TIC福祉応用専門委員会「ネットワーク繋ぎ隊」活動報告(1998年度)/TIC会報1999


■ネットワークの繋ぎ隊(旧こちら側作業班)の活動の経緯

  1. 1996年度「モニター研究班」として活動開始
  2. 1997年度「こちら側作業班(クライアント側)」に名称変更
  3. 1998年度「ネットワーク繋ぎ隊」として再組織化

 以上の活動を通して、援助者ネットワークは着実に裾野を拡げつつある。本報告では、我々の3年間の歩みを総括する意味も含め、改めて全体の活動を概観し、今後の課題と方向性を考える契機としたい。

■ネットワーク繋ぎ隊・活動方針 / インターネットは、ネットワーク社会の必須アイテム

  1. ネットワーク繋ぎ隊の成立のプロセス(必然性)
  2. 理念
  3. 活動の方向性

■いろいろな社会参加のかたち

図1.いろいろな社会参加のかたち

  1. 社会参加とは、「家から出て、誰かと出会うこと」
  2. 「移動」と「コミュニケーション」は、社会参加の基盤である。
    移動制約者は、 インターネットで「人」と「情報」に出会い、孤立を避けることができる
  3. パソコンやインターネットは、「コミュニケーション」を拡張するツールである。
    言語障害者は、 ワープロやメールで、初めてコミュニケーションができる
    上肢障害者は、 書字による手紙はダメでも、ワープロやメールなら可能となる
    視覚障害者は、 音声ワープロと、パソコン通信で、交流が広がる

 障害者が、インターネットを使えるまでには、いくつものハードルがある。自分に合ったパソコンが分からない/一般のパソコンショップの店員は、障害者対応に不慣れ、等の「パソコン購入」の問題。マウス・キーボードなどの「アクセシビリティ」の問題。「操作の習得」「導入後のフォローアップ」等課題は多い。
 「ネットワーク繋ぎ隊」の活動は、様々な社会参加へのプロセスを支援する活動の中で、「ネットワーク導入支援」を中心としたものと言えるが、上述したような関連領域のサポートも求められる。


■活動の概要

テーマ プロジェクト名 目的/概要 結果
モニター研究 インターネット利用モニター1996の継続支援 ・導入支援のモデル作り
・障害ユーザーの声を社会化
・無償アカウント貸与によるモニターは未実施。
・1996年度のモニターを継続支援中。
体験 インターネットキャラバン隊 ・バリアフリーなインターネットカフェの出前
・障害者の身近に拠点施設を開拓
98年度は、未実施。
交流 交流MLの運用 メーリングリスト体験/交流/Q&A 1999年6月1日現在、24名登録(うち12名は委員会MLメンバー)
委員会MLの運用 情報交換と打ち合わせ 1999年6月1日現在、34名登録
社会保障 インターネット利用実態と障害者割引制度の現状把握 ・障害者がプロバイダーを選ぶ時の参考資料を提供するとともに、「アンケート調査」という形式を通して、プロバイダーへ障害者のニーズを伝える。 ・調査対象プロバイダをリストアップ
・委員会独自の調査を断念
ノウハウ共有 ホームページの運用 ・メンバー間のノウハウ共有
・インターネット導入支援のノウハウ(特別援助プログラム)を社会化する
1998年2月25日より運用開始。10月1日、都合により移転。
人材育成 パソコンボランティア養成研修 情報技術と障害者援助技術を併せ持つ人材の養成 1998年10月〜1999年3月、第2期生受入

 以下、プロジェクト単位で、活動の実績を整理し、若干の考察を加える。

[目次]

  1. インターネット利用モニター1996の継続支援
  2. インターネットキャラバン隊
  3. tic-wel-monitor ML(交流ML)の運用
  4. インターネット利用実態と障害者割引制度の現状把握
  5. ホームページの運用
  6. パソコンボランティア養成研修
  7. まとめ

■テーマ1:モニター研究/インターネット利用モニター1996の継続支援

[概要]

  1. 1996年度のモニターの継続支援の経過を報告する。
  2. 事例1-1及び事例1-2では、名古屋市総合リハビリテーションセンター職能開発課の通所利用者に対する個別支援を取り上げる。
  3. 事例1-3では、その継続支援の手段として「メーリングリスト」をどう活用したかを報告する。
  4. 事例2では、施設モニタである明正第二作業所のその後の経過を報告する。

●事例1:個人モニタ「名古屋市総合リハビリテーションセンター職能開発課利用者」

○事例1-1:個人モニタ「Aさん」(モニタ期間:1996.12〜1997.8、TIC会報1997,pp35-39参照)

プロフィール

 重度の脳性麻痺。20代男性。書字困難。発語困難。名古屋市港区在住。

日常

  1. 就労…印章専門店(港区)の下請け業務
    1. 名刺、葉書、チケット印刷の版下作成業務
    2. Macで作成したデータを、徒歩10分の印章専門店に,MOで納品
    3. 営業活動も行う
  2. 趣味…作詞作曲活動
  3. 非営利社会貢献…インターネット伝道師として、重度障害者へのインターネット導入を積極的にPRしている。ホームページでは、自作の歌を公開している。
  4. インターネットの利用

○事例1-2:個人モニタ「Bさん」(モニタ期間:1996.12〜1997.8、TIC会報1997,pp40-43参照)

プロフィール

日常

  1. (1)交通アクセスが不便(2)体幹機能障害の為、単独外出が極度に制限される。たまの家族旅行を楽しみにしている。
  2. 在宅で就労中。
  3. 父に同乗してもらい、交通量の極めて少ない家の周辺にて、車の運転を練習中である。
  4. インターネットの利用

○事例1-3 :個人モニタを継続支援するメーリングリスト

 事例1-1、1-2のような個別支援を継続する為に、メールでのフォローは不可欠な要素である。個別支援対象者が増えてくると、個人メールへの対応も、限界に近づく。そこで、職能開発課利用者及び関係職員を構成員とする「メーリングリスト」を開設し、グループでフォローアップを行っている。
 メーリングリスト管理人を職員(職能指導員)が努めていることもあり、パソコンに関する技術的な質問への対応やメーリングリストを利用する上でのマナーの解説など、教育的な観点からも活用されている。

名称 メーリングリスト職能
設置目的 職能開発課関係者の情報交換と交流の場
インターネット講習における体験用MLとしての活用
開設時期 1998年9月
投稿数 累積432件(1999年6月1日現在)、月間56件(1999年5月度)
会員構成 登録会員、計19名(1999年6月1日現在)
正会員 職能開発課・退所者 12名
職能開発課・在籍者  1名
職能開発課・職員(指導員、嘱託職員)  5名
賛助会員 技術支援者(パソコンボランティア)  1名

◇◇オンラインインタビューの実施

 「インターネットと私/インターネットで広がる夢と現実/もし、明日からインターネットがなかったら/行政や、福祉関係者に、言いたいこと/まだ、インターネットをやっていない障害者に伝えたいこと/など、何でもよいから、思うところを教えて下さい」という趣旨の質問を「メーリングリスト職能」に投稿したところ、メンバーから、いくつかのコメントが寄せられた。以下、その一部を紹介する。

◇コメント1(1999年6月3日):神経筋変性疾患・30代男性・車いす使用者からの投稿

私はインターネットを利用するようになってまだ数ヶ月ですが、利用する目的は次の2点です。

・人とのコミュニケーションをとる手段として

  メールのやり取りをすれば、人とのコミュニケーションが うまくいくようにとは限りませんが、何らかのきっかけとなると思います。私はどんどん外に出かけていけるような 障害の状態ではありませんが、だからといってその現実に対してただあきらめてしまえばいいかというと絶対そうではないと思います。物理的距離と精神的距離を埋めるための1つのツールとしてとても有効な手段になると思います。

 でも、職場で毎日会うとか、電話で頻繁に話をするという方たちにとっては、これでコミュニケーションはとれているはずですから、何らかの必要性がない限り、単なるブームで終わることもあるかもしれません。

・夢を実現するための手段として

 私は、趣味の1つとして翻訳を勉強しています。インターネットは、英語を学習する人にとって無限に広がる情報ツールです。例えば、英字新聞を定期購読すると年に数万円かかりますが、ネット上で毎日チェックすれば、ほんのわずかの接続料だけですみます。HPを見るだけでもいろんな情報を入手することができ、物理的な距離を埋めてくれます。どちらにしても、物理的距離をなくすことは、特に自分のような障害がある場合には、重要なことです。そういう点で障害者にとってインターネットは必要な手段の1つだと実感しました。

(以上、原文のまま。転載終わり。)

◇コメント2(1999年6月4日):関節疾患・50代女性・車いす使用者からの投稿 

 病気は進行し、現在 電動車椅子の者にはメールは外との窓口です、まだ今はリハセンに通所できる日々ですが、明日は分からない状態ですから、通所できる間に色々メールは勿論ですがパソコンを覚えベット生活になっても在宅就労できたらと・・・私の夢です。
 この年になって今更パソコンを勉強しても、色々考えました、ただ世の中、全てがパソコンでそして、インターネットで回ってる世界に好きも嫌いも無く必要だと思います、私には息子、そして娘がいますが2人でパソコンそしてメールの話をしていてもチンプン  カンプンでしたが  この頃は対等に話ができます。また私の主治医は岐阜に病院があり   先生がメールを進めて下さりメールを始めました、今では診察室では長く話が出来ませんのでメールで質問します、2週間分しか薬が出ませんので、体調のいい時はメールで薬をお願いしますと送って下さり、私のように完治しない病気で進行性の者には、先生とも数十年のお付き合いをしますのでメールは重要なウエイトをしめています、私の先生だけではなくこれからの病院はメールを使用するようになると思います。

(以上、原文のまま。転載終わり。)

◇その他のコメント ()内は、投稿者の属性

(以上、編集者が内容を要約)

[考察]

  1. パソコンは、コミュニケーション(発声や書字など)に重度の障害を持つ者には、生活の必需品である。
  2. 電子メールは、過疎地の在宅障害者の生命線である。
  3. 障害者訓練施設における交流メーリングリストは、相互扶助の場となりうる。

●事例2:施設モニタ「明正第二作業所」(精神障害者小規模作業所、名古屋市中川区)

図.明正第二作業所外観

[経過]

第1期:インターネット導入支援期(1996年12月〜)

第2期:インターネット初期興奮期

(以上、TIC会報1997,pp44-48参照)

第3期:手当たり次第パソボラ支援要請期/混乱期

第4期:停滞期

第5期:セルフマネージメントパソボラ支援要請期/インターネット再開(1998年6月〜)

[モニターの声]

1.ある利用者の声(23歳、男性、発病から3年半、作業所利用半年、就労経験なし)

「パソコンと作業所と私」 (1999年6月7日)

 初めて作業所の見学に行ったとき、パソコンがあって「自由に使ってもいいですよ。」と聞きました。私はこの作業所に来る前に4つの作業所を見学しました。明正第二作業所に来るためには、2つの乗り物を使って1時間30分かかります。しかしパソコンが使えることはその大変さを差し引いてもまだ余りがあります。以前少しさわっただけですが、そんな私でも作業所の仲間に教えてあげることができます。ドラゴンズのホームページはほぼ毎日みんなと見ます。一度「精神障害」という言葉でページを検索してみたら、作業所や大学、私達と同じ当事者とたくさんのページが出てきました。これにはみんな驚きです。おもしろそうなものから開いてみましたが、へぇ〜というものから?というもの、そうだそうだと感じるものといろいろでした。
 そのうちに自分たちが知らないところで世の中は動いているんだということと、ひょっとして自分たちは取り残されているのではという不安も感じました。このままではいけないと早速所長に、「何とか僕らも参加する方法はないのか」と訴えました。「メールを送るとか作業所のホームページを作るとかいろいろありますよ」と言われ、みんなで盛り上がりました。しかしそれは思っていたより難しいことでした。しかしゆめは捨てていません。機械はどんどん進歩していくのです。そのうちもっと簡単に自分たちも使えるようになると思います。それまではみんなであれこれ言いながら、そして時々プログラムを破壊して所長の寿命を縮めながら楽しくやっていきたいと思います。

2.職員の声(明正第二作業所所長)

 「やりたいことはいろいろあるけれど、、、」 (1999年6月7日)

〜スタートは軽やかに〜

 そもそも作業所にパソコンを導入しようと思ったのは
 1、経理その他の事務処理を簡素化し職員の負担を軽くする
 2、ケース記録、相談票など相当な量になる書類の整理
 3、インターネット、パソコンをやってみたいという通所者からの希望
 4、ホームページを作って作業所から何かを発信したい
 という理由からです。
 パソコンのパの字も知らない私たちに不安が無かったかといえば嘘になります。「アイコンて何?」「インストールって何?」???ばかりの世界ですが、パソコンの持つ便利さや性能、導入後に無限に広がる(?)可能性等の甘い言葉には勝てません。「さわっていれば何とかなるさ」という軽い気持ちで作業所のパソコン生活は始まりました。
 しかし、それが何ともならないということに気がつくのに時間はかかりませんでした。

〜所長さん、今忙しい?〜

 何と一番の計算違いは当時30代後半の私が一番若く、他は50代という職員集団にあったのです。興味があれば年齢も関係無いのでしょうが、職務上仕方無くと思った職員は必要以上にはパソコンに近づこうともしません。せっかく技術支援にたくさんのボランティアに入ってもらっても、実際に使って覚えていくのは私一人になってしまったのです。その私も毎日の業務で必要とすること、経理や記録作りが再優先でインターネットやメールのやり取りまでは手が回りませんでした。
 次に思ったのは、精神障害者の人達が生活の上でパソコンを必要とする度合が身障の人達ほど大きくなかったことです。パソコンの良さや利用の仕方便利さを十分に伝えることができなかったことも大きく影響していると思いますが、彼等の実生活での障害とパソコンがなかなか結びつかないのです。そのため作業所では興味がある人はたくさんいるのですが、自分で所有する人がほとんど無く「パソコンは作業所で職員に教えてもらって」ということになってしまいました。「所長さん、今、暇?インターネットやりたいんだけど」「この間やり方説明しましたよね」「わからんよ」「紙に書いておきました」「変な画面が出たけど、、、」こんな会話が幾度と無く交され、もっとやりたいという通所者の人達は慢性的な欲求不満に、私はまた一つ増えた仕事に振り回されていくのでした。

〜助けてくださ〜い〜

 十分ではないけれど何とか作業所のパソコン生活は続いていきました。みんなに人気のページもいくつかできましたし、ネットを通じての交流もできました。ネットで得た情報を元にレクリェーションの時間を充実させていこうという活動も始まり改善委員会もできました。と同時に作業所では好きな時間にだれでもインターネットができるので、作業中にH画面を見ているなどの問題も出てきました。
 このことは「良い情報と悪い情報の基準は何?」という論争も巻き起こし数ヵ月みんなで熱く語り合いました。
 作業所がパソコンのボランティアを必要としていることは、ことあるごとにあちらこちらで訴えていましたし口コミでも広がりました。その結果、学生や地域の人達がたくさん名乗りを上げてくれ、これで作業所のパソコン生活にも新しい展望が見えてきたと喜んだのでした。
 しかしそれも束の間のこと、、、。新しく入ったパソボラの人達は非常に熱心(?)で自分の持っているソフトや技術をフル動員して、作業所のパソコンをどんどんグレードアップしてくれたのです。しかし、それを使いたい私たち職員や通所者はすっかり「おいてきぼり」になってしまいました。
 ボランティアがいないときに、「ねぇ、これ**さんがやったみたいにしたいんだけど」「++さんのいうとおりにしたけど動かないよ」という通所者の人達の訴えに私はまったく対応できない状態になっていました。そして彼等は嵐のようにやってきて、自分達の欲求が満たされるとまた嵐のように去っていったのでした。

〜ぼちぼち一緒に歩いていってください〜

 山あり谷あり、喜んだり悲しんだりの作業所のパソコン人生です。2度の「プログラムが破壊されています」のおぞましいメッセージにも負けず、わたし達はまた歩き始めました。一番最初にお世話になったパソコンボランティアのグループに連絡をとり助けを求めました。「あれからてっきりうまくいっているものだと思っていましたよ。」と驚かれたものの、担当の方を決めてきちんと対応をしてくれました。
 「難しいことはいいですから、みんながホームページを見ることができるように、それから私がメールを使えるようにしてください」というこちらの思いも伝えその後の計画も一緒に考えました。その実行も私たちの速度に合わせてということです。ついつい少しパソコンが触れるようになると、あれもこれもと期待をしたり欲張ってしまうのですが、「それはまだまだですよ」とか「いづれその方向に持っていきましょう」と交通整理をしながら一緒に歩いてくれます。時間がかかるかも知れませんが作業所の夢を確実に広げていこうと思っています。

[考察]

  1. 精神障害者にとって、パソコンとは? インターネットとは?
  2. パソボラのチームアプローチ
  3. パソボラ依頼者を育てる視点

■テーマ2:体験/インターネットキャラバン隊


■テーマ3:交流/tic-wel-monitor ML(TIC福祉応用交流ML)の運用

[概要]

  1. 設置目的
     コミュニケーションと交流の場を提供する
  2. テーマ 
    特に、テーマを設定しないが、「おしゃべりを通したメンバー間の交流」「イベント告知等の福祉情報の流通」「パソコントラブルサポート連絡」等を想定している。
  3. メンバー

[結果]

[結果の分析]

[考察]


■テーマ4:社会保障/インターネットの利用実態と障害者割引制度の現状把握

[概要]

[考察]


■テーマ5:ノウハウ共有/ネットワーク繋ぎ隊・ホームページの運用

[概要]

[結果]

[課題]


■テーマ6:人材育成/パソコンボランティアの発掘と育成

 パソコン技能があるだけでは、パソコンボランティア(以下「パソボラ」)はできない。障害者とのコミュニケーションの取り方に不慣れだったり、真のニーズを把握するという視点がなければ、表面的な援助、あるいは、技術者主導の指示的/介入的な援助になってしまうおそれがある。地域支援のキーパーソンとして、情報技術と障害者援助技術の両方を兼ね備えた人材が求められている。
 そこで、昨年度より、一定の情報技術を有している人を対象に、障害者に対するパソコン指導の場を提供する「パソボラ養成研修」を試行している。障害者への援助技術の基本的視点と方法論を学んでもらうことが目的である。

 ここでは、一人のパソボラの活動経過を追いながら、障害者や高齢者がインターネットの利用を開始するまでの道のりをサポートするパソボラについて、その発掘・育成のプロセスを検証し、今後の参考とする。

[経過]

1997年5月 障害者のためのパソコン講座(昭和生涯学習センター)
1997年10月 高齢者のパソコン同好会「なかよし会」結成。同時に Skip Project(以下Skip)の支援活動開始。
1998年3月 パソコンボランティア入門講座(なごや福祉用具プラザ)
1998年5月 障害者のためのパソコン講座(昭和生涯学習センター)
1998年10月 パソコンインストラクター研修開始(名古屋市総合リハビリテーションセンター職能開発課)
1998年12月 Aさん「なかよし会」に遊びに来る
1999年1月 ・Aさん正式に「なかよし会」講師に就任
・「なかよし会」は、Skip と NFP-PCG の共同支援体制に移行
1999年4月 支援チームが、B氏を中心としたSkipメンバーから、A氏を中心としたNFP-PCG に移行

※なかよし会:1997年夏、昭和障害学習センターで開催された「障害者のためのパソコン講座」の受講生を中心に、同年10月に結成。月に1〜3回程度集まり、パソコンについての学習を行っている

 1998年春、なごや福祉用具プラザにおいてパソコンボランティアの発掘と育成を目的として「パソコンボランティア入門講座」が開催された。96年10月よりパソボラとして活動を開始していた「Skip Project」と、ボランティアの養成を急務と考える福祉用具プラザの共催で行われたものだが、どれだけの受講者があるのか、受講後パソボラとして活動できるのが不透明なままでの開催であった。しかし、この講座の受講者を中心として1998年秋、「なごや福祉用具プラザ技術ボランティア・パソコングループ」(以下NFP-PCG)が結成され、99年春にはMLもスタート、本格的に活動を始めた。

 パソボラ講座受講者のAさん(60代女性)は、短大で情報処理を教える講師であり、パソボラ入門講座には「自分のできる事で広く社会と関わっていきたい」との目的で参加。講座での出会いがきっかけで、1998年10月より、名古屋市総合リハビリテーションセンター(以下、「名古屋リハ」)職能開発課において、パソコン講習のアシスタントとして、パソコンインストラクター研修を開始。ここでは週1回の割合で、就職を目指す障害者にパソコンを教えており、現在(1999年6月)も継続中である。

 名古屋リハ職能課でのパソコン講習では、「業務用アプリケーションソフトの習得」を講習の目標としながらも、「ニーズに応じた個別指導」を徹底し、「学ぶ力を引き出す援助」を指導方針としている。Aさんは、アシスタントとして、「ホームページ閲覧/メール送受信/インターネット接続環境の設定/ソフトの各種設定/ホームページ製作実習/エクセルの学習」などの学習指導に取り組んだ。

 その後、1998年12月にはB氏(TIC福祉応用委員会/Skip/名古屋リハ職能開発課)の紹介で、Skipが支援する高齢者のパソコン同好会「なかよし会」を訪問。月に1〜3回(不定)の割合で、OS操作やワープロ、表計算の学習の「お手伝い」として支援活動に参加。1999年4月からは、メインのサポーターとして「なかよし会」を支援している。支援は、当初Skipを中心としたものであったが、現在はAさんを中心としたNFP-PCGへと移行しつつある。同時に「なかよし会」メンバーから、インターネットについても学習したいとの要望が出始めており、今後の支援活動が注目される。

[考察]

○パソボラとしての活動要因分析

 ここで、今回の例について、Aさんがパソボラとして活動できた要因について考えてみる。

・Aさんの個人的な資質

 短大での講師として「相手のペースに合わせて教える」という経験があったことがスムーズな活動へと導入できた原因のひとつであったのではないか。また「なかよし会」においては、「なかよし会」メンバーと年齢的にも近く、学習のペースや教え方が「会」そのものによくマッチしたことも見逃せない。

・移行のプロセス

 パソボラ入門講座受講後、名古屋リハ職能開発課で、パソコンインストラクター研修を開始したが、公的機関であること/時間的・物理的に活動の枠組みが明確/ボランティアではなく研修生としての責任を負う/など、他のパソボラの活動の場とはやや異質である。内容的にも職員の指示をもとに動く、いわば「イベント型パソボラ」であった。次に「なかよし会」では当初はSkipがメインで支援しており、運営にはSkipが関わっていた。そのためAさんの立場は「イベント型パソボラ」に近いものであった。その後、運営面でも徐々にSkipからAさんへの移行が行われ、NFP-PCGのMLがスタートしたのをきっかけに、他のNFP-PCGメンバーも支援活動に参加、Aさんをサポートするようになる。この時点でSkipは「コーディネート型パソボラ」としての役目を終え、Aさんを支援する側にまわり、現在にいたる。

○イベント型パソボラとコーディネート型パソボラ

 ひとくちに「パソコンボランティア」といっても関わり方はさまざまである。ここではパソボラの活動を仮に「イベント型」「コーディネート型」に分類した。前者は、活動内容がはっきりしており、「パソコンが起動しない」「マウスが動かない」といったトラブル解決や、パソコン講座のTAという単発の活動も含まれる。後者は、「パソコンを始めたい」「インターネットについて教えて」という依頼者のパソコン環境のコーディネートの比重が大きい。今回のAさんの場合は、パソボラ経験がない当初は「イベント型」として導入し、経験値があがるに従い、徐々に「コーディネート型」の活動にも参加していった。

 また、「コーディネート型」の活動(者)を支える環境も重要である。「コーディネート型」として活動する場合、パソコンやパソボラ、場合によっては障害者や高齢者についての知識や経験が必要になる。時には難しい判断を迫られるときがある。これらをパソボラ個人が一人で担うのは負担が大きい。Skipでは内容別に常時5本以上のMLを運営しており、直接には活動に参加しないメンバーもMLを通じて活動に参加、それぞれの知識や経験をもとにMLでの助言を行い、実際に活動に動くメンバーを支えている。Aさんの属するNFP-PCGでもMLがスタートし、情報交換や参加の呼びかけなど、Aさんを支えている。このように、Aさんの活動形態の移行にともない、Aさんを支える環境が変化したことも、Aさんと「なかよし会」との関わりを考える上で重要である。

 このように、パソボラとして活動するためには、個人の資質とともに、パソボラ発掘の場(導入としての、講座など)と、経験を蓄積する場としてのイベント型活動が必要である。また、コーディネート型パソボラとして活動して行くためには、活動する個人を支える環境がなくてはならない。今回のAさんの例では、これらの要素がうまく行かされており、今後のTIC福祉応用専門委員会の活動のモデルの一つとなるのではないか。

○研修制度の有効性と課題

 若干視点を変えて、パソボラとしてのスキルアップの為に、期間を限定しより責任を持たせた「研修制度」の活用可能性について、リハセンターで提供している「パソコンインストラクター研修」の事例を引きながら、再度言及しておく。

写真.パソコン講習会風景(名古屋リハ、1999年3月)

1.Aさんからの感想(筆者が要約)

 研修指導担当の職能指導員より、「インターネット講習アシスタントの経験は役に立ったか」「障害者への指導経験は役に立ったか」「研修制度の継続の意味はあるか」の3点について、聞き取りを行い、以下のコメントを得た。

2.スーパーバイズと技術移転


■まとめ

1.社会的コストがかかるって本当?

2.「ネットワーク繋ぎ隊」は、技術支援から社会参加支援までをカバーする

 1998年度の活動を通して、物理的にどう「繋ぐ」かという「技術支援」の部分と、人や社会にどう「繋ぐ」かという「社会参加支援」の両面への対応が不可欠である事を再確認することができた。「ネットワークに繋がるということ」は、即ち、ネットワークの向こうにいる「人」や「社会」と繋がるということであり、「ネットワーク導入支援」に特化した「ネットワーク繋ぎ隊」の活動は、障害者の社会参加を支援する重要な役割を担っていると言えるだろう。

3.インターネット導入支援を社会化する為に、まず「情報共有」と「モデル作り」から

4.社会資源(人材)の不足を嘆くのではなく、既存の資源を「繋いで」社会資源化しよう

5.パソボラ予備軍を発掘し育成しよう


以上、「東海インターネットワーク協議会 会報1999」より転載

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