12月25日OA



 
新井仁(northern bright)

クリスマスイヴの夜に寂しく一人で出てきた新井仁がゲスト。ほかの2人はデートで忙しいから来ないのか? 99年も終わりに近づいているのに新井の中ではあまり盛り上がっていない。でもよく考えると「2000年」という字面の並びはスゴイ、と意味不明の解釈。コンピューター誤作動などの2000年問題に関しては、新井が持っているビデオデッキは確実にダメ。CMでも流行った「ナカムラさん家のマックロード」の初期型。「通帳記入も行かないと」と金にはうるさい岸本に対して、新井はその必要なし。毎月の給料を事務所から現金で受け取っているため。もっと売れるようになると振り込んでくれるようになるのだが、一介の新人の分際では直接手渡しが基本。

テレビの出演も増えたがテレビはリハが大変。HEY!HEY!HEY!に出たときは、朝の9時にリハがあって夕方の6時にダウンタウンに会えた。やっぱりテレビも緊張する。素のままの自分を見せたくてメイクをせずにステージに立ったらテカテカに顔がテカっていた。それを見ていた友人にことごとく指摘され、挙句の果てには母親にまで「ちょっとは塗りーな」と言われた。

Sg「WILDFLOWER」はドラマ「チープ・ラブ」のタイアップ。プロデューサーがノーザンのファンで直々にオファーがあった。ミーティングでドラマのストーリーを簡単に説明されてから、「ラブソングをお願いします」と頭を下げられた。新井的には反町隆史が鶴田真由に語りかけているラブソングのつもり。あまりラブソングを書かない新井、「よくみんなそんな事(恥ずかしい事)を考えてるなぁ」と世間の楽曲にヤカラ。今回は時間がなくて作りこめなかったが、レコーディングしながら練り上げていった。のんびりムード漂うノーザンにしてはキビキビとした方だった。

新井は渋谷に住んでいるが夜は出歩かないようにしている。センター街なんかはもってのほか。新井「確実にカツアゲされますね」とやけに自信満々。新井はもしカツアゲにあったらとりあえず謝ってしまうだろうと予測。ロッカーとは言え腕力には自信がないので話し合いによる解決を図るだろう。

Al「SUGAR&SPICE e.p.」に入っている「Monterey Park」はベースの島田正史をイメージして作った曲だが、「WILD FLOWER」のC/W「MOUNTAIN HIGH」はドラムの原秀樹をイメージして作った曲。だから日本語タイトルは「夜明けのゲンちゃん」。某フリーペーパーでは「WILD FLOWR」が原をイメージした曲と誤植されていて、一部の人には「ゲンちゃんはアツイ恋愛をする人」と認識されていることに原が異様に心配しているので、新井が各地で訂正して回っている。

ロンロンクルーに関してはレコーディングは終わっているがジャケット撮影がまったく進んでいないのでリリースのメドが立っていない。とりあえずノーザンが一段落ついてからになるか。




12月17日OA



 
小西康陽&野宮真貴(PIZZICATO FIVE)

関西にはレコードをよく買いに来るという小西。ライブやDJ以外でも来阪することが多い。野宮は相変わらずスリムな体型。野宮が言うには「たくさん食べる」らしいが、量は小西に比べるとやはり少ないか。
Al「PIZZICATO FIVE」の1曲目「また恋に落ちてしまった」のアウトロはエレクトリックハープシコード。弾いているのは堀江博久。この曲は「25年目のおっぱい」でおなじみの中川五郎の曲、「また恋に落ちてしまった僕」からインスパイアされて作った曲。
先行Sgもアルバムに入っているがバージョンも違うし歌っている人も違う。アルバムでは弘田三枝子が歌っているが「夜の怪しげな感じ」に仕上がっている。ピチカート2代目ボーカリストの田島貴男も参加。ピチカート離脱後6〜7年会わない時期があったが喧嘩別れしたわけではなかった。小西が司会の音楽番組に田島が出演したことで雪解けし、田島のアルバムのリミックスを小西がやったりするなどの交流があった。他には加藤ひさし(コレクターズ)なども参加。

99年に入り小西はリミキサーとしてポールモーリアからYMOからアホみたいに仕事をした。リミックスでは原曲を超えたいという気持ちもあるが、「笑わせたい」(小西)という気持ちがあることも確か。最近はラブ・パンダリンズのリミックスもやったが原曲の100倍はよくなったと豪語。野宮はエッセイ「おしゃれ手帳」を上梓。自分の過去を振り返りながら、どんな服を着ていたかを書いている。洋服は一生モノよりかはそのときに流行っている服を衝動買いで集めてしまう。海外に仕事で行くと、野宮は洋服探し、小西はレコード探しで行動が分かれてしまう。

ライブは12月19日(Sun)が大阪厚生年金(大)、12月20日(Mon)が京都会館第2ホール。年末にはカウントダウンライブもある。
最後に一言、野宮「ライブにぜひ来てください」→小西「野宮さんの本(おしゃれ手帖―Cahier de la Mode)も読んであげてください」。




12月10日OA



 
伊丹英子(SOUL FLOWER UNION)

12月8日に初のライブアルバム「High Tide And Moonlight Bash」をリリースしたS.F.Uから伊丹英子がゲストで登場。本当は中川敬も来る予定だったが飲んだくれたため欠席。今日も伊丹は京都から京阪電車に乗ってやってきた。実は特急のテレビカーがお気に入り。最近は中川・伊丹ともに車に凝り始めて、中川はハイラックスサーフを購入したがまったく似合っていない。中川はサーフに器材をいっぱい積めて走っている。

S.F.U.にとっては初のライブアルバム。伊丹はライブ好きだが中川はアルバムを作り込みたいタイプなので、なかなか実現しなかった。このところライブが面白くて仕方がなかったので、ライブでもテープを回していた。バンド内でしかわからない空気を録音したかった(伊丹)。

ライブアルバムとはいっても曲ごとの時期や会場が違うから曲間のつなぎが大変だった。まずは録音したテープを全部聞いてメンバーがそれぞれ意見を出すところから始まった。ミックスは中川がほとんどやった。その間に伊丹はアイルランドで飲めや歌えやの大騒ぎ。日本に帰ってきてもまだミックスが続いていたから、その作業は相当なもの。ミックスダウンした場所としてクレジットされているのが「魂華神社(こんげじんじゃ)」。神社とはなっているものの、本当はS.F.U.のホームスタジオ。
伊丹的にはベストな選曲。だが「マウンテンバイク フロム ヘブン」だけは入れて欲しくなかった。自分のボーカルに納得していないらしい。でもお囃子をやらしたら紺人の右に出るものはいない。

アイルランドへは去年のレコーディングの後、プライベートで2度行った。伊丹「どこ行っても音楽・酒・音楽・酒。ワタシにぴったり」。酒好きの岸本もうらやむ生活。
若手バンドの中には「ライブは緊張するから嫌い」というバンドも結構いるが、伊丹は生まれてこのかたライブで緊張したことがない。いろんな楽しみ・いろんな出会いがあるから。「ライブは宴会と同じ」と言い切る。はじめてのライブは21歳ぐらいの頃。ギターを始めたのが20歳過ぎ。周りが就職活動しているときに「バンドでもやるかぁ」とギターを始め、3ヶ月後にはメスカリンドライヴのメンバーとしてステージに立っていた。京都の磔磔が初めての場所。NEWEST MODELとは初期の頃から対バンしていた。この間、6年ぶりに精華大学でライブをやったが「この間に何も変わっていないなぁ」としみじみ感じた。

震災後、現在も神戸でストリートライブをしているが、震災時は知り合いが一人もいなかったが、今では知り合いが一番多い地区になった。自治会の掲示板にS.F.U.のポスターが貼ってあったりする。
復興住宅もできて原状は回復しつつあるが、新たなコミュニティーとそれまでのコミュニティーとのギャップで苦しんで自殺する老人が後を絶たない。新聞には載らないが現実は問題が山積み。

ライブは12月14日(Tue)に心斎橋BIG CATで、23日(Thu)はベイサイドジェニーで「CLUB SNOOZER」に出演予定。米サイドは深夜2時ごろが出番だが、それまでに伊丹と中川が酔いつぶれていなければ出る予定。23日にはアイルランドからサンタクロースがやってくる。ということは例のアノ人が来日するということか。




12月10日OA



 
永田太郎&斉藤隆夫&中村大(ARCH)

コメントゲストでは何回かEZMに登場しているARCHがゲストとして登場。3人とも改めて見るとキャラがそれぞれ違う。大きく分けると中村はジャニーズ系、永田は横浜銀蝿系(笑)。斉藤はミステリアスな感じと岸本が独断と偏見で分類。3人の中で一番の食いしん坊は永田。これは見た目通り。

前作はポップな曲ばかりだったので、今作はあえてゆったりめの曲を多くした。これが絶妙なバランス。前作からプロデューサーに上田ケンジを迎えた。プロデューサーを唸らせるデモを作ろうとメンバーも燃えるし、上田ケンジもそれに応えてくれる。

ライブは大阪でもけっこうやっている。インディーでの活動も長いのでライブは手慣れたもの。ARCHのライブにはハプニングが付き物。電源が落ちることもあった。あまりにも縁起が悪いので、それこそSEをお経にしようという話もでたほど。
99年は結果的に充実した(永田)し、状況も変わった(斉藤)。いい意味でこなれてきた。というよりも精神的にタフになったか。




12月3日OA



 
ワタナベイビー(ホフ・ディラン)

伸び放題だった髪の毛はレコーディング中にカットしたワタナベイビーがゲスト。
ワタナベイビー初のソロアルバム「WATANABABY SESSION」は2枚組27曲の大作。尋常ではない曲数だが、ワタナベイビーにすれば「他の人がケチッているだけ」のこと。1人でのプロモーションも終盤に近づいてきて、ようやく慣れてきた。

Sg「坂道」には忌野清志郎が参加。元々は清志郎が作っていた曲だったが、続きが思い浮かばないからと言ってワタナベイビーの方に電話がかかってきた。清志郎と共作できるチャンスということで、話が出た瞬間にやる気満々になっていたのに、一応ミュージシャンらしく「どんな曲なんですか」と聞いてみたら、「じゃぁ、今から歌うよ」と言ってなんと清志郎が電話口で歌ってくれた。時期的にはホフ・ディランでシングルのレコーディングの準備をしている時だったが、これをきっかけに2人で作り込んでいくうちに、ワタナベイビーにとって手放せない曲になっていった。
実は清志郎が音楽担当の映画のために作っていた曲だったが、映画の話がポシャッてしまった。清志郎を音楽監督に迎え8曲も作らせてからポシャッた、ある意味スゴイ映画。映画の話がボツになったことを聞きつけたワタナベイビーがすかさず清志郎に直訴して、「坂道」を譲ってもらった。

清志郎はマンガ好きでFAXにイラストを描いて送るのが好きなのだが、周りはいいオトナでなかなかFAXを送りづらい。そんな中、ワタナベイビーには夜中に何メートルものマンガを描いたFAXが送られてくる。ワタナベイビーも負けじと送り返している。

Al「WATANABABY SESSION」のタイトル通り、アルバムではいろんなミュージシャンと絡んでいる。山川ノリオとは一番たくさんセッションしている。40曲のデモテープの中から山川ノリオに何曲か選んでもらおうと持っていったら20曲ぐらい選ばれた。いくらなんでも多すぎるので、山川の漲るリビドーを抑え込んでなんとか14曲に絞った。甲本ヒロトはギターで参加。ヒロトのギターがCDに収録されるのはブルーハーツ→ハイロウズを通しても初めてのことらしい。調子に乗って早川義夫経由でボブ・ディランにもオファーを出したが、しっかりと無視された。ビル・ワイマン(ローリングストーンズ)にも無視された。

アルバムに参加したアーティストとはプライベートでも遊びに行ったりする。酒が飲めないワタナベイビーなのでhalとはボウリングに行った。halと2人で集合してから、新たなる犠牲者を探すのだが、だいたいカジヒデキがひっかかる。

ソロを出す話があった時は実はあまり乗り気じゃなかった。ワタナベイビー「ボーカリストがソロをやっても意味がない、と思っていた」。
しかし、いざやってみると曲がいっぱいできてしまい、いい曲が出たら「すぐにレコーディングさせろ!」と気持ちが高ぶるのだが、相方がユウヒーズで忙しかったため、ソロという形になった。たぶん99年はこれまでの音楽人生の中で一番多く曲を書いた年。

ライブは12月21日(Tue)が京都磔磔、23日(Thu)が梅田バナナホール。磔磔は曽我部恵一(サニーデイ・サービス)が「あそこでやった方がいい」と言っていたから。メンバーは山川ノリオを中心とした編成。21〜23日に大阪に来ている友人アーティストがいたら、楽屋に監禁して鍵をかけ、鍵が開くのはアンコールの時、ということもあるかも。




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