12月25日OA



 
ASE&アイン(Boat)

ASEは奈良県桜井市出身。心斎橋クアトロのイベントには両親が来ていてその2人だけ異様に浮いていた。親とは実に2年ぶりのご対面。アインのかわいさはくるりの3人も絶賛。7月10日にリリースしたデビューアルバムも評判は上々でアインの実家の中華料理屋にはBoatのCDが50枚ほど平積みで売られているらしい。

結成は96年頃。当時スペースカンフーマン以外にいくつかのバンドをやっていたがハードコアだったので親もライブに呼べるような曲をやりたくてバンド結成(笑)。アイン以外の4人は同じ大学のサークルで一緒だった。アイン加入のキッカケは話すと長くなるが、簡単に言うと「お腹が減って(ASEに)声をかけたら、坂井さんの家に行った」(アイン)とのこと。それまで4人で練習していたがライブをやっていた。ライブをやるようになったのはアインが入ってから。

アインは小学校3年生の時に「私はパンダ」(コロムビアレコード)というLPに参加経験アリ。中国からウェイウェイという上海雑技団のサーカス・パンダが来日して、それを記念するレコードで中国語ができる女の子を探していた。ライブもだいぶ慣れてきたがそれでもいまだに緊張する。練習は「週に1.5回」(ASE)ぐらい。曲はASEが書くが詞はASE・アイン・岩見らが書いている。中国語の曲でも曲を作ってから歌詞を乗せる作り方。ASEは歯で曲を作る。右奥歯がバスドラで左奥歯がスネア、前歯の間で音を出す。

年明けには2nd Alがリリースされる。すでにレコーディングは終了している。沖縄でレコーディングした曲もある。11月には「CMJミュージックマラソン」に参加するためにニューヨークへ。4日間の期間中に出演したバンドは約1000。

11月30日(Sat)には初のワンマンライブが十三ファンダンゴで行われる。チケットはビデオテープとして売り出される。内容は新曲「キルキル」のプロモビデオとそのメイキング。
最後に一言、ASE「ハーイ、今年はどうだった? 以上」。→アイン「今年は楽しかった♪ 以上」。




12月18日OA



 
中村一義

「再会」(Al「太陽」の4曲目)はジャケ写を撮った佐内正史との共作。佐内とは長いつきあい。太陽の光がうまい具合に当たっているジャケットは好評。約9ヶ月かけて作った「太陽」だが1st Al「金字塔」である程度はやり方ができていたので今回はあえて違うようにした。以前は1人で作っていたが外からもいろんな人を入れた。中村「ふれあいを入れないと持たないと思った」。

「駅」では曽我部恵一、「あえてこそ」では仲井戸麗市が参加。曲はこの1年で作った曲がほとんどでレコーディングをして歌詞を作っての繰り返しだった。行き当たりバッタリの割にはよくできたのでは。「いつも二人で」は中村の妻である早苗さんと歌詞を書いている。中村「のろけもここまでいけばいいだろう」。
結婚している人に言わせると夫婦はケンカをした方がいいらしい。中村も夫婦ケンカをする。とても小さなこと(なんでこのお茶っ葉を使ったのか)から始まって大きなケンカに。結婚する前はおばあちゃんとそんなケンカをしていたらしい。
詞を書くのはそんなに好きでもないがメシを食うのと同じように書いている。日本語詞はデビューしてからで、それまでは英語詞だった。

「笑顔」のPV(「90’s FILMS」に収録)も佐内正史がディレクション。ビジュアル的なこだわりは今回はない。
現在住んでいるのは東京の下町。マンションの建設反対運動が起きているような低層住宅街。
98年は「太陽」に尽きるといったところ。レコーディング以外では原付の免許を取ったりした程度。車の免許はまだ。電車は好きではない。中学・高校と電車通学だったのでそこで嫌悪感がある。だから自転車や原チャ。スタジオも月島にあるので原付の行動範囲内。

99年はリリースする人が多そうなので休んでしまうのもいいかもしれないと仕事放棄宣言。99年のことを歌うのではなく20001年のことを99年に歌うのもおもしろそう。(中村)




12月18日OA



 
奥野真哉(SOUL FLOWER UNION)

告知なしの突然のゲスト来襲。S.F.U.から奥野真哉がやってきた。他のメンバーは二日酔いだったので奥野が選出されたらしい。
ライブで見る奥野はクールに見えるが会ってしゃべってみると人当たりのよさそうな感じ。曲紹介をわざわざ間違うなどデキシード・ザ・エモンズのようなノリ。

Sg「EACH LITTLE THING」のPVはアイルランドで撮影。ドーナル・ラニー(Donal Lunny)をプロデューサーに迎えたこともあり今年は2回ほどアイルランドに行ってきた。アイリッシュ音楽とやろうということになったキッカケは中川敬がソロプロジェクト(SOUL-CIALIST ESCAPE)で活動していた時にアイルランドのミュージシャンとやりたいと希望を出していた。そこでドーナル・ラニーとやってみたらウマが合いS.F.U.でもお世話になることに。奥野「長く付き合える友達ができた感じ」。

マキシSg4曲中、2曲はfeaturingアルタン名義になっている。アルタン(ALTAN)は来日経験あり。よく考えると3曲もカバーしている。まるでカバーバンド。アイルランドのバンドはあまりなじみのない楽器を使っているが、ぞれと日本の三線とがうまくマッチしている。音階的にも似ている部分がある。
アイルランド人は沖縄人と似ているかも。気ままに演奏してちょっと寝て起きたらまた演奏、そんな感じ。

来年の頭にはアルバムをリリースする予定。その前にNHK「みんなのうた」関連のCDがリリースされる。ライブも12月2日の京都・礫礫からスタートしている。前半はドーナル・ラニーも参加していたが後半はS.F.U.のみ。
ざっと1年を振り返ると来年につながる出会いもあったし納得のいく作品もあり充実感があった。(奥野)




12月11日OA



 
山中さわお&真鍋吉明&佐藤シンイチロウ(the pillows)

ピロウズが3人揃ってゲストに登場。
ファンの人でも半分以上は佐藤が一番年上だと思っているらしい。実は真鍋の方が年上。現在36歳だがまったくそうは見えない。若く見せようと意識しているわけでもない。ハゲていないからか?

Sg「インスタント・ミュージック」についているアンケートハガキはおもしろい。「このCDを買っての感想」で「がっかりした」にマルをつけられたらさすがにガックリくるだろう。ライブのアンケートもおもしろい。中にはムカツクようなコメントを書いている奴もいる。
タイトルを見ると今の時代を表わしたものだとよく言われるが、インスタントなものは子供の頃からあったもの。山中はいろんなことを考えすぎる人なのかもしれない。インスタントミュージック=嫌いな音楽、ともとれる。「インスタント・ミュージック」はピロウズの中でも軽い曲。98年に世に問うというものではない(山中)。今年を表わすなら「インスタント」よりも「不況」(真鍋)。CDを買ってから歌詞を見て「あーこうなんだ」と思う人がほとんどでは。

プロモビデオも好評。アヤマックスに手がけてもらう。アニメーションのPVは以前から作りたいと思っていた。ぱっと見た感じは一筋縄ではいかない、かわいいような怖いようなキャラがピロウズに合っている。2月にはクリップ集を出す予定。そのなかに山中さわお監督作品を入れる予定。

1998年はライブが多かった1年。個人的には「激動の1年」(真鍋)。ここ2〜3年は休みらしい休みがない。何かに縛られている感覚はなく、むしろ望んで忙しくしている。ライブをして曲ができたらレコーディングもしたい。今年一番しんどかったライブは新宿リキッドルーム。明らかに空調設備がおかしかったので本当に倒れそうだった。今年からツアーの満足度合いが高くなった。佐藤「ようやくライブに慣れてきた」。時間かかりすぎ。

1月にはAl「RUNNERS HIGH」をリリース予定。10年目にしてピロウズはまさにこの状態。佐藤「人間は快楽の奴隷なんですね」の名言。アルバムにはライブでやった曲も入っているが今年作った曲がほとんど。今年は未発表も含めて30曲ぐらい作った。自分たちでも最高傑作と思えるが、まだまだやれると思っている(真鍋)。3月にはツアーも決まっている。3月13日は神戸チキンジョージで、3月23日はIMPホールでライブ。チケットは1月31日に発売開始。前回のIMPホールはソールドアウトではなかったが内容は濃かった。




12月4日OA



 
チバユウスケ&クハラカズユキ(thee michelle gun elephant)

FM大阪「超ヒットパレード6」にEZMはthee michelle gun elephantを持ってきた! これでどれだけレーティングが稼げるのか!?

チバは酒によっての悪行を反省(?)。毎日飲んでいるのかと思いきや、1週間に1日ぐらいは飲まない日があるらしい。クハラはご飯と一緒に酒は飲めない。メシはメシ。ちなみにクハラのマイブーム(笑)は「食べる味噌汁」。とにかく具を入れるだけ。
クハラはちゃんと分別ゴミを分けて出す。ビンやカンは洗ってまとめておくぐらいのマメさ。チバやクハラがゴミを持ってゴミ捨て場に行く姿はなかなか想像できない。クハラ「Do It Yourselfですよ」。

クハラが住んでいるのは住宅街だが、行きつけの飲み屋は2軒ほどあるようなところ。自転車なら下北沢まで足が伸ばせる。回覧板は回ってこない。賃貸だからか? 岸本は燃えないゴミもごちゃ混ぜにして出す。クハラ「パンクの精神に反するよね」。

Al「ギヤ・ブルーズ」は夏のイベントが終わった9月ぐらいから1ヶ月半で作った。ほとんどライブでやったことがない新曲ばかり。今回は14曲録って14曲収録という形。ツアーで本数をこなした影響も出ているかも。
今年はイベントが例年に比べて少な目。よく「休みがないでしょ?」と言われるが、そうでもない。そして毎日の飲みは欠かせない。でもレコーディング中はさすがに控えたらしい。クハラ「こんなアルバムを作っておいてメンバー4人中2人が童貞とかだったら嫌だ」。チバの友人バンドに「チェリーボーイズ」というそのまんまの名前のバンドがいたらしい。

今年は年明けから数ヶ月に及ぶライブツアーを敢行。ガラガラの会場はさすがになかった。昔はよくガラガラの会場でやっていた。新潟では観客5人を相手にライブをしたことも。マンツーマンマークでライブ。チバ「おまえがワンマンだ!!」の名言。大阪で初めてやったのは十三ファンダンゴ。渡英は2回目でロンドン→マンチェスター→ブライトンと飛び入りも含めて5本のライブをこなし、「G.W.D.」と「アウト・ブルーズ」をレコーディングしてきた。チバ「素晴らしい一年でした」と言いつつ、ふたりとも過去を振り返らない主義。
チバは今年30歳になったが特に感慨深いものはなし。クハラは早く30歳になりたいと思っている。29歳は中途半端な年齢。一番年下のクハラがなぜかリーダーだが、実は他のメンバーにリーダーをやらされているだけかも。

12月8日の大阪城ホールでのライブはチケットがソールドアウト。岸本は大阪城ホールの舞台上で前説をしたことがある。別に怪しい宗教団体の営業ではない。チバ、ボソッと「俺、合同結婚式でたんだよね」。それで知り合ったのがミッシェルガンエレファント。全員カミさんに逃げられたチーム。チバのカミさんは元体操選手でクハラのカミさんは元卓球選手でオヤジは作家。話ヤバすぎ。またもチバ、ボソッと「最高ですかっ?」。チバ、宗教ネタで暴走。

チバ、「うさぎ年」があることに驚く。チバには兎年と辰年の概念がなく十二支ならぬ十支となっていたらしい。
最後に一言、チバ「特にないっす」→クハラ「この道を行けばどうなるものか、危ぶむな危ぶめばそこに道はなし、踏み出せばその一歩が道となり、その一歩が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ。ありがとうぅっ!」と猪木の言葉で締める。(注:正しくは「この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道は無し 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ ありがとうっ!!」)

ミッシェル・ガン・エレファントからポストカード(4枚)と「OUT BLUES」ステッカーをセットにして3名の方に、黒の長袖Tシャツを3名にプレゼント。宛先は〒530-8285 FM大阪 EZM 「超ヒットパレード6」係 まで。




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