってしまわないようにと考えています。だからこそ協力して、いいものをつくっていきたいと思います。
最後に、ご利用者さんの意識がかわるには時間がかかる。ゆっくりゆっくり一歩ずつやっていこう。
「生活史レク」 平成14年6月24日(月)
今日は、今後行っていきたいと考えているレクリエーションについて、まだまだまとまっていないが書いておきたい。それは書くことで現段階での考えを整理したいからである。
生活史レク・・・また、なんだその名前はという、わかりやすそうでわかりにくい名前のレクリエーションだが、これは、自分が今目標としているレクリエーションの1つの到達点である。だが、自分でもまだあまり考えがまとまっていない・・・というか、暗中模索しながらそこに向かっている状態である。大まかに言ってしまえば、ご利用者さんが自分のことを考え、また周りの人のことも考え、自分の歴史を振り返りながら・・・物語を展開していく・・・みたいなことを考えている。
しかし、この生活史レクに入る前に自分の中に、やっておきたいことがいくつかある。これもいくつあるかわからないが・・・今の段階でやっておきたいこととして、「連想する」「他人の視点に立つ」「振り返ったことを記す」といったことなどを前段階として行っていきながら話を進めたいきたいと考えている。
先日、「他人の視点に立つ」ということのために「あなたのベスト・ファイブ」(後日、レクリエーション財に掲載します)というレクを行ったが、展開の思案不足によりご利用者さんが十分に理解できない状態をつくってしまった。反省である。もうひとつ大きな反省は、「他人の視点に立つ」ことの前に「連想する」をもってこなくてはいけなかったということである(今の考えでは)。
明日、「連想する」ことのためのレクリエーションを行ってきます。また感想等を日記に書きます。では今日は、これで、
「レクリエーションは誰がためか」 平成14年6月11日(火)
僕の現場(デイケア施設)でのレクリエーションは、椅子または車椅子での利用者の場合が多いので、下半身へ刺激がどうしても少なくなる。そこで、足踏み器をつねに足の下に入れたままレクを行ってもらおうかと考えた。
しかし、現場の方からの一言に「はっ」とさせられた。デイケアでは、理学療法士によるリハビリがある。だから、レクリエーションのなかにそのようなトレーニングのようなものを入れることは、利用者にとっては「つかれる」ものであるというのだ。
僕がまだまだ未熟であるがゆえにでてきたことであるが、僕が考える利用者にとっていいことと、利用者が考える自分にとっていいことはもちろんちがうことはあるだろう。そして職員の考えるいいことも違う場合はあるだろう。一番は、利用者にとっていいことを行うのであろうが、それだけでいい場合もないだろう。きっとこれもすぐには解決できない問題なのかもしれない。
デイサービスならば、リハビリがないのでこういったことも必要になってくるのかもしれない。施設によって、利用者によって合わせて、この足踏み器だけでなく、なにをレクに取り入れるかを考えていかなくてはならない。
「プロ」 平成14年6月4日(火)
本日は、おみくじタイムアタック(レク財のページ参照)という他のスタッフのフォローの必要なレクを行った。
おみくじを使った簡単なレクであったにも関わらず、説明が悪くスタッフにもご利用者にも迷惑をかけてしまった。スタッフにやる内容が伝わらないと言うことは、利用者にはさらに伝わりにくいと思った。もっときちんとやる内容が伝わるようこれからゆっくり一つひとつ説明を行えるようにしていきたいと思った。
また、今日はスタッフの方の動きを見て、僕はこの方たちこそ「プロ」だなと思いました。悔しいですが。支援者の行動、しゃべり、笑いは、利用者にストレートに伝わる。僕は自分がしなくてはいけないと思っていることよりも、この今日の内容が楽しいかなとか、うまくいくかな、ってとこばかりに気をとられて、基本的な姿勢がなっていませんでした。今日のスタッフの方の一生懸命な姿や行動、そして利用者以上のリアクションには、スタッフの方は意識してないと思うけど、一番大切なことがすべて身体で現れていたんじゃないかなーと思わされた。
やはり、私のような専門家とスタッフが刺激しあい、協力してこそより良い現場がつくれるのではないかと思った。
今日はいい勉強になりました。また新たな気持ちでがんばりたいと思った。スタッフのみなさん、ありがとうございました。
「忘れてはいけないこと」 平成14年5月31日(金)
レクリエーションは、たとえプロが行う場合であっても介護の現場では、周りのスタッフの協力が必要である(このことは、また後日述べたいと思う)。もう一つ、支援者はどのようなフォローが必要かをきちんと協力してもらうスタッフに伝えることができなくてはならないと思った。
今日は、おみくじをつかったレクを行ったのだが、レク提供中に自分のほうが一生懸命になりすぎたとこもあって、よくまわりがみれなかった。最近、その点についての意識が低くなっていた。安全面についてはそれぞれのレクで起こりうる危険をきちんと把握しておこうと思った。
「説明の大切さ」 平成14年5月29日(水)
金城学院大学にて将来幼稚園の先生になるために学習している生徒にレクリエーションを提供してきた。
どの財においてもほとんどの学生が一生懸命に、そして楽しんで行っていたように感じた。特にチームの協力とコミュニケーションを必要とする「並びかえゲーム」は良いという意見があった。
学生への(支援者への場合)レクリエーションを行う場合(普段が要介護の方に提供することが多いので)には、わかりやすい「言葉がけ」をもっと大切にしていかなくてはいけないと考えさせられた。
動けるし、理解力も高いので、学生は自分達で楽しむけども、もっと楽しさを伝えるためには、自分が財をもっと理解し丁寧な説明ができるようにしておかなくてはいけない。そうでないと、学生が今度現場で行うときにはなかなかそれ以上の理解は、何回も行っていかないとできないから。
「自分の考えをしっかり持つ」 平成14年5月28日(火)
前に、レクへの矛盾って言葉を使ったけど、今はそれは乗り越えたかな。
まず、しっかりとした自分の信念というか理念というかレクの概念をもってのぞもう!」っていうとこだ。
私の中のレクリエーションの概念・・・
「物理的、肉体的、経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさを満たす時間。」また、心理学的な余暇や遊びの概念→自分の存在意義の確認、人生を充実させるための時間やいきがいを見つける時間にほぼ一致しているかな。。
理念的には、前の「笑い」っていうところから大きく利用者の喜び、楽しみ、いきがいを支援する。利用者は、いる人の数だけニーズも得意なこと不得意なことも違う。だから、私のひとりよがりにならないこと!これに気をつけて、一緒に楽しみを考えつくりだしていく!
しっかりと自分の中で、行うレク財の目的を考え、一回一回の目標や、ある期間もしくは一年のテーマや目標をもって取り組む!
ネタにはしるレクになってもよし、数回に渡って、いっしょにじっくりつくるレクでもよし!その場の空気をみんなが感じ、楽しみ、笑い、喜びを感じる。もちろん自分もである。ここをしっかりしていこう!
これにはかなりの技量と準備と信念が必要だ。もっともっと、身体で心でぶつかって、技量をあげるとともにレクを深めていきたいと思う。今日この頃だ。
しかし、ホンマ毎日内容には頭を悩ませるわぁ。楽しいけどね(笑)。
「矛盾・・・」 平成14年5月24日(金)
矛盾・・・レクリエーションのプロとしてその場を楽しませる。自分主導のレクがホントにレクなのか。そんな中での挑戦が、主体と一緒につくるレクなんだけど、まだ自分の中で答えは見つかってないし、見つかることのないものかもしれない。しかし、レクを通して一緒に笑いをつくる。一緒にレクを楽しむ。そんな場をつくるレクのプロになりたいって思っているから、今日は、いろいろな物の重さを当てるってレクをやったんだけど、これがグループ対抗で、いつもより盛り上がったし、あんまり積極的でない方からも笑いがでていたから矛盾を感じてしまう・・・もちろんその力も僕には必要なんだけど、その力以上にレクを一緒につくりたいという気持ちがある・・・
先日、魚へんの漢字をいくつ読めるかとか、由縁はなにか? というこれがレクかよ!っていうあんまり意味のわからないものをやって、「はぁー」って思っていたら、ご利用者の1人の女性の方から、「家に帰っておとおさんと一緒になんて読むか考えているんだけどねーまだ全部わからんのよねー」なんて楽しそうに言われて、以外にその方にとっては、ヒットしたというか、家での会話につながったというか、意味が少しはあったんだなぁって。ほんま何がいいか、わからなくなってしまう。
今日なんかやることがなかったというか、苦肉の策だったのに、盛り上がるし!「もーう!」っって感じだ。レクでは今まで利用者のことを「対象」って呼んでいたのを「主体」って呼ぶことにかわってきたんだけど、言い方変えたけど中身は全く変わらず、レクを提供する人のパフォーマンスになっている。なったらあかんわけじゃないけど、その力は持ってて当たり前で、それは方法論としてあるべきなのに、それがレクと言われてしまっている。矛盾だー!
レクのプロとしては主体を満足させることができればよしというところがあるのかもしれない。でもそれとは別にレクのプロとしては、レクを通して「笑い」を「笑顔」を「喜び」を「楽しみ」を「生活に話題」を「生活に健康」を「生活にレク」をそして、「いきがい」を提供できないといけないのではないかと思う。
エンターテナーとしてのレクリエーションのプロとアレンジャ―(こんな言葉ないけど、支援の技術と目的を持った上で、その場を主体とともにつくりあげる補助のできる人って感じの意味)としてのプロの2つの能力が必要なんじゃないかなーって思う。前者がレクの世界というか、レクリエーション支援者として能力の高い人、レクの達人みたいに見られるけど、これっていうのはとどのつまりネタのやり方さえ分かってしまえば、誰でもできるんじゃないか。もしくは、支援者の性格によるのではないか。
変な例をだすと、学校の今の問題でいう一斉指導みたいなとこと一緒じゃないかなって・・・俺でなくてもいいみたいな。プロとなる以上「荒深に、来て欲しい!」っていう依頼があってこそだし、そうならないとプロとしてやっていけないだろう。だから、今、その後者のレクに挑戦している。それは、先日の岡野先生と話をしたことから始まったんだけど、「笑い」を目的にするなら、レクじゃなくても「漫才師」つれてきて芸させればいいんじゃないの?」って。俺の目指す笑いと漫才師の笑いの違い・・・レクであることの意味・・・悩んだ。今も悩んでいるけど。
今は「笑いを一緒につくろー」っていうところかなー
「笑いのサイクル」 平成14年5月20日(月)
今日、三重大学の岡野先生と久しぶりに話をした。そして、先生からいただいた「体育のカリキュラムをつくる」を読んで、自分は、介護の現場を踏みながらもどこかで安定した自分というものを守ってきていただけかも・・・要介護者(以下、利用者)にいろんなレクを提供することをチャレンジしてきたけど、自己満足になってしまいかけていた。結局、なんでレクを提供するのか、レクでないといけない理由も考えてこなかったし、逃げてきたんだなぁーって思わされた。
でも、この本を読んでいるうちに少しヒントが見えたよーな気がしました。それは、極論から言えば、レクでなくてもいい。のかなと。でもそれは、自分と利用者とのあいだにお互いが働きかけ、働きかけられるもので、同じ空気を共有し笑わされるのではなく、笑いたくなる、笑えてくる。笑いを一緒につくりだせるものならばいいんじゃないか。利用者も自分からなんらかの発信ができ、それを自分が受けとめ、また発信できるサイクルを作れるものであるならば、いいんじゃないかなと思いました。
そんな中で、僕の提供するレクリエーションはからだを動かしたり、頭をつかったりしながら、自分の存在を感じ、そして、他者の存在があって成り立っているということを実感できる内容であるという再認識はできました。お笑い芸人をみて笑う笑いじゃダメなんだ。あれでは、笑いのサイクルはできない。決まったネタを提供するだけ。 もちろんレクだって、ネタをもっていくけどその日の、その人たちの状態にあったものを一緒につくっていこうとしてきた。まだまだ全然だけど、もっと利用者の声を表情をうけとりながらそして自分のレクが伝えたいこと(ここは、まだよく分かっていないことだが)が相手に届いて一緒に笑いを生み出していけるようにしていきたいと思った。
そして、利用者の笑い、楽しみ、喜びも人の数だけあるのかなぁ。それならば、とことんレクリエーションを追求していこうじゃないか!って思った。
もう一つ、これまでは、ネタが利用者にうけたかうけなかったかという見方をしていた。しかし、これは違うと思った。まだまだ分からないことも多いが、これから現場にいくときの自分の気持ちは変わりました。本の言葉をかりれば、聞く→聴くに、話す→語るに。利用者と対話しながらレクリエーションを一緒につくっていこうと思った。