For Your Sweet

 


 不器用だの無骨だのという言葉を、氷川は、あまり言われ慣れてはいなかった。周囲の者たちは、小手先の器用さなど彼に期待してはいなかったし、生真面目な彼にそんな指摘をしたら気にすることを知っていたから、敢えて言わなかったのだろう。けれど、氷川自身はそのように周囲から愛され甘やかされて育ってきた経緯になど自覚がない。そんな彼は、G3装着員として警視庁に異動になり、遠慮のないストレートな自分への評価を耳にする機会を得て、大変驚いている。
 驚く、というよりは、反発する気持ちが強かったかも知れない。際立って器用だと思っているわけではないが、それでも他人から・・・しかも数人から同じ指摘を受けるほど、自分は不器用でも無骨でもないはずだ、と思う。
 久し振りの非番のある日。氷川は、スーパーで大量のホイップクリームと、玉子と牛乳、ホットケーキの素を買い入れてきた。
 ホットケーキが無性に食べたくなったというわけではない。ただ、この粉で玉子や牛乳の量を多めにして、型に流し込んでオーブンにかければスポンジケーキも作れると庁内の女性職員に教えてもらったのだ。さすがに小沢には聞きにくいものがあって、顔見知りの事務職員に尋ねたのだが、食べたいのなら作りますよと、かなり本気な調子で言われて断るのに苦労してしまった。
 必死になって押しとどめると「そうですよね。彼女のお誕生日なんですか? それなら、私なんか邪魔ですよね」と、目を潤ませて言われてしまったので「そんなんじゃありませんよ!」と否定してその場から逃げ出すしか出来なかった。
「なんで、あんな誤解をされてしまうんだろう?」
 氷川は、溜め息混じりに呟きつつ、ボールに入れたクリームを攪拌器でかき混ぜるのだった。
 教えてくれた事務職員は、とても簡単そうなことを言っていたが、いざオーブンにかけてみるとスポンジケーキを作るだけでも大変なことが解った。ついつい分量が多すぎて型からはみ出すほど膨らんでしまう。少なめでやってみると、なんとかはみ出すことはなかったが、表面はでこぼこでこのうえにクリームをぬるのは難しそうだ。ケーキ用のナイフで、平らに切ればすむことなのだが、氷川にはそんな発想はない。
 クーラーを最強にしているキッチンは涼しいが、ケーキの焼けるにおいと、バニラエッセンスの香りでむせかえりそうだ。はじめのうちは、失敗作を適当に胃袋におさめていた氷川だったが、失敗しすぎて嫌になってきた。とうてい、全部一人で食べきるのなど無理なほど材料を買い込んできたというのに、そうしてみるまでそのことにはまるで思い至っていなかった。
 途中からは、失敗作はタッパーに入れて冷蔵庫にぶちこみつつ、作り続けた。
 そうして、大量に買い入れた材料のほとんどを使いきる頃になって、ようやく、なんとか見映えのいいデコレーションケーキが出来上がった。
「やっぱりオレ、無骨なんかじゃないじゃないか」
 涙ぐましい努力は、たったこの一言を言いたいためのことだった。
 しかし、独り言ではあまりにも虚しい。しかも、もうとても食べたいとは思えない。失敗作を食べすぎて、いい加減、気持ちが悪いくらいだ。はっきり言って、見るだけでも辛い。
 氷川は、自分のことを無骨だと言った二人の顔を思い浮かべる。
 まさか、拘置所にこんなものを差し入れするわけにはいかないだろう。そんなことをすれば、出来上がったものがどうこうこうではなく、無神経な振る舞いだとまた別の悪評をいただいてしまいかねない。
 そうなれば、あとはもう一人に見せることしか考えつかない。


 美杉家に電話したら、真魚が引っ越し先を教えてくれた。一度は、思いとどまるように説得にも行ったのだが、聞いてみると例の亜紀という女性は行方不明らしく、津上は今、彼女のアパートで一人暮らしだそうだ。それなら、よけいに訪問しやすい。また、パン屋のほうかと思ったが、今日は臨時休業でアパートにいると言う。
 氷川は、デコレーションを壊さないように気をつかいつつ、ケーキを大きめの容器におさめて、津上宅へ向かった。
 クーラーの効いた部屋で、朝からずーっとケーキ作りに格闘していたせいで、気がつかなかったが、よく晴れた蒸し暑い午後だった。
 アパートでは、津上がいつもと変わらない笑顔で迎えいれてくれた。
 しかし、一人暮らしのはずの彼のベッドには、ひどく具合の悪そうな青年が寝ていた。
「氷川さんなら、手ぶらでも大歓迎なのに、すみません気を遣ってもらっちゃって」
 津上は、そんな青年のことには触れずに、ただ嬉しそうにケーキを受け取った。
 だが、容器を開けることはせずに、キッチンに置くとすぐにお茶をいれにかかる。
「津上さん、あの、彼は?」
 どこかで会ったような気がする。どこだっただろう? と、氷川が考えながら訊ねた。
「それが、俺もよく解らないんです」
「は?」
「なんか、うちに来るなり倒れちゃって。だから、看病しているんですけど」
 寝汗もすごいし、ひどく苦しそうである。看病と言っても、津上は医者でも看護婦でもないはずで、汗を拭いてやるとか、冷たいタオルを額にのせてやるとか・・・一見したところ、その程度のことしかしていないようだ。
「病院に連れていったほうが、いいんじゃありませんか?」
「俺もそう思うんですけどね。なんだか、本人が病院は嫌だというので」
 津上は、湯のみにお茶をいれながら、注射が怖いのかなぁ、などと呟く。
「まさか、そんな子供には見えませんが」
「注射が怖いのが、子供だけとは限りませんよ。でも、そうですよね。どっちかというと注射のほうに怖がられちゃうかも・・・もしかしたら、ここに居たいのかも知れないと思って」
 お茶を差し出しながら、津上が自分の冗談にウケてくすくす笑いながら言った。
 氷川は、なりゆきで津上とテーブルを囲む恰好になりつつ、考えこむ。
「ここに居たい・・・とは?」
「いやぁ、医者よりも俺のそばがいいのかと思って」
 津上は、くしゃりと笑顔を浮かべて頭をかく。
「・・・・・・」
 氷川は、真面目な顔でそんな津上と、ベッドで苦しそうにしている青年を見比べる。
 それからふと、ここに引っ越すことを止めようとした自分に、もしかしたら妬いているのかなどと口走った事実を思い出した。
 あのときは、単なる冗談で、からかわれただけなのだと思ったのだが・・・もしかして津上は本気だったのだろうか? そして、彼にとっては女性も男性も関係なく、そういった対象範囲だったとすると・・・。そこで苦しそうにしている青年も、守備範囲ということ? だから、こんなに甲斐甲斐しく看病をして、病院にも連れていかずに付き添っているのか?
 だいたい、彼女の留守に得体の知れない青年と二人で・・・これはもしかして、この状態は同棲というやつなのでは?
 目の前で不思議そうにしている津上を置き去りにして、氷川の思考は暴走する。
「やだな氷川さん、どうしたんですか黙っちゃって。本当は、俺のそばというよりこのアパートにって言おうとしたんですよ。なんだか、あの人、亜紀さんの知り合いみたいだったんで」
 氷川の転がる妄想など、まるで頓着せずに津上はのんびりとそう言った。
「え?」
 自分の考えを追うのに手いっぱいだった氷川は、咄嗟にその津上の言葉の意味を理解出来ない。
 虚をつかれたような表情で、かたまっている氷川に、津上はにっこりと笑いかける。
「あー、もしかしたら、氷川さんまた妬いてるんですか?」
 さきほどの台詞を理解するまえに、そんなことを言われ、驚いた氷川はぷるぷると首を振る。
「津上さん、オレはそうした嗜好はひとそれぞれですから、別に差別するつもりはありませんが・・・しかしあの・・・」
 いきなり同棲というのは、いかがなものでしょう? だいたいここは、あなたの恋人だという女性のアパートなわけで、ということは、彼女がいつ帰ってきてもおかしくない状況ということで、それなのにどこの誰とも解らない青年と同棲しているなんてそんな大胆なことは・・・。などという言葉を頭に浮かべつつ、言い出せずに口ごもる。どこの誰とも解らないのは、ある意味、津上も同じことなのだ。そんなことを口にしたら、傷つけてしまうかも知れない。
「なに言ってるんですか、せっかくの非番なのにわざわざ俺の顔を見に来てくれたんでしょう?」
 津上は、氷川の言葉などまるで気にしたようすもなくそう言いながら席を立ち、キッチンに向かう。
「これ、もしかして氷川さんが作ったんですか?」
 どうやら、ようやく思い出したのか、例の容器を開けたところらしい。
 そう言われてようやく、氷川もここに来た目的を思い出した。そもそも、一緒にお茶をして和みにきたわけではないのだ。ただ、津上にアレを見せたかったから持ってきた。
「え、ええ、そうです。簡単に、出来たのでちょっとお裾分けをと思いまして」
 声を上擦らせつつ、氷川は気を取り直して言った。もちろん、簡単に、というところを強調するのを忘れなかった。
 へぇ、氷川さん、本当はすごく器用だったんですね。美味しそうだ。という言葉を期待して、氷川は津上のほうを見ていたのだが・・・。
 津上は、容器を覗きこんだままで絶句している。
「どうしたんですか?」
 氷川は、心配になってキッチンに向かい、津上の後ろから容器を覗きこんだ。
「氷川さん、やっぱり不器用だったんですね」
 津上は、気の毒そうにそう言った。
 完璧だったデコレーションは、無残に溶け崩れていた。
 暑いなか、外を歩いてきた。そして、この部屋は病人を気遣ってかそれほど暑くはないがクーラーは弱めにしている。そのうえ、冷蔵庫にしまうこともなく、喋っている間ずっと放置されていたのだ。氷川に、ドライアイスを入れてくるなどという知恵がまわったわけでもない。
 ケーキと同じくらいしおれてしまった氷川に、津上はやさしく笑いかける。
「カタチは不細工でも、美味しそうじゃないですか氷川さん。俺、喜んでいただきますよ」
 津上は励ますようにそう言って、背後でがっくりとうな垂れている氷川の髪をくしゃくしゃにかきまぜた。よしよし、と子供をあやすような仕草で笑いかける。
 いったい、自分はなにをしに来たんだろう?
 と、氷川はあまりのショックに、また状況を把握するのが遅くなった。
「ああ、こうして近くにいると氷川さん、すっごい美味しそうな匂いですね」
「は?」
 津上は抱き込むように氷川の肩に手をまわして嬉しそうに言った。
 クーラーを効かせるために締め切ったキッチンで長時間ケーキを焼いて生クリームにまみれていたのだから、すっかり洋服に甘い匂いがうつっているのだろう。
 が、さきほど色々考えてしまった氷川は、非常にまずい体勢だと焦る。
「な・・・なに言ってるんですか。美味しいわけないでしょう」
 慌てて津上の身体を押し返すようにして、玄関にダッシュをかける。
「き・・・今日は突然、お邪魔しましたっ」
「あれ、もう帰っちゃうんですか? これ、一緒に食べましょうよ」
「いえ、結構です。もう、お腹もいっぱいですから。じゃあ、これで失礼します」
 氷川は、早口でそう言うと、それでも律儀に頭を下げて、アパートから逃げ帰った。
 どこから目覚めて見ていたのか、涼がベッドのうえで上体を起こしていた。
「あ、気がついたんですか? なんか・・・そうだ、ケーキでも食べますか?」
 津上は、呑気な口調で病人にケーキを勧める。
「いまのは、なんだ?」
「俺より年上で、背だって高いんですけど、でもって、不器用で無骨なんですけど、なんか、かまいたくなる可愛さなんですよね〜」
 津上は、まるで説明になっていないような氷川評を口にした。本人の耳に届かなかったことだけが、氷川にとっての不幸中の幸いだったかも知れない。


 

fin.2001.6.9
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