7月31日OA



 
北川悠仁&岩沢厚治(ゆず)
 
岸本、いきなり写真と実物のイメージが違うことを指摘。本物の方がジャニーズJrのようと言うが本人たち には受け入れられず。ともに21歳のゆずだがちょっと前までは深夜にファミレスに行くと身分証明書の提示 を求められたり居酒屋を締め出されたりしていた。ふたりは小学校から一緒で幼なじみとまではいかないま でも顔と名前は知っている関係だった。

夏色」は夏嫌いの奴が書いた夏の歌。北川は夏の昼時は好きではないが子供が遊んでいる夕方はとか夜の 海は好き。夏の静かな面を歌ったのが「夏色」。岩沢はどちらかといえば秋の方が好き。岸本は夏が好き。 海に行くと朝からビールを飲む。この発言に第一印象と違うとゆずが驚く。ふたりとも酒好きでコンビ結成 のいきさつも飲みながらグチをこぼすような間柄だったから。10代だったのに飲み仲間(笑)。「やすべえ」 という炉端焼き屋でよく飲んでいた。もともとは岩沢がひとりで路上ライブをしていて、他のバンドでドラ ムを叩いていた北川が岩沢に誘われ一緒にバンドをすることに。その頃、北川は「歌いたい衝動」にかられ てフロントに出たいと思っていた。それから2人でやるようになったのが2年前のこと。当初からオリジナ ルばかりやっていて、カバー曲はキャンディーズの「春一番」のみ。岩沢はバンドでのボーカル経験もあり 人前で歌うことには慣れていたが、北川はゆずをやりだしてからギターも歌も始めたので、岩沢についてい こうと必死だった。だから結成当時はデビューなんて考えてもいなかった。岩沢「歌えることで大満足」。

結成したのは酒の席だがやる場所は路上しかなかった。横浜の伊勢佐木町の松阪屋の前でやっている。去年 ぐらいはあまり路上ライブをしている人はいなかったが、夏になってまた現れだした。路上ライブのいいと ころは気持ちいいところ(北川)。「生音と生声が街に響いている感じはやめられない。」(岩沢)。でも近所 の住民から苦情はあった(笑)。

同じバイト先だったゆずの2人がバイト先のしゃぶしゃぶパーティーに参加し、そこで最後に出てきたのが 「ゆずシャーベット」だった。それが気になっていて、帰りに居酒屋で飲んでいた時にコンビ名の話になり、 「ゆずっていいね」ということになった。名前にはこだわりはなくインパクト重視で考えたら平仮名で「ゆ ず」になった。一年間で冬至の日ぐらいしか名前を聞かないものだけに路上ライブではインパクトがあった らしい。1st Alのタイトルは「ゆず一家」。このままだと一生タイトルに「ゆず」をつけなきゃいけないよ うな気がしたので本当は「ゆず」から離れたかった。「1st Alぐらいはいいだろう」ということで「ゆず」が 入った。ミニAl「ゆずマン」と1st Sg「夏色」とではイメージが違うとよく言われる。ゆずのいろいろな面 を見せたかったのでアップテンポの持ち歌の中から「夏色」をSgに。持ち歌は50〜60曲ぐらい。ふたりとも 曲は書ける。

現在のスタイルは路上でやるから路上に合わせたもの。曲も最終的には路上で仕上げる。路上でいかに気持 ちよく歌えるか、歩いている人が振り返るような曲にするのがポイント。ゆずの詩はロマンチックなもの が多いが、照れ屋なのでこうしたことは歌でないと言えないため。「贈る詩」(「ゆず一家」の13曲目)は北 川が誕生日にいろんな人からプレゼントをもらったが、お返しをしようと思ったが金もないし暇もないので 歌を歌ってお返しを、という意味を込めた曲。

「ゆず一家」は「路上でやっているものを全部入れちゃえ(北川)」みたいな感じ。2ndミニAlから寺岡呼人 (ex.JUN SKY WALKERS)がプロデュース&アレンジメント。北川「(寺岡は)今年度アニキにしたい人ナンバー ワンです」。プライベートでも飲みに行くことはあるらしい。現在は相変わらず曲を作って路上で合わせて いる。秋にはツアーも予定されているとのこと。
最後に一言。北川&岩沢「何事もナマが一番。」(←ライブで「生ゆず」をみて欲しいという意味で)




7月24日OA



 
鈴木けいすけ&竹安堅一(フラワーカンパニーズ)
 
プロフィールを読んでいると竹安は「ひどい人」と思っていた岸本だが、対面してみるとナイスガイぶりに 驚く、しかし竹安は酒を飲むと壊れる。酒を飲むと横にいる女の子の手を握って離さないはさすったりする らしい。ライブの打ち上げについてきたファンの女の子に「ブス!! 帰れ!! ついてくるな!!」と暴言を吐い たこともある。竹安「あれは夜遅いから早く帰れという意味(笑)。」

新しいSg「LOVE ME DO」は「愛のうた」(鈴木)。この年齢(29歳)になると精神的・肉体的にも愛しか頼れる ものがない(笑)。鈴木はホテルにあるエロビデオを見れないが、この前香港で初めてPAYボタンを押した。香 港のエロビデオはすごい。無修正。アエギ声は日本人と一緒。鈴木は学生時代レンタルビデオ店でバイトし ていたのでそこらへんの奴よりはエロビデオを見ていると自負。岸本「愛ですよといった後にビデオトーク はちょっと。」竹安「(LOVE ME DOは)金で俺を愛してくれという曲です。」

鈴木は女の子にかまうのが面倒くさいと思っている。鈴木のタイプの女性は顔は幼くてロリータ系だけど性 格はオバチャン系がいい。竹安の好みのタイプも似たような感じ。「俺、腰がくびれている人ダメなんすよ」 (鈴木)。岸本は男前がダメ。小学生の頃は元プリンスがタイプだったが付き合った男は男前系が多い(笑)。

1ヶ月前に終わったツアー「全国マンモスクラブサーキットpart1」は過去最高の本数。鈴木「日程的にキ ツかった」。ノドの調子を保つために打ち上げにも参加せず、コンビニで飯を買って即ホテル入り。他のメ ンバーはその間に飲みまくり。今回はどこの会場でもノリの悪いところはなく、すべて「待っててくれたな」 という感じだった。本数を重ねるにつれて勉強にはなった(竹安)。大阪ではバナナホール2デイズがあった。 岸本は2日目を観戦。ツアー終了後はちょくちょくイベントに出て、少しレコーディング。オフの日は、鈴 木はひとりでマンガを読んだりして過ごす。竹安は夕方まで寝てそこから飲みに行き、各地で一波乱起こし にかかる。音楽関係の飲み友達は限られているが、サニーデイ・サービスやミッシェル・ガン・エレファン トのクハラカズユキなど。竹安、ミュージシャン同士で飲んでいても女の子が寄ってこないと嘆く。鈴木の 場合はもっとひどく、街を歩いていても声をかけられない。グレート・マエカワあたりは古着屋でよく声を かけられるらしいが、鈴木は領収書を切ってもらおうとするだけでニラまれてしまう。背の低いショボくれ た奴と思われているのでは。

8月11日には大阪球場でライブ。さっき見てきたが「オンボロや。(鈴木)」。スコアボードの時計も11時40分 で止まっていた。ここの最後を飾るのはビジュアル系では無理、と決め打ち。それでも便所には紙が置いて あった。大阪球場ライブはメンバーが一番楽しみにしている。

「声出していこう」(「LOVE ME DO」のC/W)はフラカン初の打ち込みサウンド。遊びながら作った曲。鈴木と 竹安しかレコーディングに参加していない。機械も使い方がわからないのでディレクターに手伝ってもらっ た。大阪球場の後はレコーディング準備に突入。

マンモスフラワー」の反応はいい。メンバーの満足度は比べ物にならないぐらいよかったので、反応もつ いて来てくれて嬉しかった(竹安)。鈴木「もっと売れると思った。正直言って。」自分より売れている人た ちを見て「こんなに負けているのか」と思う物ばっかりだった。アルバムの捨て曲にかなりショックだった。




7月24日OA



 
高田タイスケ&藤田アキラ(PLECTRUM)
 
去年は見事に2年目のジンクスにハマッてしまい、リリースしたのはSg1枚だけ。デビューしてからの曲作り は続けていたが、次の方向づけをする時にロックっぽくしたかったのだがそれが長々と続いてしまった。コ ンセプトを頭においての曲作りが進まなかった。1st Al「SUNDAY CHAMPION」がアマチュア時代の集大成で2nd Al「The Adventure of Pony Rider」がプロになって からの第1作。その間でかなり悩んでなかなか曲が書けなかった。だから「10YARDS FIGHT」というライブイ ベントを4ヶ月続けてやり、毎回新曲を5曲発表し、ムリヤリ曲を作っていた。その時は一生懸命にノルマを こなすだけで達成感が得られなかった。受験勉強が終わっての合格発表待ちの状態だった。この後、藤田は GRATE 3のツアーにサポート参加。高田は名付け親のTEENAGE FUN CLUBに会いに行ったついでに海外でライ ブもしていた。そのことベースの岸原は大学卒業に向けて勉強していた。メンバーそれぞれがやってきたこ とがPLECTRUM再始動の時に生かされていた。藤田がGRATE 3のツアーに参加したこともあり、プロデューサー に高桑圭を迎える。ドラムも白根賢一が叩いてくれた。PLECTRUMが出演していたテレビをたまたま見ていた 高桑の目に止まり、これが縁で藤田がツアーにサポート参加することに。これにより「PLECTRUMを客観的に 見れるようになった。」と藤田。今回のプロデューサーである高桑は「包容力のある人(藤田)」。良きお兄 さんタイプ。レコーディングが始まったのは去年の11月。最初のリハーサルで「よっしゃいける」という感 じだった。曲を作っている時は自分たちでも何をやっているのかわからない状況で、レコーディングに入っ てどういう曲かがわかった。そこから今まで溜まっていたものがドカーンと開け出した。

今回のアルバムのコンセプトはポニーライダーという主人公が冒険する映画のサントラにしようというもの で、もちろん映画は架空のもの。ポニーは子供にしか乗れない。ポニーライダーの目から見ると、近くの浜 辺でもウエストコーストになったりする。高田は空想が好き。大林宣彦の尾道三部作がメンバー内で流行っ ていて、80年代の青春がぴったりハマッた。1曲1曲は映画のワンシーンで、実はPLECTRUMの姿を投影してい る。高田はラジオドラマで「THE ADVENTURE OF PONY RIDER」をやりたいと考えている。高田が普段空想して いるのは「自転車に乗っていて、ここで突然前からおじいちゃんが出てきたらどうしよう」とか。アヴァン チュールが好きでその場その場で恋をしたい(実際にはそんなことはない)。

「PARADE」(「THE ADVENTURE OF PONY RIDER」の6曲目)は女のこと別れたのではないがさみしい別れをした 後に気を紛らわそうとお祭りに出かけるが、その騒がしさで逆にさみしくなってしまった、というような内 容の曲。藤田もこの歌詞に「ブルブルときた」らしい。PLECTRUMが音楽業界に殴り込みをかけたけど、この 世界は広かったという意味もある(笑)。PLECTRUMの曲はメッセージ色が強くないぶんだけ感じてもらうこと は大きいのかもしれない。聞く人によってどうにでも解釈できる。岸本「高田さんみたいな人を増やすわけ ですね。」

印象に残るフレーズがかなりあったギターは勢いを大切にしたから。ラフな感じのライブ感覚にしたので説 得力が出た。激しくやろうとしたがメロディは以前のままだった。「大阪忘れてへんで、というのを出した かった。」(高田) もう売り切れているかもしれないが、20分ぐらいの予告編のようなビデオを作った。この ビデオの中で高田はちょっと太っている。本人曰く「役作りのため」だが、単なるジェラ太りだったと決め 打ち。レコーディング中の開放感からのバカ食いのため太ったが、今はビデオの頃から比べて7Kgほど痩せた。




7月17日OA



 
遠藤賢司
 
不滅の男、史上最長寿のロックンローラー、純音楽の孤高のカリスマ、エンケンこと遠藤賢司がゲスト。
エンケンファンにとっては純音楽というのはお馴染みだが、簡単に言えば「音楽は音楽として自分だけの言 葉と音楽と音で成り立つ音楽」(遠藤)。だからひとりひとりはみんな純音楽家。
前回、ゲストに来た時はFM大阪が入っている朝日新聞ビルが火事になり、中の島の遊歩道での野外インタビ ューだった。おととし16年ぶりにオリジナルアルバムを出し今回は1年半という短い間隔でのリリース。次の アルバムがこれほど早く聞けるなんてみんな驚いている。遠藤自身は1年6ヶ月という間隔は普通かちょっと 長いぐらいに思っている。「もしも君がそばにいたら何んにもいらない」というタイトルの対象は女の子。原始時 代から変わっていないと思っている人間の淋しさをだしてみたかった。ジャケットは女性のヌードで原始時 代の風景で男の子を待っている女の子の姿を表わしている。永久に変わらない心の淋しさを埋めてもらう時 に人に甘えたりすることは大事なことだと思う(遠藤)。この説明に岸本は深く納得。男と女の関係は2人が 助け合うから2人でいられるのではないか。これは猫でも同じ。この考えは養老院に入っても変わらないだ ろう。自分が部屋に帰ってきた時に迎えてくれる人は欲しい。だから「君がそばにいれば何んにもいらな い」となる。その時はその時で人間は必死に生きているからきれいだと感じる。それが具体的に表わされて いるのがサッカー。今やるべき事を人前でみせて金をとっている。シュートを外した時に見せる苦悩の顔は 見ている人に安心感を与え、安心感にお金を払っている。これで社会は成り立っている。

アルバムの1曲目は「ラーメンライスで乾杯」。30年ぐらい前の四畳半フォーク時代の下宿生が自分の部屋でインス タントラーメンを作って、昨日の残り物みたいな冷たいご飯を一緒に、主食の両方を一気に食べて「さぁ今 日も元気に音楽でもやるか」といったもの。ラーメンとライスは別々に食べる。ラーメンのなかにライスを 入れるのではない。においをかいだだけで嬉しくなり、食べてみたいと思う。「腹持ちバッチリです」(遠 藤)。この曲は男性同士の友情を描いたもの。アルバムはエンケンの周りの友人が集まってレコーディング された。「ラーメンライスで乾杯」は鈴木茂(元はっぴぃえんど。前回「夢を叫べ」でギターを弾いていた、中島みゆきのバックでも ギターを弾いている)がギターで参加。遠藤は鈴木茂のギターが世界一だと思っている。 東洋にも西洋にも寄り添いもせず、両股をかけてキチッと自分の音を出している。鈴木茂とは30年来のつき あい。今回のアルバムのコンセプトは「音楽は恰好ではなく裸の心」。遠藤は相手の何かを聞きたい時は相 手の裸の心を聞きたいと思っている。最近好きなテレビ番組は「学校へ行こう!!」で「未成年の主張」が好 き。あれは音楽の原点。この前感動したのはパンを作っているおじさんが辞めてしまうのでその人に対して 生徒が「僕は(パンを)食べれなくなるのがさみしい。ありがとう、おじさん。」と屋上から礼を言うと、そ のパンのおじさんが照れくさそうに頭をちょっと下げるというもの。こういうのが本当の歌ではないか。最 近の歌はこざといことを言っているが、詩だったら詩人になればいい。音と言葉を一致させるのは難しい。 基本に戻ってもう一度やりたかった。

岸本は去年エンケンのライブをみて「スパッと胸に突き刺さるような」感じをもった。これはよく言われる らしい。ライブのアンケートで多いのは「日本でもこういう奴がいたんだな」というもの。その他には「簡単な言葉なのにズシッと響く」という感想が多い。

アルバムにはアップテンポのものもあればピアノだけのものまである。「両方ないと成り立たない(遠藤)。」 ものらしい。ひとつひとつの音に込める力は同じ。どんなにやさしそうにしていても肩のこり具合は同じ。 自分のアルバムだからというわけではないが、とにかく聞いて欲しい。「売れているからいい音楽ではなく て、売れているから悪い音楽ではなくて、売れてないからいい音楽でもなく、売れてないから悪い音楽でも ない」(遠藤)。素直に自分の心を表わしている音楽がこれからの日本の音楽をになっている。
7月21日は心斎橋クアトロでライブ。ゲストはくるり。 ゲストを選ぶ時にいい加減な奴とはやりたくない。テープを聞いた時に「あぁ、いいなぁ」と思った。どうせ やるならいい奴と「対決」したい。




7月17日OA



 
大槻ケンヂ
 
4〜6月にかけてソロプロジェクト「UNDERGROUND SERCHLIE」を活動させていた大槻ケンヂがゲスト。期間限 定のUGSを振り返る総括としてEZMにやってきた。(笑)
スケキヨ」「アオヌマシズマ」とも横溝正史の「犬神家の一族」の登場人物。ファンク・ノイズ・アヴァ ンギャルドなトラウマパンクの2枚のミニアルバムだが、大槻ケンヂらしい音。岸本はUGS終了を残念がって いる。このアルバムを作るにあたっていろいろな人に曲ごとにプロデュースしてもらった。それはそれでお もしろい作業だった。

GASTANKの「ジェロニモ」(「アオヌマシズマ」の1曲目に収録)は高校生の時からやりたいと思っていた 曲。原曲はHR/HMみたいなものだったが、ホッピー神山の手によってとてつもないものになった。デモテー プを作る時に仮歌を入れてくれたのがガスタンクのボーカルBaki本人。本人の声を聞きながらレコーディングを した。ガスタンクに足を向けて寝れない。

アルバムにはいろいろなアーティストが参加。あぶらだこ、人間椅子、高円寺20000Vの店長がやっている KIRIHITO、オリビア☆ニュー☆トン☆ジョンなど。「ポップという言葉から2万光年ぐらいかけ離れたサウ ンドをやっていた」(大槻)。当初はポップな売れ筋の大メジャーの人とやる話もあったが自分の中でポップ サウンドに興味がなくなった。およそテレビから流れてこないような、タイアップが絶対取れないようなも のがやりたかった。大槻は音楽というものが自分でよくわからなくなった時に突然民族音楽に流れてしまう パターンは大好き。ポップな音楽をやっていた人が突然和太鼓とセッションしたりロックだが三味線を取り 入れたりシタールをもってきたりするのがいい。「あんたちょっとカンチガイしてますよ。テンパッてます よ、ただ単に。」というのがたまらない。デビューして10年、商業音楽の世界でやってきて音を楽しむこと がわからなくなってきた。そこで他の人は和太鼓や三味線やシタールに行くのだが(笑)、大槻の場合は80年 代に東京のライブハウスうごめいていたパンク・ノイズ・アヴァンギャルドにぶちあたった。岸本「大槻さ んは定めの星に生まれてきた感じがする」。大槻「スバルみたいだね」。

昨日、仲間と話し合った結果、大槻は「犬になりたかった」らしい。森高千里の犬なら幸せそう。女の子関 係では「ヤリ逃げしたいですね。」に対し、岸本「最低ですね(笑)」。大槻、ヤリ捨てヤリ逃げは男の夢と 主張。前半は落ち着いたミュージシャンのキャラだったのに最終的にはゲスいキャラに。大槻は女の子には 母を求めている。ジョン・レノンと一緒。家に帰ったら「どしたの?」と言ってくれる女の子がいい。吉田 栄作と飲みに行った時に吉田も同じ事を言っていた。大槻と吉田はドラマで共演した仲。大槻は他にもドラ マに出ていて、「ファンシイダンス」で本木雅弘の恋敵役で鈴木保奈美の元恋人役もやったことがある。
UGSのアルバムは「作り捨て、作り逃げ、売り捨て。」(大槻)。たまにアーティストはわけのわからないア ルバムを作りだまくらかして売って逃げることがある。だから責任を取りたくないからUGSの名前をつけた。 岸本「作り捨てにするにはもったいない」。このアルバムは大槻の音楽人生の中でも節目になっている。こ れからはストレスのない人生を送りたい。自分がまったくやりそうにないことを習うのはいいらしい。自分 の人生の引き出しにそんなものはないというものを始めると、世界の広さに気づいて、できない自分に打ち のめされて、できる自分に圧倒される。
最後に一言、「みんな楽しくしようね。(笑)」




7月10日OA



 
田森篤哉&吉野寿&二宮友和(eastern youth)
 
6月21日に「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」をリリースしたeasten youthの3人がゲスト。
岸本、いきなり田森の肌の黒さに驚く。地黒なのに「海とかが好きそう」とかってに想像。eastern youth には恐いイメージがあったが実際はそうでもないらしい。今回のアルバムはメンバーから言うと「音楽」。 最近「eastern youthはキている」という声があちこちで聞かれるが、本人たちにしてみれば何も変わって いない。食べて飲んで寝て仕事しての繰り返しの毎日。四六時中音楽に浸っているわけでもない。曲から受 けるeasten youth像はストイックな印象があるが「怠惰極まりない(吉野)」らしい。吉野の怠惰ぶりは人に 負けない。テレビも見ずに寝転がっていることもある。耐えられなくなったら外に出て歩いて疲れたら家に 帰って寝転がる。音楽を作る時間は特に作らない。「何気なくモヤモヤと。」曲ができる。吉野の書く詞に は難しい漢字が出てくるが「字面的にいい感じ」のやつを辞書を見て選んでいるだけ。

田森と吉野は小学校の同級生で札幌でバンドをやっていたが飽きたので東京に出て工事現場で働いていた。 この時同じ現場で働いていた愛媛出身の二宮に声をかけ、それが現在に至っている。学生時代の田森と吉野 は「普通の学生でしたよ(田森)」だった。「田森さんはなんかちょっと甘いマスク系やから女の子にモテそ う」と岸本がチャチャを入れるがメンバーに笑い飛ばされる。岸本がもらったメンバーの資料では「甘い顔 」に写っていたらしい。東京に出るキッカケは「飽きた。(吉野)」から。札幌時代に周りで活動していたバ ンドが上京していき、なんとなく淋しくなったし自分自身飽きていたから東京に出てきた。東京にきてもバ ンド間の交流はほとんどなかった。
二宮は27歳のわりには肌がきれい。みかんを食べているせいかてかり具合が違う。特に額は光っている。二 宮は実家が愛媛なので仕事以外で大阪にも来る。

ジャケットの絵は佐伯祐三の「立てる自画像」(1942年の作品)。ジャケットに使ったのは吉野が個人的に好 きだったから。吉野「すごい絵でしょ? それにつきます。」 言葉で表わせないが引っかかる絵ではある(岸 本)。岸本「eastern youthに近しい人の反応は?」吉野「近しい人はバカにして聞いていない。」 近しいか ら逆に聞いていないのでは。




7月3日OA



 
小島麻由美
 
以前からリスナーの「ゲストに呼べ」という声が大きかった小島麻由美がゲスト。
岸本「セシルカットブルースは吐息がもれたような歌」。好きな男の前でもあんな声で喋っているのか?と邪推するもあっさり小島に否定される。 「セシルカットブルース」は映画の男女関係をイメージして作った曲。簡単に言うと青カン(笑)。セシルとはフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」の 主人公で、小説内にこんなシーンがあるらしい。

思春期(学生の頃)に聞いていたのはレベッカやブルーハーツなどで意外なほど普通。ピアノを習っていたがロックと融合はなかった。でも曲作りはピアノでやる。 その他クラリネットなどをやっていたが長続きしなかった。高校生の時にバンドをやっていたが学園祭で1日だけやるような「へなちょこ」でレベッカのコピーをしていた。 今となっては忘れたい過去。

デビューのキッカケはレコード会社のオーディションにテープを送ったこと。岸本は昔、そのオーディション通過者の写真が載っている雑誌をなにげなく見ていて その中で小島の女優みたいな名前とモデルみたいな顔がすごく印象的だったらしい。小島麻由美は本名。「これが芸名だったらカッコ悪いわぁ。」(小島)。岸本が最近気に入っている 名前は「魚子(ととこ)」で自分の子供につけたいと思っているが、小島に反対される。理由は魚はウロコが気持ち悪いから。

セシル3部作は今回のアルバム「さよならセシル」で完結。周りを固めているのはすごい人たち。フルートを吹いている国吉さんはポニーキャニオンの部長さん。ASA-CHANGは本能のままに生きる人。 ベーシックな楽器はドラム・ウッドベース・ギター。エレキベースは嫌い。なぜだか好きになれない。

現在聴く音楽は基本的に自分のものしか聴かない。レコーディングの参考として聞くのはエラ・フィッツ・ジェラルドの「AIR MADE SPECIAL」。ジャズは好きだけど 「ドジャズ(フュージョンジャズ)」はキライ。ロックもキライ。単純にロックがキライなだけ。自分の聞きたい音しかCDに入れないこだわりがある。

「結婚行進曲」のアウトロはその時のレコーディングのノリであのように(どんどんテンポが速くなる)なった。デビュー曲は「結婚相談所」であるが、これも映画から取った。 今は結婚をしてもいいと思っている。岸本は料理がヘタなのでキライ。小島は1人暮らしなので自炊もする。

ライブはレコーディングのメンバーと同じなので楽しい。メンバーの年齢はバラバラ。大阪ではワンマンは初めてだがイベントでは2回ほどライブをしている。
将来の夢は「南の島に行きたい」(小島)。海では泳ぐのはキライだがあの雰囲気が好き。海は酒を飲むところ。だから海では曲は作れない。 「海行ったらお酒でしょう。」(小島)。お酒は毎日飲む。何もない時は昼間から飲む。酔うと声が大きくなり、周りの人にカラミだすらしい。




6月26日OA



 
佐々木潤(PEACE FORCE)
 
今回からインタビュー内容も書き起こします。
DJでありCOSA NOSTRAのメンバーでもあり、自らのロックプロジェクトをも起ちあげる佐々木潤がゲスト。 いろいろな側面を持っているが「俺って何者なんだろう」と思うぐらいいろいろやっている。沖野修也とも月2回「暴れん坊ナイト」というイベントをやっている。 DJをやり始めた時に桜井鉄太郎(COSA NOSTRA)に出会い試行錯誤しながら現在のスタイルを確立。PEACE FORCEの活動を始めたのは98年。 COSA NOSTRAと違う表現がしたかった。岸本「代官山物語」のサントラをベタ褒め(佐々木もこの映画に出演)。このサントラに収録されている曲が金融破綻のニュースのバックに流れていたのを 岸本は聞いていたらしい。PEACE FORCEでは映画出演の流れから「俺もチャレンジャーだ」と思いタイトルに。今回のコンセプトはロックで疾走感のある世界。 「代官山物語」で演じていた「ヤリマックス」のイメージにダブるものがある(岸本)。

かなりなりきりが入っている今回のジャケ写のイメージはC・イーストウッド。子供の頃に「太陽に吠えろゴッコ」をしていていつもジーパン役をやっていた。この時の経験からピストルの 持ち方もさまになっていたのでは。松田優作の影響が「代官山物語」でもでていた。岸本は共演していた夏木マリが好き。子供の頃、Gメン'75に憧れてGメン手帳を作り学校に持っていっていた。
佐々木「(PEACE FORCE)は小山田くんのCORNELIOUSみたいなもの」。今まではB級音楽だったのでA級音楽(心を打つようなすばらしい音楽)を作りたい。 今作でも詞はA級。特に「BE MYSELF」が気に入っている。いろんなことで悩んでいるけど結局は自分のことだからがんばれよみたいな歌詞。 COSA NOSTRAのフロントの女性2人は初め出会った時は「かわいい」と思ったが、いまはそうでもない。見慣れてしまったからか。

「BE MYSELF」にコーラスで参加しているのはMisia。Misiaの「陽のあたる場所」は佐々木の楽曲。デモを作っている時に、自分がわかりやすいようにデモに「Misia」と 書いていたらいつのまにかそれが彼女の名前になってしまった。英語がダメだという岸本に「BE MYSELF」ぐらいはわかるでしょ?と佐々木の非情なツッコミが入る。




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