byりか
―21話から (前回の続き)
「亜紀さん!」
人ごみの中、突然呼ばれて立ち止まったのは、くそ暑い中、半袖とは言え全身黒の女性だった。
長い髪をそのままサラリと流している、少し派手目の化粧をしている瞳が、愕き次ぎに困惑しながら自分を呼びとめた青年のほうを向いた。
「良かった無事だったんですね、俺…心配していたんですよ」
「…翔一…」
ニコニコと笑い掛けてくる顔に逆らえなくて、近くの公園の柵に二人して腰を下ろす。一見すると恋人同士のような風景だが、亜紀のほうは強張った顔をしていた。
「どこに言っていたんですか? 俺、あの部屋でちゃんと亜紀さんが戻ってくるまで待っているんですよ」
「あ…あの部屋の鍵は…、私じゃ…」
なにかを言いかけて、しかし亜紀はそれ以上はなにも言わなかった。そうですか、とだけ呟いてそうしてまた俯く。この雑踏の中、ちゃんと自分を発見した奇蹟には驚かされる、なんという運命の皮肉だろうと…も思う。
亜紀は、拳を握り締めてそうして息を整えながら顔を上げた。その間にも、翔一は部屋の事や新しくバイトを始めたが、しかし、その店が閉まってしまったことなどを細かく話しているところだった。
亜紀が返事をし様としまいと、余り関係が無いらしい。基本的に、一人で話をしていて 相手が聞いていようといまいと関係が無い様だった。余り、会話が成り立たない性格らしい。
「あのね―本当は私、貴方の恋人じゃないの」
「え?」
唐突な亜紀の一言に、翔一はギョッとした。
「私を守って欲しかったから、そう言っただけなの。騙していてゴメンナサイ」
「は…はぁ…」
『ごめんなさい』がカタカナなので、いまいち真剣さのない謝罪の言葉だったが、翔一はその辺の雰囲気は伝わってはいなかった。
困惑の表情を浮べる翔一に、亜紀は静かに微笑みながら立ち上がった。
「だけどもうその必要もないから―だから、いいの」
「あ、待ってください! じゃあ、俺の部屋にいる人にも、嘘をついていたんですか?」「え?」
「たしか、金剛寺さんとか…ええと…」
首をひねる翔一に、亜紀もまた一緒になって首をひねる…。翔一の説明ではいまいち、それが誰なのか特定できなかったが―心当たりが全く無いわけでもなかった。
「髪がこうツンツンと立っていて、精悍って言うか、ワイルドな感じででも笑ってみたらきっと凄くハンサムだろうなって思えて、あ、身長は俺くらいあって、口下手なんだろうけど どこかこう…放っておけないっていうか…、結構良いやつなんです」
「…?」
「取り敢えず、一回逢ってもらえますか? 向うも、亜紀さんの事を凄く心配していて気にしていたみたいだから…直に会えば安心できると思うんですよ」
「…エエ…わかったわ…」
かなり嫌な予感をかかえた状態で、亜紀はこっくりと頷いた。
丁度アパートの前まで戻ってきた時に、部屋の扉が開いて中から人が出てきた。ハッと息を飲む翔一、その後ろから歩いていた亜紀も足を止めて、振り仰いだ。
そうして息を飲む。そこに立っている人物は…間違い無く、葦原涼だった。この間町で偶然二人を見かけた時以上に、二人は信頼関係を深めている様だった。
「―どうしたんですか? 出て行っちゃうんですか?」
翔一は慌てながら階段を駆け登って、涼の前に立つ。彼は、翔一と亜紀を交互に見て、そうしてかなり困った顔をしてその場に立ち尽くした。
「さっき…、亜紀さんに偶然街であったんで…それで、会いたいだろうって思って案内してきたんです。―あの…俺、邪魔ですか?」
「…翔一…」
涼の困惑の表情が深くなる。そうしてその表情のまま、まだ道端に立っている亜紀を見下ろした。
「…亜紀…」
その瞳が、酷く自分を哀れんでいる様に感じた亜紀は、きつく唇を噛み締めるとその場を駆け出した。居たたまれなくて、疎外感を感じる。
「亜紀! おい、亜紀!」
駆け出した亜紀に誘われた様に、涼も駆け出す。階段を降りる勢いが強すぎて、側にいた翔一にぶつかって突き飛ばしてしまった。
「いたっ…!」
どん、と尻餅をついてしたたかに背中をぶつけてしまった翔一の声に、一瞬止まった涼。しかし、その涼に、翔一はにっこり笑って亜紀を追いかけるように目で促した。
「すまない…!」
一声呟いて、涼は階段を駆け下り、そうして亜紀を追う。夏場に黒い服は異様に目立つので追いかけるのはそんなに困難ではなかった。
「亜紀! 待て、亜紀!」
海浜公園の一角で、漸く亜紀の肘を掴んで引きとめた。きりりとした瞳で亜紀は涼に振り返り、そうして強引に彼の手を振り払った。
「どうして…! どうして生きているのよ! 私…貴方が死んだと思ったから…! だから…!」
「亜紀…お前…」
やけくその様に叫ぶ亜紀に、涼は一瞬口篭もった。生きていて良かったという言葉ではなかったのが、少なからずショックだった。
「…私…、私…!」
悔し涙を滲ませて、亜紀は涼を睨みつける。涼は、まさかそんな風に言われるとは思っていなかったのか、困惑した表情を浮べて亜紀を見つめ返した。
「―葦原さん…?」
少し離れた処で、翔一の声がして二人がそろって振り返った。翔一の姿を見た瞬間、亜紀はきりりと眉を吊り上げて、そうして涼の顔をもう一度睨み付ける。
「涼…。今、はっきりと選んで。私と翔一と…どっちと一緒にいるか」
「え? 亜紀、…何を言ってるんだ?」
「選んで!」
叫んだ瞬間、バキバキと二人の足もとの敷石が捲れあがった。見えない力に引き剥がされたような状態に、ギョッとする涼と、翔一。
「亜紀…お前…、お前が…俺と一緒にいたいって…言ってくれたんじゃないか」
「―そうよ! だけど…、だけど…あの時とは状況が違うの! だって貴方…生きてるんだもの! 私は、死んだと思ったから…だから…」
ほとんどヒステリックになって叫ぶ亜紀。と、その二人の前に、翔一が割って入った。
「亜紀さん酷いです!」
「…」
いきなりの翔一の言葉に、一瞬亜紀の怒気がそがれた。
「葦原さんが…死んで無い事に驚くなんて、酷いです! 俺、ちゃんと辛そうな葦原さんの看病をしたんですよ、なのに…生きててくれて良かったって…どうして言ってあげないんですかっ!」
「あ………」
翔一の言葉に、漸く亜紀も気がついた。が、その時にはもう、涼の瞳は翔一だけを映していた。
「俺は…俺は、葦原さんが生きてくれてて嬉しいです…!」
ぐっと拳を握り締めて言葉に力を込める。
「…翔一っ…」
そこに亜紀がいるのを無視して、涼は翔一を強く抱きしめた。それはほとんど本能的なものだった。
「あ…葦原さん…」
途惑う様子の翔一の声は、可憐な少女の様に響く。少なくとも、派手な化粧に様変わりしてしまった亜紀よりは…グッと、涼の心を掴んでいるようだった。
「…俺とお前は…、一緒にいないといけないんだ…きっと…。離れたら、何度も巡り会わないといけないんだ…」
「葦原さん…」
「俺と…一緒にいてくれ…」
ぎゅうっと抱きしめてくれる涼の腕に、翔一は全身を預けた。うっとりと微笑みながら、チラリと…肩越しに亜紀を盗み見る。
哀れみと―優越感の篭もった瞳だった。
その表情を見て―亜紀は切れた。最初に二人を見た時の不快感の予測が見事に的中していた瞬間だった。
「―――!」
きりりと眉を吊り上げて、亜紀その場を走り去る。
しかも その後アンノウが現れ、彼女が危機に晒されるのは…、今の二人には関係の無い話の様だった。
―END―