2001年12月の修行日記
2001/12/31
大晦日。昨年同日の日記より引用。
この一年、思ったようにスキルは身につかなかった。いや、それは言い訳で身に付けられなかった。そのかわり、よい意味でも悪い意味でもサラリーマンらしさを身に付けた。確固たるものを自分のうちにも外にも持たない、明日をも知れぬ状況の中で、その状況を克服するのではなく、とりあえずキレずに一日を穏当に終わらせ、少しずつ何とかしていく術。だが状況の悪化が激しく、どうしようもなくなるときがいつかくるのではないかと怯える。
さて、これに対して2001年の成長はどうだったか、振り返ってみる。
今年は掛け値なしに、「自分は成長した」と言い切ることができる。
多数の資格を取得したわけでもなく、多数の技術書を読んだわけでも、多数のプログラムを書いたわけでもない。
にもかかわらず、「自分は成長した」と言い切れるのは、プロジェクトに自分が貢献していることを実感できるからである。
- 知識を効率的に獲得し、役立てる術を身に付けた。まず目標を定め、その達成に必要な知識をピンポイントで取得し、即座に実践で役立てることができるようになった。(まあ、ある程度ね。)
- 複数当事者の見解を参考にしたうえで、責任者としての判断を自分で下せるようになった。(まあ、ある程度ね。)
- 他のメンバーの力を借りるのがうまくなった。状況に応じて、誰にアドバイスを求めればよいか、誰に会議に出席してもらえればよいか、その勘どころがつかめてきた。(これはかなり。)
- 調子のよいときと悪いときの差が縮小し、全体的に安定的な能力を発揮できるようになった。
……そういうわけで、満足のゆく一年でした。ですが、いまのプロジェクトの成否が決まるのは来年の11月。これから開発、テストと進むにつれ、スケジュールがますますタイトになってくるのは必至です。したがって、来年は今年以上に厳しい一年になるでしょう。
2001/12/30
実家へ帰ることにする。今からそちらに向かうよ、と言うつもりで電話をかけたところ、妹が出たのだが……
「あ、お兄ちゃん、林原めぐみのニューアルバム買った?」
久しぶりの会話で開口一番、これはないだろうと思った。
「俺はそこまでオタクじゃないぞ!」
2001/12/29
昨日久々に日本酒を二合ほど飲んだためか、朝起きると11時で驚く。幸い二日酔いにはなっていなかったが……
いそいそと洗濯だけ終わらせて、昨日とおとといの議事録を書くため会社へ。「年内締切の仕事のほとんどが来年に持ち越しになったくせに、メリハリが悪いよ」と言われるかもしれないが、議事録だけは記憶が薄れないうちに書いておく必要があるのだ。
帰ってから『ナディア』の名場面と言われる「第25話 はじめてのキス」。期待していたが実際に観た感想は……
女の子ってやっぱり分からないな。難しいよ。付き合うのってたいへん。あー、俺はひとりでよかった。
我ながら、心がねじれてしまったのではないかと心配です。
2001/12/28
この一年、仕事以外のことで強い喜怒哀楽を感じることはなかった。
各アプリの仕様を全て満たしつつ効率的なテーブル設計を行い、先輩たちから感心と賞賛の言葉を受けたときは、とても誇り高く、自分が偉くなったような気分になった。
これに対して、一生懸命考えたテーブル設計を顧客の情報システム課に完膚なきまでに叩きのめされたときは、屈辱のきわみで腹を切ろうかと思ったほどだった。
顧客の部長クラスを2人くらい呼び出した会議をうまくまとめたときなど、帰りの新幹線車中でつい頬が緩み、車掌から訝しげな視線を投げかけられたが、そんなことは全然気にならないほどの達成感と喜びで胸が満たされていた。
これに対して、既に各アプリ担当者の了承を得て確定したはずのテーブル設計を、自分の考えの甘さから、やはり見直さざるを得ないことになったときなどは自分が情けなく、惨めな気持ちになるものだった。
したがって、仕事がいやだとかめんどくさいとかいっても、私の一年から仕事関係の要素を全て取り除いてしまうと、あとにはほとんど何の思い出も残らないのだ。
2001/12/26
いろいろ考えたが、私として今年を総括する一言は、
『ペーソス』 に決定!
「ペーソス」の辞書的な定義は「物悲しいこと」だが、単に物悲しいだけではペーソスにならない。何か前向きな要素がないといけない。これは私が勝手にそう見なしているだけでなく、一般的にペーソスという言葉が用いられる状況に当てはまると思う。
たとえば30年間身を粉にして会社のために尽くしてきたサラリーマンがリストラされる状況を指して、ペーソスということは至極妥当だ。これに対して、ある人が携帯電話をうっかりトイレに落としてしまったという状況にはペーソスのかけらもない。
これは、前者にはひたむきさ、真摯さ、前向きさが認められるのに対して、後者にはそういった要素がまったく見られないためである。(←断定口調)
この一年の日記を紐解いてみれば、私の生活がいかにペーソスに彩られてきたか、一目瞭然であろう。(本当はひとつひとつ事例を列挙しようと試みたが、あまりに数が多く、鬱になるのでやめた……)
しかしそうとはいえ、「私はかわいそうな人間なんだ」と言うつもりはまったくない。なんやかんやいいつつも、結構楽しませてもらったのは事実だ。(つづく)
2001/12/25
終日ミーティングがぎっしり詰まっており、夕食を摂る暇もない。
DB設計者は各サブシステム間の整合性に責任を負っているので、いろいろな会議に出なければならないのだ。
だがDB設計者は、いわゆる管理職とは異なっている。全体観だけでなく、アプリケーションロジックの細部に至る理解も求められるからだ。
全体と細部を両方おさえることが難しい。各アプリ設計者間のとりまとめに奔走するだけでなく、孤独にこつこつ作業する時間も欲しい。
深夜の自室でレトルトのチキンライスを食べながら、ふとそんなことを考えた。
それにしても食事と睡眠は犠牲にしたくないな。
2001/12/24
昨日今日と会社で仕事。
晩飯食いに天やに行ったところ店内がガラ空きで、クリスマス・イヴであることを思い出す。
今日ばかりは、自室で本に目を通しているよりは会社で仕事しているほうが救われる。
まあ、いつもひとりで自由気ままに暮らし、お金も自分ひとりのためだけに使っているので、その報いがきたと言えよう。
……結局仕事から帰って寝るまでにかなり時間が開いている。年賀状書いて、状況論理の本でも読むか。こういうときはとことん乾いた本が良い。
2001/12/22
昨日観た『ナディア』の影響か、水の青さを求めて温水プールに出向く。
ガラス張りの側壁から差し込む陽光が水底にきらめき、背中に暖かい。プールサイドの棕櫚(しゅろ)の緑も鮮やかで、つかの間の夏気分を堪能した。
久々の休日だ。好きな論理学の本を読む。学問としての論理学は、ビジネスマンに求められるいわゆる「論理的思考力」とはあまり関係がない。だからこそ面白い。
青い水と銀の笛を休日に楽しめる私は、考えてみれば贅沢な境遇にいるのかもしれない。でもこれらの楽しみを奪われる日がいつかくるのではないか、いや多分くるだろうと恐れている。
そして、鬱になる……
2001/12/16
学生の頃は、真実を記述すること、言明することに価値があった。ところがこの仕事の世界では、真実をまず利用することに第一の価値がある。むしろ真実を言明することは、往々にして不利益をもたらす。
他の人が知らないことを知ったときは、まずそれを利用して最大の利益を得る方法を探すことが重要だ。
でもここで注意せねばならないのは、うっかり「真実は言うべきものでなく、利用すべきものだ」と他人に言ってしまってはならないことだ。こう言うこと自体が、言っている内容を裏切ってしまう。誰もがこのようなことを言う人に対しては警戒心を抱くだろう。
したがって、仕事の世界では、たいてい真実は流通していない。他人に尋ねても、真実は得られない。真実を知るためには、他人が真実を利用している様子を見つめるしかない。
2001/12/15
書こうか書くまいか、今まで迷っていたことがらを、やはり書きつけることにしよう。
今年一杯で、私と背中合わせの席で仕事をしていた人が辞める。2001/06/04の日記に登場した女性だ。
もともと彼女は身体が強いほうではなく、以前のプロジェクトでも休みがちだったらしい。
だが8,9,10月と、傍目から見ても明らかに辛そうだった。いつも午後出社で、一週間の半分休むこともまれではなかった。
そんな彼女が、11月のある日、一転して晴れやかな顔で出社してきた。振る舞いが明るく、積極的になった。
何かふっきれたのだろうか、これで今後はポジティブに頑張ってくれるのだろうか、やれやれ、これでわがDB設計班の行く末も安泰……そうほっと胸をなでおろした矢先に、退職の知らせが舞い込んだ。
今から思い返すと、あの日の彼女の笑顔は、プロジェクトにコミットする覚悟によってもたらされたものではなかったのだ。たぶんあの日の前日、彼女は辞めることを決心したのだ。この地獄の釜のように過酷で、ますます悪化してゆくばかりのプロジェクトから抜ける、その単純な嬉しさが、自然な笑顔となって現れたのだろう。
2001/12/13
満身創痍になった時に退職しよう、逆にいうとかすり傷の間は頑張ろうと思っているが、臨界点は案外近くにせまっているように思える。
恐怖心に追い立てられて仕事をするようになっている。何をそんなに恐れているのか、失業すること? ホームレスになること? 最終的にはこれらが最も深刻なことだ。しかし、いま最も恐いのはみんなを満足させられないことだ。
「規模が大きくても本質は変わらない」という命題を信じる人は多い。この命題は仮に真実であるとしても有害だ。この命題から、「私は今まで成功してきた」、「ゆえにこの大規模プロジェクトでも今までのやり方を適用すれば成功するはずだ」、と推論したとき、罠に落ちる。
本質を知らなくとも、規模が小さければ成功しうるのだ。したがって、自分が本質を果たして掴んでいるのか、疑うのが正しい道。本質は厳しい条件下でこそ試される。
2001/12/05
複数の当事者が集まり、議論を重ねてやっと合意にこぎつけたことを、再び議論の俎上にあげることは大変難しい。このままでも別段不都合はなく、よけいなものがくっついているだけ、という場合はなおさらである。
真のコンサルタントはこういうときどう振舞うのだろう? 黙っているのは一見サラリーマン的だ。だが、明らかな不都合をもたらす大きな問題がいろいろある状況では、あえて小さなことには目をつぶるのが賢いのでは……悩むところだ。
今日は夜から客先に出向くことを忘れて私服で出社したため、午後3時ごろ慌てて一旦帰宅して着替えて再出社したのだが、平日昼間の自宅近所というのもなかなか新鮮な印象で、けだるい午後に清涼感ある刺激をもたらしてくれた。
2001/12/03
どうして未着手、仕掛中のタスクがこれだけ山積みになっているのだろう? 絶対的に仕事の量が多すぎるのか? それとも私の仕事の進め方がまずいのか?
毎日忙しくミーティングに出たり、Accessやスプレッドシートのセルを埋めたり、議事録を書いたりメールをうったりしているが、じっくりと腰を据えたDB設計にはなかなかとりかかれない。そこが問題なのか、とも思う。
しかしもはや私には、孤独に資料を読みながらコツコツ設計してゆくことが許されないのではなかろうか?
無からいくつものエンティティを一度に生み出すのではなく、各アプリ担当者の要件を相互調整しながらちょこちょことERDを手直ししてゆく……既にそういうフェーズに突入したのではなかろうか?
一人の当事者、一つの資料のみに基づいて、焦ってERDを修正しても、結局ほころびがでて修正を迫られることがある。時間をかけてでも、各当事者間の調整が必要ではないか……ただし、小田原評定になったとき、最終的には私が責任ある決定を下さねばならない。
Oracleの分析関数(RANKなど)が8.1.6Workgroup Editionでは使えないことを知ってがっかり。Enterprise Editionを買ってもらいたいな。
2001/12/02
早速アルテの第1巻を購入したが、中を開くとこれがどうもつまらなさそうで、ちょっとひるんでしまった。まず挿絵がない。音符ばかりぎっしり詰まっている。ちょうど中学生に上がって初めて教科書を受け取ったとき、その分厚さとフォントの小ささに打ちのめされた、あのときのような感じだ。
昨日今日と連日出社だが、ようやく分かってきたな。現在の環境で重要なことは、豊富な知識を身に付けることそれ自体ではない。むしろ問題を解決しようという強い意志が頼りになる。現実に向かい合っている問題を解決しようという意志をもって書物をひもとけば、そうでないときに比べてはるかに大きな実りが得られる。
TACの『とおるテキスト 日商簿記1級』の改訂版が出たので早速購入。キャッシュフロー計算書、金融商品の時価評価、減損会計、退職給付会計、税効果会計など新しい会計基準に対応。ぜひ通読したい。
2001/12/01
日記をさぼっている間にもう12月に突入してしまった……仕事は山ほど積みあがっており厳しい状態。とはいえまだ崩れるわけにもいくまい……せめてボーナスが出るまでは。(笑)
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クヴァンツのグランド・フィナーレ、第5変奏。2拍子から3拍子へ、そして再び2拍子に戻るこの曲を、俺はなかなか手懐けられずにいた。
もう3回目だが、やはり1小節の長さが微妙にずれてしまう。
先生は小さなため息をつくと、ピアノの椅子にふわりと腰掛け、目を閉じてつぶやいた。
「鐘の音……」
「えっ?」
「教会の鐘の音を思い浮かべてごらんなさい。あと計るだけではなくて、もっとソルフェージュを。」
教会の鐘の音なんて直に聞いたことはなかった。だがどんなものかはドラマや映画の結婚式のシーン等を通じて知っていたので、俺はそれをイメージしてもう一回笛をとった。
すると今度はおどろくほどスムーズに拍子を変えることができた。曲がラレンタンドして終わったとき、先生はゆっくりと目を開いてほほえんだ。
「よくできたわね。さあ、これであなたはもう中級よ。来週からはアルテの教本を使います。」
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