私がいままでの人生のなかで人からもらった言葉で
いまだに大切にしているものがある。

それは父 太郎が2年目の浪人生活中の私に言った言葉だ。

私は美大を目指して2年目の浪人をしていた時、
プレッシャーとスランプとで悩んでいた。
そんな私に父 太郎がふと私に言った。

「今年どうなるかわからんけど、綺麗なものを綺麗と思えるようになっただけ
2年浪人した甲斐があったじゃないか」

私はおもわず泣きそうになって背を向けて自分の部屋に戻った記憶がある。

いまだにこの台詞を思い出すたびに涙が出てくる。

受験後に聞いた話だと私の母校の担任が(美術)受験のために必要な内申書を
取りにいったとき「まだやらせてたんですか?あきらめたほうがいいですよ」
などと父に言ったらしい。
父は「好きでやらせてますから。」っと言って内申書を貰ってきてくれた。
この担任に対して怒りもあるが、どんな気持ちで内申書を頭を下げて
もらってきてくれたのだろうかと考えると切なくなる。
辛かったのは、戦っていたのは決して私一人ではなかった。

決して才能がある訳でもないわが子を信じて、私のやりたい事にひとつも
反対をしなかった。
4人の兄弟のなかでいちばんデキが悪く、成績もよくなかった
私に普通ならそこまでしない教育を「一生のものだから」とやらせてくれた。
同級生でわたしより絵が上手かった子など「美術は食えないから」っと
断念させられたというのに・・・

自分が興味もないくせに名古屋の美術館のルノアール展に連れていってくれた父、
「人の倍すれば才能がなくてもなんとかなる」と声をかけつづけてくれた父の

「今年どうなるかわからんけど、綺麗なものを綺麗と思えるようになっただけ
2年浪人した甲斐があったじゃないか」という台詞は
仕事に行き詰ったとき常に私を励ましてくれる、いまだに大切な言葉だ。

才能がない私が東京の美大にはいって、卒業制作賞をとったり、
不況にもかかわらずやりたい仕事につけられたのもこの言葉があったからだ。

どんなに辛くても仕事をやめないのはこの父のおかげかもしれない。



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■この言葉があったから