下町とは何か?


 「下町」とは、労働の場と居住の場が一緒になった街を指す。一階が仕立屋さんで二階が住居、あるいは前が店で後ろが住まいといった形の建物が並び、職場と生活の場が一体化しているところである。もともとは、これこそが都会の原型であった。東京でも大阪でも、パリでもローマでもそうであった。威厳と虚飾に囲われた王宮と、それにまとわりつく租税生活者の居住区以外は、みな「下町」だったのである。

 ところが、近代工業社会においては、生産手段と労働力が分離したため、生産手段の集中する商工業地区と労働力を再生産する住宅地区とが地域的にも分離されてしまった。生産手段を持つ資本家と、何らの生産手段を持たない「自由なる労働者」とに二極分解した社会構造が、都市を地域的に分割したのである。

 (中略)

 デザイナーは製図台と鉛筆が要る。医師は医療機器と診療所が要る。(中略)彼らにとって真の生産手段は、その人自身の持つ知識と経験と感覚である。こうした生産手段を常に補充し更新していくためには、新しい知識と経験と感覚の導入、つまり知的刺激が必要になる。
 知価創造に当たる人たちは、単に仕事場で働くだけではなく、生活の場でも知的刺激を求める。(中略)従って、仕事と生活、特に生産手段の補充行為と労働力の再生産行為とが不可分に接続しているわけである。

 これからの都会では、そうした知価創造的な産業に従事する人々が増えてくるとするなら、それに対応した「新しい下町」、労働の場と住居の場が混在したところを創るべきであろう。

(中略)

 要するに、近代工業社会の都市は、大量生産というただひとつの目的を追求するために、多くの不便と不快を取り込んだのだ。(中略)だが、これからの都会的な知価創造産業は、大量生産よりも多様化が必要であり、状況の変化にに応じた多くの判断を要求する。エレクトロニクスの進歩は、多様化コストを引き下げ、規格大量生産のメリットを低減させた。知価創造産業では、規格化よりも個性の発揮が大切である。

 これからの都市は、そうした産業をローコストに行える都会でなければならない。そのためには、いわゆる職住近接を越えた「職住混在」の町づくりを考えるべきだ。そしてそんな都会こそが、高齢者を含む人々のニーズに応じるローコストな生活の場となるだろう。

(以上、堺屋太一「都会国・日本像(94-12)」より抜粋)


デジタル下町とは何か?

 長々と堺屋太一氏の、歴史的/経済的側面からの分析をみてきたが、私が「下町」という言葉の響きに感じる思いと、共通項が多い。

 マルチメディアやインターネットの急速な普及は、単なるブーム以上のものがある。それが何かはまだわからないが「デジタル下町」とも呼ぶべき新しい地平に、コンピュータコミュニケーションが私たちを導いてくれるような気がしてならない。このメディアの持つ「空間距離を超えた特定多数結合性(同じ趣味や帰属意識を持つ複数の同士を結ぶ能力)」は、これからの高齢化社会を大いに明るく、楽しく、便利にすると、信じたいものである。

デジタル下町宣言/1998年(平成10年)2月15日

書き下ろし


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