Concept(暫定版)

1998年2月11日初出/3月8日更新 homePrivateホームページの理念と構想を明示します


※読んで分かる通り、原稿執筆中です。未完の文書ですが、思考過程をそのまま提供しております。

  1. ホームページは、私の外部記憶装置であり、思考支援装置だ
  2. 現実は動いている/思った事は、その場で書かれなければならない。
  3. 仕事と生活は、ボーダレス

1.ホームぺージは、私の外部記憶装置であり、思考支援装置だ

 ホームページは、自分の為に、書いている。そう「書いている」のだ。私のホームページは、文章を基本としている。デジカメとかイメージスキャナを所持していない、という理由以上に、「言葉」に対してこだわりがあるからだろう。まあ、そのうち、画像も使って行きたいんだけどね。金と時間が回らないから、当分は、書く事になるだろう。

 ホームページは、自分の為に、書いている。そう、私はいつも「自分は、軽度の記憶障害」ではないか、と不安に怯えているので、その時、思ったことを忘れないように、ホームページに書き留めるのだ。備忘録として。でも、本当は、悲しいのです。昔の楽しかったこと、悔しかった事などの思い出が、薄れていくってことは。本当のところは分からないが、記憶障害と診断された人の気持ちの一端は、分かるような気がするのです。

 常人と比較すると、確かに、相対的に記憶力は、弱い。しかし、そもそも「人間の記憶」というのをあてにしては行けないのではないか、というスタンスを持っている。学生時代は、記憶力を試す試験ばかりを受けてきたが、ずーっと疑問に思っていた。一個の個体に与えられた脳を、知識を記憶する事ばかりに使うのは、もったいないのではないか、思考とか、判断とか、洞察とか、より高次の活動に使うべきではないのかと思っているところへ、記憶を超得意とするコンピュータが身近になってきて、最近では、ハイパーテキスト構造を具現化できるホームページという外部記憶装置を手に入れた、というところか。これで、「記憶」する事に汲々とする事なく、落ち着いて、考える事に、エネルギーを使う事ができるのではないか。

 自分の為に書いた文書を公開するのは、やはりどこかに「人に見せたい欲求」があるのだと思う。私の場合は、日々感じ/発言し/行動する事が、社会を自分の心地よいものに変えていけるのではないかと、淡い期待を抱いている事も大きい。公開文書への意見をフィードバックしてもらうと、それだけ自分の思想が豊かになる契機となる。逆に、公開文書を第三者的に、チェックする事で、自分自身と対話する事もできる。

 ホームページは、自分の為に、書いている。なんだかんだと言って、我がホームページの一番の読者は、私自身であろう。過去の自分と、今の自分は、確実に違う人間だ。感じ方も、考え方も、違って当然だ。ホームページを通して、対話をしながら、思索を深め、哲学(いきる智恵)が生まれてくるのだろう。

〜ネットワークが、思考装置である論点も、この辺りで提示する〜

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2.現実は動いている/思った事は、その場で書かれなければならない。

 最初に思ったことをその場で記しておかないと、次なる思いの可能性が塞がれる。私は、日記をつけていないので、多感な思春期で、何を感じたのか、今となっては、分からない事が寂しい。

 書いたモノを、後で読み返すと、今の感覚と微妙に変化しているかも知れない。書いた時の感覚と、読み返した問いの感覚の、どちらが真実を正しく掴んでいるかは、分からない。感覚の変化をもたらした短期的適応が、長期的不適応である可能性も否定できない。従って、文章がいつ書かれたものかがきわめて重要だ。そこで、文書を投稿する場合は、原稿執筆日付を明記するようにしたい。

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3.仕事と生活は、ボーダレス

 私は、某リハビリテーションセンターで、職能指導員という立場で、障害者の職業復帰への援助を生業にしている。障害者の社会復帰には、2方向のアプローチがある。一つは、障害を持った個体のパワーをつける、生存能力とか生活能力の向上を目指す方向。機能回復を図ったり、後遺症をカバーする訓練をしたり。もう一つは、個体を取り巻く環境へのアプローチ。即ち、社会の改造である。「社会こそリハビリテーションが必要だ」という人さえいる。

 私は、一人息子の父である。子供の幸せを願う時、社会がよき社会である事を願い、かつ、行動する必要に迫られている。

〜〜切れる中学生と、教育論のさわりを、この辺りで、展開する〜

 以上の文脈から、現に生きている私は、仕事の時間とprivateな時間を分ける必要はない。どちらも重要であるし、完全にリンクしている。切り離す事なんてできない。その意味で、このホームページの内容も、ボーダレスにならざるを得ないし、実際公私混同も甚だしい場合もあるだろう。

 但し、私のprivateホームページでの試行を経て、その一部は、名古屋市総合リハビリテーションセンターのオフィシャルホームページへ、繰り込まれるという仕組みを意識している。実験場とも言える。また、リハビリテーションの思想は日本を救うと本気で思っている私としては、医療/福祉/リハビリテーションと無縁な人に、少しでもリハビリテーションの思想に接近してもらいたいと願っているので、興味を持ってもらったり、間接的に接近できるように誘導するような装置かも知れない。

 他に、本来業務(職リハ)とは別に、障害者のコミュニケーション支援にも、興味があり、最近では、TIC(東海インターネットワーク協議会)・福祉応用専門委員会にて、活動している。1998年2月の末に、非公式ではあるが、ネットワークのこちら側作業班のホームページも設置運用するハメに陥ってしまった(自分でそうしたのだが)。名古屋リハの場合と同様に、privateホームページでは、「お試し版」を作成する土俵に活用して行くことになろう。

※こんな読みにくい、中途半端な文書を最後まで、読んでいただいて、ありがとうございます。(3月8日)


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