1月29日OA



 
大和田晃&古平竜也&佐藤美恵子(pre-school)

pre-schoolが初登場。
大和田はメンバー内で「バク」と呼ばれているようにアダ名は芸能人からのパクリ。だから佐藤は「パンチ」と呼ばれている。見た目は"パンチ"ではないのだが…。

岸本は年末に大掃除していた時に「INDIES MAGAZINE Vol.6」(1996年12月号)を発見した。これの付録CDの1曲目にプリが収録されていて思わず手を止めて聞き入ってしまった。わずか2年で飛躍的な進歩を見せている。曲はかってにCDに入ってしまったらしい。古平「表紙なのにヤバイ顔をしている」。確かにどこかオマヌケ。どうもプリはこの歴史を抹殺したいらしい。

バンド結成は1994年10月。古平や芹野貴之(G)や田島一平(DS)はプリ以前にもバンド経験があった。佐藤はキーボードの他にボーカルをやったりギターを弾いたりしていた。結成当時のバンド名は「VINYL」で当初からプロ志向だった。現在の「pre-school」という名前は、広島にカキ養殖所を作ったオランダ人がつけた養殖所の名前から取った。
メジャーデビューは1997年7月2日にSg「Spunky Josh」で。メジャーデビューにあたっては「あまり意識していなかった」(古平)。プリには涼しげな顔をして何でもやりそうな気がするが実は暑苦しい。

「東京でどんな遊びをしているか?」の問いに3人一瞬沈黙。古平「去年のクリスマスにうちの近所のクラブでミッシェルのキューちゃん(クハラカズユキ)がナンパしていた」と暴露。古平の隣りで口説いていたらしい。

2nd Alのタイトルが無題なのは単にいい名前が出てこなかったから。アルバムをレコーディングするにあたってこだわったことは特になし。あまり考えずにやったわりにはよくできた(古平)。岸本「忙しい中、時間をやりくりして作ったということですね。」→古平「うーん。」と納得せず。曲の作り方はネタを貝殻に入れて海に沈めて寝かすとできる。潮の流れも関係する。今年は夏に赤潮が発生して大打撃を受けたが、夏前に持ち出していたので被害はなし。日本は水が汚いからきれいな海を求めて海外へ。 今回は貝をこじ開ける前に海外に持っていってハービー・ワインバーグというニルヴァーナやスマッシングパンプキンズのエンジニアをしているけど本職は真珠作り(笑)の職人に頼んで黒い真珠に仕上げてもらった。
初回限定盤にはその真珠が一個入っている(嘘)。大和田「僕らにも(真珠が)一個入ってますから。」→古平「僕は3つぐらい。」とカブせたおし。

今後はカラーひよこも流行っているので色をつけたい。ラメもいいかも。(古平)
そんな真珠の入っている(笑)プリスクールは2月からツアーがスタート。大阪では3月13日(Sat)に梅田HEAT BEATで。




1月22日OA



 
田中和将&亀井亨(GRAPE VINE)

Sg「スロウ」をリリースしたばかりのグレイプバインから田中&亀井のヤングチームがゲストに。
亀井は怖い顔をしているが"お見合いしたいアーティスト第1位"(EZM調べ)に選ばれる。年配の人に好かれるタイプなのか。

Sg「スロウ」は今までのグレイプバインとちょっと違う感じがする。ストリングスを入れるなどいい意味で作り込んでいる。作曲は亀井でSg「君を待つ間」以来になる。曲を書くのは緊張するが随分慣れた(亀井)。田中「センチメンタリストですから」。作ったのは9月ぐらいで、自分が作った時点でかなり気に入っていたがバンドに持っていってより良くなった。デモの段階の雰囲気を壊したくなかった(田中)。
アレンジに第三者を入れた(プロデューサーはDr.Strange Loveの根岸孝旨)ことで広がりが出た。

詞はいつものように田中。田中「言葉を吟味するのが難しかった」。クオリティを損なわない妥協点を高く設定したので自分自身との戦いになった。

デビューして2年、落ち着いたといえば落ち着いた。曲のストックを使い果たしので曲を作る感じはいつでも尻に火が点いている状態。こちらとしてはいいモノを作っているつもりなのでプレッシャーはあまり関係ない。

お正月はゆっくりする暇はなかったが大阪に戻っていた。岸本「デビューしたら友達増えたとか?」→田中「減る一方です(笑)」。99年はマイペースに続けていきたい。個人的には引越ししたい(田中)。東京は家賃が高いと嘆く。

C/W「望みの彼方」は西川弘剛の曲。この曲と「スロウ」とでどちらをSgにするのか悩んだ。
現在はレコーディング中で4月にSg(「光について」)・5月にAl(「Lifetime」)の予定。1st Alは半分ぐらいがストックの曲で半分が新曲だったが次のアルバムでは全曲新曲になるのでまさに正念場。田中「僕らなりにもっと幅を出したい」。その幅が世間的に狭いものかもしれないけれど、長く聞けるアルバム作りを目指している。
グレイプバインからメンバーの写真が入ったポストカードとステッカーをセットにして4名の方にプレゼント。〒530-8285 FM大阪 EZM「こっちはたくさんのご応募お待ちしています」係まで。




1月15日OA



 
Take-shit & Hideki (COCOBAT)

TSUKIOOKAMI」をリリースしたばかりのココバットがゲスト。Hidekiが加入してからは5年ぐらいだが、結成当時のメンバーはTake-shitだけ。必然的にリーダー格に。

Al「TSUKIOOKAMI」の1曲目「ボボ」は往年の名レスラーで昨年他界したボボ・ブラジルに捧げた曲。メンバーは格闘技好き。男がハダカで闘っているのがいい。(Take-shit)
バンド名の「ココバット」はボボ・ブラジルの得意技。いわゆる頭突き。結成は8年前でレコード店の社員だったTake-shitが中心になって集まった。現在残っているのはTake-shitのみ。Hidekiは2代目Vo。活動的にはCDを作ってライブというスタイル。
タイトル曲「TSUKIOOKAMI」は修斗の佐藤ルミナをイメージして作った曲でルミナの入場テーマ曲に使われている。レコーディングは国内で「わりとサクッと」(Take-shit)。演奏はグァーっとやるが作るのはコツコツ。岸本「他のバンドに負けないところは?」→Take-shit「ないです(きっぱりと)」。そういうことは見た人が判断することであって自分から言うものではないと説明。

ここからTake-shitに質問タイム。生まれも育ちも文京区のTake-shit。今やっているような音を意識したのは中学生あたりからで、高校でバンドを組んだ時からベーシストだった。続いてHidekiに質問タイム。千葉を愛する千葉県民で歌謡曲を聞きながら育つ。
最後に一言、Take-shit「気になったらCDチェックしてください」
ココバットからTシャツのプレゼント。宛先は〒530-8285 FM大阪 EZM「あまり応募がないように祈ってます」係まで。




1月8日OA



 
長田剛(After me)

1月1日にメジャーデビューしたAfter meから長田が2回目の登場。

メジャーデビューSg「明日の向こう」にはストリングスも積極的に入れている。これにより力強いバンドサウンドが浮かび上がってくるのではと思い入れたらしい。この曲は長田が仕分けのバイトをしている時に浮かんできた曲。個人作業だったのでよく曲が浮かんだ。今思えばうってつけのバイトだった。洗練されていないいい意味でのバンドのブサイクさがよく出ている。(長田)

1月30日にはAl「After me」リリースする。バンド名らしくない名前なので、どっちがタイトルでどっちがバンド名かごっちゃになるのを防ぐためでもある。

高浪敬太郎がプロデューサーになっているが、プロデューサー起用は純粋な好奇心から。高浪は1日単位とか1時間単位で物事を見ない人。そういう意味ではメンバーと一緒。自分のカラーに染めるのではなく自らがメンバーに入りどのようにすればよりよくなるかを考えるタイプの人。Al「After me」にはインディーズ時代の曲も多数収録。「君に触れたかった」のイメージが強いがアルバムを通して聞くとバラエティに富んでいると言われるらしい。長田「ファーストアルバムらしいとっちらかった感じ」。

「初めてのアルバム制作は楽しかった」と長田。周りのスタッフも波長の合う人ばかりで、やることすべてが勉強になった。レコーディング序盤は藤沢で合宿。録りが終われば飲むなり遊ぶなりしてリラックス。次のSgもすでに完成している。現在は神奈川から東京(中野近辺)に引っ越して環境も一新。

ライブに関しては田舎の体育館をまわるようなツアーをやってみたい(長田)。その土地特有のにおいがするスペースがいい。ツアーで日本全国をまわって日本がどうなっているのか自分の目で確かめたいとライブに関しては積極的な発言。




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