「きっとまた会えるよ」という叔父さんの言葉を信じていたのだけれど、その機会にはなかなか恵まれなかった。
両親を一度に亡くして、精神的にどん底の状態で必死に現実逃避しようとしていたとき、一輝は彼と出会った。
彼は、とても恰好いいバイクに乗っていて・・・もちろん、彼自身もとても恰好良かった。長身で無駄な贅肉のない引き締まった男らしい体型で、凛々しい顔立ちをしていた。大きな瞳で真っ直ぐにひとを見る。無愛想で、ぶっきらぼうな口調や態度は、一見すると少し恐い印象を与える。まだ小学生の一輝には判断がつけづらかったけれど、多分、まだそれほどの歳ではないはずなのに、なんだか世の中を達観してしまったような、冷めた雰囲気を纏っていた。一輝にそんな難しい言葉が解ったわけではないけれど、まだ小学生にとってそれは、とても大人らしく無意識のうちにも頼っていい相手なのだと思わせるものだった。
一輝は彼のバイクに乗せてもらい、でたらめな道を指差して、そこいらじゅうを走り回った挙句に、この辛い現実をなかったことに出来る場所になど、どうやっても辿り着けないのだと思い知らされた。一度は、子供のわがままに付き合いきれないと走り去るポーズを見せた彼は、結局は一輝を見捨てることはせず、最後まで付き合ってくれた。
そして、一輝は見た。
彼の痛い心。辛い変身。彼が逃げずに今、向き合っている現実がそこにあった。自分を守ろうとして戦ってくれた、彼の勇姿を、きっと一生忘れないと思った。
もう一度会いたいと思っていた。会って、こんどこそ名前を聴きたいと願っていた。けれど、一輝は叔父さんに引き取られ、彼と出会ったあのバイク屋から、少し遠い街に引っ越してしまっていた。
彼と出会ったのは、真夏の暑い日だったけれど、いつの間にか季節は寒い冬を迎えていた。
一輝が転入した学校では、冬にはマラソン大会があって、学校の外の道路を走る習慣があった。ホンモノのマラソンほどの距離ではないけれど、男子生徒は20km走るきまりだった。スポーツが嫌いなわけではないけれど、小学生にとってその距離は、楽なものではない。一輝は嫌々ながら、先生に渡されたプリント用紙に目をおとした。そこには、当日の走行コースの地図が書いてある。
目にしたとたん、一輝は密かにガッツポーズを作った。
マラソン大会当日、一輝は計画的に道に迷うことにした。コースを少しだけ外れたところに、彼と出会ったあのバイク屋があったからだ。
あのバイク屋にもう一度、行ける。それだけで、なんだか胸がわくわくした。
けれど同時に、あまり期待しないほうがいいかも知れないとも思った。彼は、バイク屋の客だったのだ。喫茶店や大衆食堂なら、客でも毎日通うこともあるのかも知れない。だが、バイク屋となれば、そうはいかないだろう。バイクを買い換えるとか、今のバイクに故障がなければ、用がないのだから。バイクはいったい、どれくらいの頻度で壊れたりするものだろうか? 彼が、新しいバイクを買うのはいつだろう? 想像しても、小学生の一輝には見当もつかないことだった。
やはり、いないだろうか。でも、もしかしたらあの日のように、たまたまバイクが故障することだって、あるかも知れない。
そんな期待と不安で、寒さも忘れ紅潮したようすで一輝はバイク屋の近くまで走ってきた。
そこに、彼がいた。
声をかけようとして、一輝は足を止めた。名前を聴かなかったのだ。なんと、呼びかけていいのか解らない。
しかも、彼はひとりではなかった。店の客なのだろうか、彼より少し年下に見えるひょろりと背の高い青年と楽しそうにお喋りしているところだった。
「浩二、おまえこんなところに入り浸ってると、なかなか医者になれないんじゃないのか?」
「大丈夫。俺、ここにいる時以外は、ずっと勉強してるって」
彼は、その言葉にちょっとだけ照れたような表情をして、すぐに真顔に戻る。
「気分転換なら、可愛い女の子のところにでも行ったらいい」
「貴重な息抜きの時間だからこそ、大好きな葦原さんの顔を見に来てるんじゃないですか」
青年は、思いきり嬉しそうに顔をほころばせて、彼を見た。その瞳がきらきらしてる。
今の台詞で、彼の名前がどうやら《あしはら》というのだろうと解った。それから、あの青年も、彼のことが大好きなんだな、ということも。そして、そんな青年に懐かれて、彼・あしはらさんも、満更でもないようすだ。夏に会ったときには、もっと淋しそうな目をしていた。この世の何もかもを諦めてしまっているような、哀しい眼差しをしていたと思う。けど、今の彼はあの時よりもずっと存在感がある。現実にしっかりと足をつけているようすだ。
おそらくは、彼の隣で屈託の無い笑顔を見せている、あの青年のおかげなのだろう。
「ばかなこと言ってないで。帰って勉強しろよ」
「えー、まだ来たばっかりじゃない。さっきまで、他のお客さんがいたから、俺、ずっと遠慮しておとなしくしてたんだし」
その台詞を聞いて、一輝はあと一歩が踏み出せなくなった。
「客の相手をするのは当然だ。俺はここに遊びに来てるわけじゃないんだ。バイトでも仕事なんだぞ」
「俺だって、お客さんじゃん」
「何を言ってる。バイクも免許もないくせに」
「受験終わったら、免許とるし、バイクも買うよ。だから、未来のお客さんは大事にしといてよ」
「受験が終わったら、じゃなくて、医師免許が取れたらにしておけ」
「そんなの、まだ何年も先のことじゃん。俺、葦原さんと一緒にツーリングに行きたいのに〜」
浩二と呼ばれた青年は、彼が邪険な態度をとっても、まったく怯まない。多分、浩二もあしはらさんが、本当はとても優しくて頼り甲斐のあるひとだと知っているのだろう。そして彼の態度からして、ぶっきらぼうにしつつも、青年の訪問を歓迎しているのが解る。あの夏の日の短時間を過ごしただけだったけれど、彼が他人に対して、やさしさや思いやりをストレートに表現出来ないタイプなのだということは、一輝にも解っていた。
「おまえみたいなのに、かかる患者が心配になってきたな」
「何言ってるんですか。俺、医者になったら一番に葦原さんを診察してあげますから」
「浩二が医者になる頃には、絶対怪我なんかしないくらい強くなっておく」
「それは、それで嬉しいですけどね」
浩二は、修理作業で油まみれになったあしはらさんの両手をがしっと自分の両手で握り締めた。
「診察しなくても、一番は一番です。葦原さんは、ずっと俺の一番のヒーローですから!」
その言葉を聴いて、一輝は回れ右をして駆け出した。
「ヒーロー、かぁ」
そっと呟いて、脳裏に彼の姿を思い描き、自然と笑顔になる。
どうやら、あしはらさんという名前で、今はあのバイク屋で働いているらしい、ということが解った。
それから、彼には今、あんな笑顔を向けてくれるひとがそばにいること。あの日よりも、幸せそうにしてること。
近いうちに、そう、また春休みにでも来てみようと、一輝は考えていた。彼のそばで笑っていた浩二という青年を、かなり妬ましく感じながら。
「あの日、まだあの人はあんなに淋しそうだったんだから、あのときにはまだ、あのお兄さんとは出会ってなかったんだ。なら、ぼくのが先にあの人と出会ったのに」
真実を知らないはずなのに一輝は、鋭く現実を推測しつつ、コースに戻る道を走った。
早くおとなになって、バイクの免許を取ろう。そう、心に決めながら。
fin.2002.1.26
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* もしかして、28話を見逃した方には、意味が解らない話になっているかも知れません。でも、続々とレンタルもされ、DVDも出ている模様ですので、是非、見逃したかたは、買ってでも借りてでもご覧になってくださいませ。何故か、画面フルサイズで放映された唯一涼主役でハッピーエンドな28話。超お勧めでございます。