2003年6月の修行日記


2003/06/26
 自分を捨てて頑張ってきたのに、気づいたらすっかり孤独だった。これからは自分を大切にしよう。


2003/06/24
 新しい仕事の都合上、以下のような技術要素に関して知識を得る必要が出てきました。
 以下のウェブサイトを巡って勉強中です。どなたか他によいサイトをご存知であれば教えてください。



2003/06/20
 3週間の長い(むりやりとった)休みも終わり、明日からまた働かねばならない。
 だが、もうこれまでの身体を削るような仕事のやり方はやめよう。


2003/06/19
 いよいよ会社から次のプロジェクトへのアサイン通知が来た。
 やはり業界は消費者金融で、やはりミッションはメインフレーム(IBM OS/390)からオープンシステムへのリプレースで、やはり役割はDBまわりだった……これまでの職歴を捨てて新たな仕事に取り組むことは許されなかったというわけだ。
 正直、少しがっかりしたが、反面、強い拒否感もなかった。
 過去が将来の可能性を制限するということを認めざるを得ない。


2003/06/18
 よく調べてみると正確には未だ10000アクセスに到達していなかった……
 6月17日時点では10000を越しているだろうと見積もっていたのだが失敗だった。
 いまさらオフ会の事実をひっこめるわけにもいかないので、恥ずかしいがオフ会レポートはそのままにしておく。

 ITコンサルを辞めることになれば、このホームページも閉鎖しようかな……


2003/06/17
 10000アクセス記念オフ会は、結局私一人で実行しました…… TT
 ですがオペラ自体はたいへん迫力があり、これはこれでよかったかなと思います。(←こう書いてみるとひどく寂しいな……)
 明朝は会社の人と厳しい面談なので、レポートは明日以降ということで今日はもう眠らせてください。


2003/06/10
 パートナーA氏との面談継続。
私:アプリケーションの修正工数の見積もりが難しい理由は2つあります。ひとつは、要件定義書・設計書・プログラムソースの間に食い違いがあり、修正対象のアプリケーション機能が不透明であるということです。もうひとつは、どれくらいきれいに(あるいはどれくらい汚く)修正するかによって修正工数が異なってくるということです。きれいなやり方とは、「時間・工数がかかるが、根本的な問題解決を提供し、ソースの保守性を維持するやり方」であり、汚いやり方とは「すばやく少ない工数で目的の機能を実現できるが、場当たり的で後々のソースの保守性を落としてしまうやり方」です。
 次から次へと障害緊急対応が舞い込み、臨機応変に各タスクの優先順位を組み替えなくてはいけない、そういう状況の中ではどうしても「汚い修正方法」に傾きます。ソースはどんどん汚くなっていくでしょう。このような暗い未来図に耐えられなかったのです……
A氏:……うーん。変わった考え方をするね。常に「きれいな修正方法」が正しいと思い込んでいるようだけど、それは違うんだ。芸術家的(職人的と言ってもよいかな)観点からは「きれいな修正方法」が常に正しいのだけれど、ビジネスの観点からはそうとは限らない。例えば緊急対応が必要なバグが報告されて、なんとしてでも明日までに間に合わせないといけない。そのためにはいちいち全ソースを読んでいる暇がないから「付け加え」のような場当たり的対応をするしかない、としよう。この場合、場当たり的で「汚い修正方法」が正しいんだよ。だって他に選択肢がないんだもん。
私:しかしそれでは後からキツくなります。その場では「すぐやってくれ」と皆言いますが、後から彼らも「なんでこんなにごちゃごちゃなんだ」と私を非難するでしょう。
A氏:そうだろうね。それはひとつの見方としてしょうがないよ。物事にはいい面と悪い面があるもので、悪い点を強調すればたしかにそういうことになるよ。でも限られた時間と工数でトラブルに対応したというのはよいことだよ。いい面と悪い面のバランスをとることがビジネスセンスなんだよ。
私:そ、そうは言ってもプログラムをきれいにして保守性を高めることが私のミッションとして与えられていたんです。
A氏:それは目標であって、現実はそれを達成できなかった、それだけのことでいいじゃないか。
私:……
A氏:あのねえ、
私:はい。
A氏:今俺が言ったこと、あまり深刻に受けとらなくていいよ。そういう理屈もあるな、ぐらいに考えておけばいい。
私:えっ?
A氏:普通の人は俺が言ったことに対してすぐ「そうですね。」と納得してしまうんだ。でもね、そこから新しいものは生まれてこない。新しいことは君のような人間から生まれてくるんだよ。


2003/06/09
 わが社のパートナーであるA氏と面談。
私:お客さんから障害報告が入り、「すぐ対応してくれ」と言われ取り組むのですが、すぐにまた別の障害報告が来て「こっちのほうが緊急だ」と言われる……。タスクの切り替えにオーバーヘッドがかかって全体として仕事の効率が悪い、そういう状況なんです。
A氏:お客さんの言うことをぜんぶ請け負っちゃダメだよ。もともとお客さんとわれわれは利益が相反しているんだから。お客さんに対して「あなたそれは言いすぎでしょ。できませんよ。」と言わなければならない。


2003/06/06
 会社のカウンセラーと面談。


2003/06/04
 東京へ戻った。両親のもとへ。父親も母親も、そして妹も暖かく迎えてくれた。
 私はサラリーマンとしては誤った行動をとったのかもしれない。でもあのまま耐え続けていたらきっと心と身体を病んでいたことだろう。そうなったら家族はきっと悲しんだだろう。
 その意味で私は人間として正しい行動をとったのだ。
 とはいえ職務放棄でプロジェクトメンバーに迷惑をかけた罪は消えるはずもなく、会社とは、いずれ決着をつけねばなるまい。


2003/06/03
 朝6:30に起床、7:00に朝食をとり、早速十和田湖へ出ることにした。
 私がサラリーマン人生終着の場所として選んだ十和田湖、それは……
 想像より遥かに逞しく力強い佇まいを見せていた。

 もっと柔和な、それこそ入水したらやさしく包んでくれそうな湖面を想像していただけに、衝撃を感じた。
 「飛び込んで死のう」などという馬鹿なことを考えた自分が恥ずかしくなった。
 ふっと気が楽になり、あれほど悩んできたことがすべて小さなことに思えてきた。
 それから私は奥入瀬渓流を歩いて下り、自然の輝きを十分堪能したのだった。


 帰り際、携帯の電源を入れた。私が無事生きていることを発信するアンテナがひとつ、ふたつ、みっつと立ち上がった。
 夜20:30ごろ、最初の着信が入った。父親からだった。


2003/06/02
 朝7:30に起き、適当に少量の衣類をオーバーナイトバッグに詰め込んだ。
 渋谷駅――誰か会社の人に見られていないか、びくびくしながらいつもと違う山手線に乗った。
 東京駅で9:56発の「はやて9号」の切符を買い求めた。乗車券は片道を選んだ。
 新幹線がプラットフォームを滑り出したその時、私は『ショーシャンクの空に』の主人公が刑務所を脱出したときのように痛快だった。
 しかし痛快だったのは13:00に八戸に到着するまでだった。
 八戸から十和田湖に行く手段について私は何も考えていなかったのだ。
 駅の観光案内所で聞いてみると、八戸と十和田湖を結ぶバスは上り下りとも、8:50、11:15、15:10の3本しか出ておらず、所要時間は2h15mということであった。
 仕方なく私は15:10のバス発射時刻まで駅周辺をぶらつくことにした。
 西口には十和田湖方面のバスターミナルが、東口には「むつ湊」方面へのバスターミナルやみやげ物店がある。
 月曜日のため観光客の姿はほとんど見られず、西口はおろか東口も閑散としていた。
 ユートリー(八戸地域地場産業振興センター)で昼食をとり、ベンチでキルケゴールの『死に至る病』を開いた。
 15:00に西口に向かうとそこにはすでにバスが待っていた。整理券をとって乗り込み、なるべく目立たないように後ろのほうに座る……が、周りは年配者ばかりなのでどうしても浮いてしまうのはやむをえなかった。
 1時間半ほどは田舎の国道沿いらしい景色が続いたが、やがてバスは鬱蒼と茂る森林の中に入った。
 有名な奥入瀬渓流はバス道路と並んで流れている、いや逆に、奥入瀬渓流に沿って道路が作られている、その事実を知って少し幻滅してしまった。人の足でしか入れないような秘境を期待していたからだった。
 テープに録音されたガイドの話を聞きながら、私はそんなことを思った。
 十和田湖休屋に到着し、私は近くの国民宿舎に入った。
 2泊分の支払いを前金で済ませ、風呂に入り、夕食をとって7:30早々に布団に入った。
 意識を失って、それからどれくらい時間が経っただろうか? 突然部屋の黒電話が鳴った。
 ――見つかった? そんな馬鹿な!
 震える手で受話器を取る。
 結果、それはフロントの人の勘違いだということが分かった。駐車場の車の確認とのことだったが、あいにく私はバスで来たということを告げた。
 こうして決死の逃避行の初日が幕を下ろした。


2003/06/01
 14:00から出社して昨日の障害に取り組むがそもそもプログラムの内容がよく分からない……
 ではなぜ修正することができたのか? ややこしい部分をブラックボックス化してそこに放り込む値を調節したのだ。
 ところが今回の障害でどうしてもそのブラックボックスを解明する必要に迫られた。
 それが何時間経ってもできない。
 日付が変わって2:00を回ったころ、退職を決意した。
 私は他の同僚と比べて特別体力があるわけでもなければ、明るいキャラクターの持ち主でもない。特に気が利く方でもない。
 でも本質的な頭のよさにはまあまあ自信があった。それが今はどうだ。すっかり錆付いてしまったようだ。ほとほと自分に愛想が尽きた。
 簡単な辞表を書き、直属から3段階上のプロマネまでを宛先としてメールを送信した。
 それから社員証と携帯を机上に置き、立ち去った。
 帰りのタクシーの中で悔し涙が溢れてきた。
 もう俺のサラリーマン人生は終わりだ。どうせなら最後は十和田湖に行こう。
 十和田湖は昨年夏休みに行こうと思ったが、忙しくて果たせなかったところだった。


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