11月26日OA



 
YOKO & JUNKO (ヌードルス)

ヌードルスはけっこう芸歴が長い。1st Al「重力泥棒」発表の時に前身番組にゲストに来ていた。この時はインタビュー自体が始めてだったので2人とも良く覚えている。曲紹介をする時に「ビートルズのコピーで…」と言ってしまい、すかさず横にいたオードリー木村女史(ベンテンレーベル)に「コピーじゃなくてカバーと言いなさい!」とツッコミを受けたことも。
それから4年経ったがヌードルスのかわいらしさは変わらない。ヌードルスは女性からの支持が多いバンド。でも女性ファンが増えたのはつい最近のこと。
12月2日にはAl「rainbow」をリリースする。前作「lite pop」からプロデューサーに山中さわお(the pillows)を迎えている。昔から知っている人にすれば、ヌードルスはベンテンレーベルのバンドというイメージが強いが、いちおうベンテンからは離れている。

Al「LITE POP」からプロデューサーを迎えたが、自分たちでやっていた頃に比べて録音方法ががらりと変わった。スケジュールの取り方もスムーズ(YOKO)。JUNKO「親分の意見を元に進めていこうって感じ」。
プロデューサー山中さわおとの出会いはヌードルスの対バン相手がピロウズの友達バンドだったことに始まる。それからピロウズのイベントに出演してたりしていくうちに関係が深くなっていった。実は知り合った当初はYOKOもJUNKOもピロウズのことをほとんど知らなかった。初対面の時は打ち上げ会場だったので山中は泥酔していた。

曲作りの時は何も言わず、レコーディングで仕切っていくのが山中のやり方である。山中プロデュースによってハッキリクッキリした(YOKO)。クッキリというか力強くなったのか?

ここで山中さわおからヌードルスへのメッセージを録音したものが流れる。 (内容は、ヌードルスの言い付けを守って洗顔はファンケルを使っていること、実はプロデュースを不安に思っていること、自分が入ることで今までヌードルスが持っていたいいものがなくなるんじゃないかと思っていること、などなど)

山中の親心溢れるメッセージにYOKO&JUNKOも感動。メッセージのなかにも出てきたファンケルの化粧品はヌードルスのメンバー全員が愛用している。だから肌もきれい。でもライブが終わると朝まで飲んでいたり肌には悪いこともやっている。そこをファンケルでカバーしている状態。

「RAINBOW」は前よりも音的に広がった感じ。岸本、YOKOの曲は生理が始まった時のような感じになりますね、とわけのわからない例え。なぜかYOKOもそれに賛同。オンナにしかわからない痛みはオンナにしか表現できないのか。曲は自宅で作ってスタジオに持って行く。結成して8年経つが曲に対して意見が対立したことはない。ライブが終わってから「ファンケルの新しいヤツ出たね」とか言って盛り上がる。共通の話題を多く持っているから意見が対立しないのかも。ヌードルスが目指しているのは女を売りにするわけでもなく男に対抗するわけでもなく、音楽が好きだからやっているというのが表現できればいい。(YOKO)




11月19日OA



 
RYOJI & MITCY (POTSHOT)

オープニングゲストにポットショットからRYOJIとMITCYがゲストで登場。
RYOJIはステージで見るよりも意外と長身。178cmくらいある。MITCYも上背はある方だからそれほど気にならなかったのかも。そのMITCYは今年の春に加入したが、顔が良すぎるのがネックでこれまで正式加入が延びていた。現在はツアー中だがすべて車で移動。ドライバーは元ジュンスカイウォーカーズのMASAYUKI。MASAYUKIははじめはライブ一本○○円という形のヘルプで呼んでいたが、そのうち向こうが「入りたい」と言い出してきた。MITCYは元々関西エリアでトランペットを吹いていた。ちょっと前には宝塚歌劇団でも吹いていた。(本当か?)

ポットショットは95年ぐらいに結成されたが、オリジナルメンバーはRYOJIだけになってしまった。当時としてはスカパンクのバンドは珍しく、その頃に比べると今のスカコア・スカパンクブームは信じられない。初来阪は十三ファンダンゴ。その時の客はたったの7人。客の数の方がバンドのメンバーよりも少なかった。ちなみにこの時対バンしたのが小島。
全国ツアーは3回目になるが、やるたびに客が増えている。RYOJI「自分たちの音楽が認められると思っていたが、ここまで来るとは思わなかった」。

3rd Al「POTSHOT 'till I die」がリリースされたばかり。MITCYは今回が初めてのツアー。レコーディングは6月から2週間ぐらいで録り終えた。RYOJIは友達が少ないので趣味が曲作りになっているため、ストックはある。RYOJIの曲作りは楽譜が書けないので口笛によるもの。

今作は収録時間がもっと長くなる予定だったが結局30分になった。しかし価格は手ごろな2000円。RYOJIは今のCDの価格は高すぎると考えている。もっと気軽に買えるようにとポットショットのシングルは500円になっている。これはTV-FREAKSのオーナーとしてのお客さんに対する恩返しの意味を込めている。

11月22日(Mon)と23日(Tue)は大阪ベイサイドジェニーでライブ。両日ともにソールドアウト。大阪のライブはすごい。盛り上がるのを通り越してアブナイ。フロントアクトは22日がGERUGUGU、23日が横綱ICHIBAN。




11月19日OA



 
茂木欣一(Fishmans)

フィッシュマンズのインタビューは約3年ぶり。この間に茂木は痩せた。痩せたのではなく頬の肉が落ちてスッキリしただけで体重はそんなに変わっていない。でも痩せたといわれて嬉しい。いくら痩せても故・佐藤伸治氏にはかなわない。そのわりにはケーキ好き。この上なく甘いもの好きの31歳。

6年前、梅田のLOFT前でのイベントの時に岸本はきんた・ミーノとともに司会をしていて、そのイベントにフィッシュマンズも出ていた。炎天下の下、一緒に出たOWLはやる気満々だったのに、フィッシュマンズは「はよ、帰らせてー」と泣きが入る情けない顔をしていた。茂木「コーラスしながら吐きそうだった」。

Al「’98.12.28男達の別れ」はベースの柏原譲の脱退前最後のライブだったので録音していたが、まさかこんな形でリリースされることになるとは思わなかった。(茂木)
ライブ自体はすごく良かった。このライブアルバムには「LONG SEASON」も収録されている。岸本は2年前の大阪城野音で見た「LONG SEASON」が忘れられない。この時のライブが印象に残っているファンも多いらしい。この時のフィッシュマンズの持ち時間は30分だけだったので「LONG SEASON」のみでやることがあっさりとメンバー内で決まった。「LONG SEASON」には2通りの演奏方法があり、1つはCDに忠実な音の再現。もう1つは「GET RUN!」とか叫びながら演奏するバージョン。

99年になりベースの柏原が脱退し2人になる。1月の頭ぐらいからシングルリリースに向けて動き始めていたのだが、2月頃から佐藤が体調を崩し3月には活動停止状態になった。茂木は今でも「佐藤くんがちょっと居ないらしい」ぐらいに思っている。街を歩いていてファッションが似ている人を見かけるとドキッとする。CDをかければ故・佐藤伸治氏の声は聞けるわけで、CDが記録として残せることができるのは素晴らしいこと。(茂木)

茂木にとって故・佐藤氏に対する印象は存在感のある人。当時は学生だったが「おしゃれさん」で学生の間では通っていた。
この夏には「FISHMANS的組合」というライブがあった。佐藤氏なしでライブをやるにあたって何をすれば負けないものになるかを考えた結果、フィッシュマンズに関わった人をすべて呼べば強力なものになると思った。やり終わった感想は一言で言うと「楽しかった。」。

茂木は今までの音楽活動の中で一番忙しい。秋深まってから東京スカパラダイスオーケストラの全国ツアーに茂木がドラムで参加する。スカパラの故・青木氏がいた場所に茂木が居るのは違和感があるかもしれない。が、音楽に情熱を傾けているバンドだけにそんなことは関係ない。問題はステージ衣装。果たして茂木もあの「スカパラ衣装」に身を包むのか?
さらにはmarimariのプロデュースもする。marimariのあの喋り方は独特のものがある。インフォメーションを読んでいても、これから物語を語り始めるような感じ。他にはライブビデオを出す計画もある。現在鋭意編集中。 フィッシュマンズは茂木だけになってしまったが、これからもフィッシュマンズは残っていく。




11月12日OA



 
中村達也(LOSALIOS)

メキシコからやってきたロス・ロボスの親戚、ロザリオスから中村達也がゲストで登場。最近はBlanky Jet Cityのロンドンレコーディングがスタート。12月にはBJCのライブツアーがスタートする。9月には沖縄でもレコーディングをしていた。会社ではその芸歴の長さから重鎮のような存在になっているため、宿泊したホテルもちょっと高級なところ。プライベートビーチなんかもあったが早寝早起きでレコーディングしていたため、早朝は開放されておらず遊べなかったらしい。メジャーになってからもBJCは車で移動してビジネスホテルに泊まったりしていた。
中村はつい最近まで渋谷のラブホ街の中心部のビルの一室を借りて仕事部屋にしていたが、夜になると近隣のラブホから声が漏れ聞こえてきた。「ヨシアキーッ!!」と男の名前を叫ぶ女の声を聞き、「あ、ヨシアキさんもがんばっとるな」と思い、その声に負けないように作ったのがロザリオス名義のAl「世界地図は血の跡」。当たり前だが本当は違う。

中村は20歳の時に初めてストリップに行った。「ヘリコプター」という技にいたく感動。女の人が下でくの字形になって男の人が上でくるくる回るもの。

4年前から自分でギターを弾いてドラムを叩いてMTRで録音して、という作業はたまにやっていた。今作も基本的にはそんな感じ。レコーディング中のスタジオにはいろんなミュージシャンが遊びにきていて、来た人にちょっと楽器を弾いてもらったりしていた。だが、中には昼寝して終わりの日もあった。器材の準備をして一息いれたら眠たくなったらしい。中村「はっきり言って今年になるまでどんなスタジオでも眠たかったわ」と亀山務もびっくりの睡眠欲を自白。この前はリハ中にドラムを叩きながら寝たらしい。

来年公開予定の映画「バレット・バレエ」にも出演。中村は塚本監督の「鉄男」などを見て「俺はぜったい出ねぇ」と言っていたのに、塚本監督自ら事務所に交渉しに来た時には出演する気になっていた。中村の役どころは不良グループのリーダー。見終わった後に重い雰囲気になるような作品。かなり前に撮り終わっていたが、これで次の出演依頼がきたら役者もやりたいと思っていたが、かっこよくこれを最初で最後の演技にするつもり。

BJCでのツアーでは久しぶりに大阪でもライブがある。12月20日(Mon)&22日(Wed)はZepp Osakaで2Days。





11月6日OA



 
カジヒデキ&堀江博久(DOTS+BORDERS)

堀江はカジのラジオ以外でしゃべるのはたぶん初めて。堀江はキャラ的にはB型なのだが、B型に収まりきれないキャラ。カジ「キャラの区別がはっきりしている」。ようするに気分屋ということか? 2人の年齢差は2つだが一緒にやり出してからは6年経過。

堀江「友情はあってないようなものだからねぇ、オトナだから」と不仲説を主張。仕事上では音楽の真面目な話をしているらしいが、普段は千葉県出身のカジと神奈川県出身の堀江のお国自慢合戦をしている。まるでB&B状態。千葉出身のカジにとって神奈川で一番ムカつくのが「むかし幕府があったこと」。神奈川県出身の堀江にとってはいくら千葉に成田空港があって東京ディズニーランドがあっても、幕府がないからダメ。ついでに言うと米軍基地もないからダメ。
2人のバカ話を横で聞いていたヒロミックスが呆れて席を立ったこともあるらしい。

堀江が音楽を始めたキッカケは、小さい頃に一緒に遊んでいた女の子がエレクトーンを習い始めたので「じゃ、俺も」とエレクトーンを習い始める。カジも岸本もエレクトーンをやっていた。堀江は小学生の頃にYMOとかを弾いていたらしい。カジは小5の時に自発的にエレクトーンを始めたとのこと。
カジは堀江と初めて会った時はかなりびっくりした。BRIDGEのライブ終了後に楽屋に堀江が来ていた。その時の堀江の姿が海から上がってきたばかりのサーファーのような派手な服を着て、髪型はリーゼントでやたらにハイテンションだったのでカジは度肝を抜かれた。

元々はエスカレーターズレコードの年末忘年会ライブの余興でやったのがDOTS+BORDERSの始まり。当時、堀江はギターを買ったばかりで見せびらかしたかったのと、カジは久しぶりにベースが弾きたかったのでノリでやることになった。ステージでは黒いドットのシャツを着て日本語をしゃべらないというバカスタイルだった。
基本的には共作なので曲作りに関してもおもしろさがある。お互いのエゴが強すぎると曲はできない。「TOKYO TAPES」では5曲だけだったのでわりとスムーズにやれた。堀江「あれが10曲だったら大喧嘩だったね」。

今年のカジはアルバムを2枚リリースするなど精力的に活動した。一方、堀江もコーネリアスのワールドツアーに参加して北半球をサーキット。大陸では車での移動だったので寝て朝起きると国が違うということがよくあった。

今後のDOTS+BORDERSとしての動きは未定。堀江は「解散!」と言っているが果たして…?




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