2月25日OA



 
知久寿焼&石川浩司&滝本晃司(たま)

たまは改めてみると3人ともキャラがバラバラ。見た目にしてもそれぞれ個性的な服装。関西エリアは去年の暮れに来たところ。それほどちょくちょく来ている訳ではない。石川「東京の皮をかぶった関西人」。

2月26日には10th Al「東京フルーツ」をリリースしたばかり。「東京フルーツ」は実在する果樹園の名前。ビートルズのアルバム「アビーロード」はレコーディングスタジオの前の道が「アビーロード」だったことからタイトルがつけられたが、たまもこれをマネした。このアルバムを作ったスタジオの窓から「東京フルーツ」の建物が見えたからアルバムタイトルに。武蔵村山市という東京で唯一電車の駅がない市。

普段の会話ではよく喋る滝本だが、こういうインタビューになるとほとんど喋らない。そんな滝本も38歳にしてテレビっ子。テレビの話題を振ると延々と話し始める。滝本は子供を学校へ送り出した後にワイドショーを見ているという完璧なオバチャン型のテレビの見方。もちろん昼ドラも。今は升毅が暴力を振るうドラマを見ている。

たまのレコーディングはのんびり。3時集合にしても集まるのは5時6時。飯を食べたら食休みを取るし、たまには麻雀もやるから予定はメチャクチャ。基本的には曲を作った人がボーカルをとるので、どこかオムニバスアルバムのようにも聞こえる。なので10曲以上はいっていても飽きてこない。メンバーはそれぞれ他のメンバーのことを「空気」のような存在程度にしか感じていない。だからいちいちメンバーに注意することもない。

「たまはこういうバンドだ!」と知らしめたいと思わないところが、たまというバンドをいつまでも不思議なバンドにしているのだろう。曲だけ聞いていると年齢不詳。実際の生活もいたって普通。ゴロゴロ寝てテレビを見ればコンビニで立ち読みしていることもある。

去年の11月には結成15周年ライブをしたので、結成16年目に突入。「さよなら人類」でメジャーデビューしてから10年。いわゆるイカ天出身バンドだが、関西ではイカ天が放送されていなかったので、CMに出たときもイカ天未放送地域での反応は「お笑いの人?」と冷ややかな反応だったらしい。そのイカ天で同時期に出ていたのが、ブランキージェットシティーであったりリトルクリーチャーズであったりマルコシアスバンプであった。
イカ天に出るまでの5年間は地道にアマチュアでライブ活動をしていた。それまでどおりに淡々とやっていたが、それをテレビでやったら一気に有名になった。放送翌日にはいきなり有名人でシンデレラの世界。

石川は最近「すごろく旅行日和―だれもしらない観光地を歩こう!」を上梓。出版界もサイクルが早く、売れなければすぐに絶版になるので書店で見かけたら即ゲット。(石川)
電車に乗ってさいころを振り、出た目の数の先の駅で降りて観光するというもの。バカバカしいのだがそれを海外でやったのでもっとバカバカしくなった。

3月にはネパールでライブ。アルバムを出したところで本来は日本でいろいろ宣伝活動をしなければいけないのに、そんな大事な時期にネパールへ(笑)。音楽祭に呼ばれていくらしいが向こうで何回公演なのかは行ってみないとわからない。会場には2万人ぐらい入るらしいが、ネパールの物価から計算してみると、2万人から入場料をとっても機材代だけで使い果たしてしまうため、ネパールへはノーギャラ出演になりそう。




2月25日OA



 
仲井戸"CHABO"麗市

ギターを持っての登場、仲井戸麗市。なんと今年でデビュー30周年。2月9日にはそれを記念しての4枚組アルバム「works」をリリースしている。
30年を続けるというのは尊敬に値すること。やっぱり好きでないと続けることができない。「おめでとうございます」と言われると照れてしまうが、有森裕子じゃないけど自分自身を誉めてやりたい。去年は遠藤賢司が30周年。CHABOとエンケンではエンケンのほうが1〜2歳年上。

「works」のDISC1は古井戸、DISC2がCHABO BAND、DISC3が麗蘭、DISC4がポエトリーリーディング。ちょっと前に友部正人が同じようなポエトリーリーディングアルバムをリリースしているが、それとはまた違った感じに仕上がっている。4枚組全てが新録なので去年1年間はほとんどレコーディングに費やした。CHABO「99年は鶴の恩返しの鶴のように(スタジオに)篭った」。

10年20年前の作品は改めて手にすると、当時の自分に帰ったような気になる。ある種帰りたい自分とある種帰りたくない自分が混在している。日記と同じで読み返したくないようなぐらいクサイことを書いていたりもする。でも、それを書いたのは昔の自分という事実。

ギターを持ったキッカケはビートルズに憧れて。何とも言いようのない衝撃だった。落ちこぼれ中学生の頃にビートルズに出会ったものだからエレキギターに飛びついてしまった。CHABO「ビートルズに憧れてギターを手にしたのに教則本には「荒城の月」とか「さくら」とか(笑)」。
ギターを持ち始めた頃は内へ篭るタイプの子供だった。どこか負い目を感じて自分も本当は外に出たいのに、なかなか出れなかった。
ライブハウスに立ったのは20歳頃。当時の客の中には泉谷しげるもいた。先に泉谷しげるがデビューしたのだが、そのときにレコード会社に古井戸も紹介していたらしく、後を追ってデビュー。

CHABOのソロワークスとしては1979年に古井戸が終わり、それからRCサクセションへ。RC在籍時からソロを展開していた。忌野清志郎ともかれこれ30年ほどの付き合いになる。RC自体は60年代から活動していたが、同じライブハウスに出演するようになってから交流するようになった。清志郎とCHABOの関係は不思議な関係。兄弟でもないし親子でもない。バンドを組むと家族よりも多い時間を過ごすことになるのでいろんな話もした。同じ女の子を2人が好きになってしまい三角関係になったり。清志郎は憎たらしいが清志郎の子供は可愛らしい。(CHABO)

今でも連絡を取り合っているのかと思いきや、CHABOは清志郎からの電話は出ない。清志郎も考えて自分の子供を使い電話をかけてくる。それにうっかり出てしまうと、「忌野です」といきなりおっさんの声が出てくる。

DISC4はポエトリーリーディング。かなり前からこういうことはやっていた。むかし寺山修司主宰の天井桟敷で音楽を担当していたこともあった。その時に「言葉の衝撃」があったので、それをマネして自分でもやり始めた。

早川義夫が「マイ・ロックンロール」をカバーしていたが、CHABOは感激した。CHABO自身、若い頃はジャックスや早川義夫のソロを聞きまくっていた。まさに震えるぐらい感激した。(CHABO)

CHABOからCDケースのプレゼント(3名)。〒530-8285 FM大阪 EZM 「中はホカホカ外はヒヤヒヤ」係まで。E-mailはezm@fmosaka.co.jpまで。




2月18日OA



 
チバユウスケ&ウエノコウジ(thee michelle gun elephant)

去年はライブ三昧の日々を送ったミッシェル。だからプロモーション活動も久しぶり。1年のうちにちゃんとシングルなりアルバムなりを出していないと、感覚をつかむのに手間取るらしい。チバとウエノは大阪担当。今ごろクハラとアベは名古屋で宣伝活動をしているかも。3月1日にはニューアルバム「カサノバ スネイク」もリリースされる。

先行Sg「GT 400」はバイクの歌。チバはその昔バイクを乗りまわしていたこともある。ミッシェルのイメージからはバイクとかクルマは出てこない。やっぱりミッシェルは酒場が似合う。ウエノはこのところ熱燗が気に入っている。それと酎ハイをチェイサーに入れて飲むのがウエノの中で流行っている。酒を毎日飲むウエノには休肝日はなし。事務所も健康診断をやってくれない。ウエノ「肝脂肪かも」。

99年は年が明けてからずっとライブ。ミッシェルの日常はライブだから長期間のツアーも別に苦にならなかった。国内ツアーの後には海外ツアーも。1ヶ月半でイギリスとアメリカを転戦。日本ではネームバリューがあっても海外では無名。それでも普通に盛りあがったらしい。岸本「一昨年に来たときよりも貫禄が出た」→ウエノ「おっさんになったということ?」。ただ単にウエノに髭がはえたからそう見えただけ?

ツアーが終わってちょっとオフ期間があったが、ふたりとも何かに打ち込んだということもなかった。チバは趣味が休み。だらっと寝てだらっと行動する。世の中は動いていることを感じながら休みを満喫する。ごろっと寝てテレビを見ることもあるがタモリはおもしろい。うさんくさいところがいい。タモリ倶楽部は最高。「笑っていいとも」の火曜と木曜のタモリはニセモノとチバ断言。チバ「リスペクトしてますよ」。ウエノはコージー冨田のモノマネが好き。チバとウエノが去年初めて会った時、チバはウエノに「今年はタモリとモトリークルーがくる」と予言した。そしたら数ヶ月後情報誌に「タモリークルー」という名前のバンドを発見。別にチバの息がかかっているわけではない。

バンドによっては「今回は打ち込みを入れてみました」とか「メンバー以外の楽器を入れてみました」とか新たな試みアピールするバンドが少なくないが、「カサノヴァスネーク」はそれらとは対極に位置する。今までやってきたことをもっと深く掘り下げている。ウエノ「荒野を駆け抜けた30過のおっさんが奏でるロックブルース」。

ミッシェルからメンバー直筆サイン入りポストカード(1名)とオリジナルロゴ入りTシャツ(1名)をプレゼント。宛先は〒530-8285 FM大阪 EZM「今年はタモリークルーで勝負」係まで。E-mailでも受けつけている。ezm@fmosaka.co.jpまで。 最後に一言。卓球「これからも僕達の歌声で戦争を無くしていきたいと思いますので」→瀧「リスナーのみなさんはお気づきじゃないかもしれないですけど、この女(岸本)けっこうおかしいんですよ」→卓球「同感(笑)」。





2月11日OA



 
石野卓球&ピエール瀧(電気グルーヴ)

前身番組「世紀末大阪」時代に来たことはあるが「EZM」には初登場の電気グルーヴ。いつもどおりの電気の二人。自己紹介でも瀧は自らを「寺岡呼人」と名乗る。今宵は元J(W)Sで攻めるのか。
この時間帯のインタビューはすばらしい。真也、山本晋也、あいざき進也。すべてのシンヤの中で金曜の深夜が一番すばらしい。

岸本は妄想癖がある。自分が金持ちになったり、自分が飼い犬になったり。これには電気の二人もびっくり。そんな岸本の違った感性をもピクピクと震わせたのが2月2日に発売された「VOXXX」。もちろん岸本のような賛美の声も聞かれる。いわゆる電波系。
EZMにおける電気のファンは文章がやたらに長くて最後には何を言いたいのかわからなくなる文章を書いてくる人が多いらしい。

「エジソン電」はバカ歌詞。瀧「アルコール…。エチルアルコールを飲みながら…。」と正常の状態と違うときに作られたらしい。岸本「どういう時に踊りたくなりますか?」→瀧「酩酊しているとき」。レコーディングが始まった当初は一般社会との接点をどうやって断ち切るかを考えていた。即身仏ほどストイックではないにしろ、地下スタジオはワイワイスタジオ状態。(卓球)

でもこういうレコーディングは肝臓に負担がかかる。構想1年の妄想の末に生み出された今作を卓球は「初めて前立腺マッサージに行った感じ」と表現。違った神経が動き出すなんとも言えない衝動。高校のときに初めて前立腺マッサージを受け、あの感じを何とか表現できないものかと悩んでできたアルバム、と卓球さらにかぶせる。瀧「前立腺から離れろ!」。これもすごいツッコミ。

電気グルーヴは結成して11年目に突入した。この間に一番変わったのは銀行の預金残高。(卓球)
でも大阪だけは昔からあまり盛り上がらない。大阪でライブをしても3人集まればいいほう。電気が最初にライブをやったのが十三ファンダンゴ。歌詞もたいして覚えていないのにライブをやったもんだから2人でがなりたてているだけ。瀧「マラソン大会で校庭の隅まで一位で帰ってくるときには最下位みたいな感じ」→卓球「ゴールするときにはみんなで拍手」。

岸本はこの前、BSのドキュメンタリーで卓球を追いかけている番組を見た。海外のフェスは自由。休もうが踊ろうが自分勝手。卓球の働いている姿をまだ見ぬ子供に見せてあげたい。

今のところ海外のフェスに参加する予定はないが呼ばれれば行く構え。瀧「我が愚息もギンギン」。

最後に一言。卓球「これからも僕達の歌声で戦争を無くしていきたいと思いますので」→瀧「リスナーのみなさんはお気づきじゃないかもしれないですけど、この女(岸本)けっこうおかしいんですよ」→卓球「同感(笑)」。





2月4日OA



 
岸田繁(くるり)

1月21日に2nd Al「図鑑」をリリースしたくるりから岸田がゲストで登場。少し声の調子が悪そうなものの、以前よりも血色が良くなった。岸本「最近いいもの食べてる?」と貧乏キメウチ発言。岸田はこのところ食事におけるマクド比率が下がっている。コンビニ弁当・ファーストフードは食べつづけると気持ちも病んでくる。特にコンビニのおでんは最悪。あれを食べると「俺の青春を返せ!」と言いたくなるぐらい暴れたくなる。(岸田)
正月は凧上げをするわけでもなく、京都に戻っていた。もうすぐ24歳になるのにまだお年玉をもらって嬉しいやら悲しいやら。岸田は受け取りを拒否したのだが「儲からへんやろー、あの世界は。」と言われて渡された。

「マーチ」(「図鑑」の2曲目)はなぜか3拍子。岸田「歩かれへんっちゅうに」。3拍子のマーチがくるりのマーチ。のっけから激しい曲で始まるアルバムにはプロデューサーとしてDSLの根岸孝旨とシカゴ・ポスト・ロック界のキーマンである奇才ジム・オルークが参加している。スーパーカーの中村弘二もリミックスで1曲参加。ミュージシャンの友達としてはスーパーカーの面々ぐらいか。もっとミュージシャン友達が増えるかと思ったらそうでもない。サニーディの曽我部恵一からは年末にへべれけ状態で電話がかかってきて、忘年会をする約束をしたもののその後はほったらかし。対バン相手ともケータイ番号交換もするが、自分が尊敬しているアーティストの場合は積極的に番号を聞きに行く。ちょっとしたコンパのノリ。尊敬しているミュージシャンにはだいたい会えたかも。遠藤賢司、鈴木慶一などなど。某雑誌で岸田が1999年のベストアルバム10枚を選んだときもエンケンが入っていた。

「図鑑」はヒットするアルバムになった(岸田)。本人は笑いながら言うも、これから長く聴かれるアルバムであることは間違いない。でも一聴しただけでは「いかにもヒットする曲」はない。「東京」「虹」とは違ったくるりがいろんな形で出ているので、聞くたびに違った面が見える。
テクノも好きなものが多いので打ち込みもやるという岸田なので、次作はその面が強調されてユーロビートになるかも。くるりで踊るパラパラ。

岸本「図鑑見るのすきそうやわ」→岸田「メチャメチャ好きです(笑)」。甲殻類やくらげ・イソギンチャクなどの腔腸動物が載っている図鑑と、哺乳類・爬虫類の図鑑が好き。百科事典ではなく図鑑。絵が入っているから情景がある。いまでもたまに図鑑を買ったりしている。

ジャケットにも使われている馬に乗っている写真の撮影では流血も。普通は馬の背に鞍をつけて載るのだが、裸馬にまたがったためケツがすれて血が滲んできた。ほとんど生理。馬の背骨と自分の尾テイ骨が当たり激痛が走った。下馬するとパンツと尻の皮膚が血でくっついていた。風呂に入ったらしみて激痛。でも馬の乗るアイデアを出したのは岸田。

「図鑑」はアルバム全体の流れが抜群。殴られたかと思うと優しく介抱されたり。岸田「究極のSMプレーに近いですよね」。「チアノーゼ」はライブではおなじみの曲。これが初収録と思いきや、「もしもし」以前に「チアノーゼ」と「ベースボールゲーム」を収録したテープを一部店舗だけで売っていたことがあったらしい。また、それ以外に完全自主制作盤「くるりの1回転」も8曲入りで出していた。
「ピアノガール」は曲を作ったときに「これはピアノでやらなければ」と思い、まったく弾けないピアノを練習してレコーディング。ライブでやることになったら学芸会の主役なみに緊張するかも。
岸田がこれまで一番緊張したのは「女の子にコクった時」。体質的にコクられるとその女の子がどんなにかわいい子でもひいてしまうので、自分からコクる方。

最近、岸田は老化が進んでいる。動作をするときの「よっこらしょ率」が高くなっている。そればかりか、無意識に立ち上がるときに「よっこらセックス」とオヤジギャグを言ってしまうのでもはや末期症状一歩手前か。

立命館大学時代に在籍していた音楽サークル「ロックコミューン」からは続々とインディーズで活躍するバンドが出ている。ロックコミューンは変なサークル。岸田「部費を一度も払ったことがない」と部費滞納を自白。それなのに岸田は佐藤と一緒に会計をやっていた。たまに権力を悪用してみたり。森が部長で岸田と佐藤が会計。やりたい放題のファシズム状態。たぶん、サークル内では嫌われていたはず。




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