甘い報酬

byりか

25話―

「やりましたよ、氷川さん!」
 
 明るくはじけた声がスピーカーから響いてくる。どんな表情で言っているのかは、見えてなくてもはっきりとわかる。小沢の言葉を信じていないわけではなかったが、しかし本当に何も経験のない翔一がぶっつけ本番の出動でアンノウを倒してしまったということに、正直ショックのほうが大きかった。
 二面性、両極端のショックだった。翔一が成功したことで小沢のG3−Xの優秀性が証明されたことは非常に嬉しく、同時に、自分の存在とふがいなさにも戸惑い、困惑してしまった。

「氷川さん? どうしたんですか?」
 つい、ぼーっとしてしまっていたらしい。目の前には、まだG3のスーツを装着している翔一の心配そうな顔があった。マスクは自力で外したらしい。
「あ、いえ。すみません、つい…」
 慌てて、氷川は翔一からG3−Xの装備を外しにかかる。ここはまだGトレーラーの中なのだ。
「何か心配事でも? 俺、何かミスしちゃいました?」
 氷川の顔を間近に見ながら、翔一は少し不安そうな顔になった。
「いえ、君は完璧でした。正直驚いているんです。その、まさかここまでパーフェクトにG3を扱えるとは…。いくら小沢さんの人選でも―」
「ええ? やだなぁ。それじゃあ俺が失敗するかもしれないって思っていたんですか?」
 それはつまり、一歩間違えるとアンノウに倒されてしまったかもしれないという危険性があって、氷川は自分の言葉でそんな風に翔一を不安にさせてしまったことに、いまさらの様に気が付いて、焦った。
「いえ! そうではなくて…、あ…その…成功するとは思っていたのですが…」
 今までの自分の頑張りが、なんとなく滑稽な気がして胸の奥がもやもやとしているのだとは…告白できなかった。
「そんな、本当に大した事は無いですから…と、え?」
 気が付くと、黒いアンダースーツだけになった翔一が、至近距離から氷川の瞳を覗き込んでいた。
「氷川さんって…睫毛、長いですねぇ…バサバサしている〜」
「ち、つ…津上さん?」
 余りのアップに、思わず腰を引く。先ほどの氷川の失言に関してはもう、気にしてないようだったが、その変わり身の早さに混乱させられる。
「なんかドキドキしてきますね、凄く綺麗な顔だし」
「津上…さん?」
 にっこり微笑んだ顔のまま、翔一の掌が氷川の頬に触れた。ビリビリっと電機が走り抜けたような錯覚を起こしてしまうほど、それは衝撃的な行動だった。氷川の思考は動きを止めて、そうして次にスイッチが入った時には二人の位置は逆転していた。普段、G3を装着するためのスタンドに、押し込まれていた。僅かに低い位置から、翔一の瞳が氷川を見上げる。
「…ご褒美、あるんですよね?」
「え…ええと…」
 内心、それは考えてはいなかった。おそらく、色々な手続きを踏まえて相当の謝礼なり何かが払われるだろうが―この出動に関してはまだ何も決まっていない状況であった。
「あの…」
「俺、お金は別に要らないんです」
「え?」
 口篭もっている氷川に、翔一は更ににっこりと笑って告げた。
「お金じゃなくて、氷川さんのご褒美が欲しいんです」
「ぼ、僕の…? 何が欲しいって…」
 最後まで言う前に、翔一の人差指が氷川の唇に触れた。ぎょっとして息を飲む。
「氷川さんを、俺に下さい」
「く…ください? え…な? な…」
 うろたえている間に、翔一の指先が唇の輪郭をなぞる。ヌルリと唇を割って、少しだけ埃臭い親指が口内に入り込んできた。
「―――!」
 ますます愕きで、目を見開く氷川。表情の変化に、翔一は楽しそうに微笑みつつ指を増やしていった。
「熱くて、しっとりしている口内ですね。氷川さんらしいや」
「うっ…うう…?」
 どの辺りが「らしい」―のか、全く氷川には理解できなかった。そうぼんやりしている間に、翔一はあいているほうの腕で氷川の体を抱き寄せた。
「つ、つ、つ、つ…津上…さ…?!」
 翔一の掌が唇から離れて、撫でる様に頬に移動する。翔一は撫で摩りながら、もっと顔を近づけて、そうして甘えるような声で囁いてきた。
「俺、頑張ったでしょう? 見事にやっつけたでしょう? 民間人だけど、怖い思いをして、氷川さんの為に頑張ったんですよ。―だから、ご褒美下さい」
「で…でも、あの。ご褒美に…下さいって言うのは…あの……どういう…」
 涙を潤ませそうになった瞳で翔一を見下ろす。そんな氷川ににっこりと、邪気の無い笑みを浮かべたまま、翔一はそっと背伸びをして氷川の唇に自分のそれを重ねた。
「―――!」
 頂点に達した愕きで、氷川は瞳を見開き呼吸を止めてしまった。自分の唇に触れているものが何なのか、わかっているが理解は出来無かった。
 混乱している間に唇は自然に開かれて、翔一の舌が滑り込んでくる。それは氷川が今まで交した事の無いような、甘さに痺れるキスの感触であった。
「うっ…くぅ…」
 翔一は、キスの感触でクッタリと体中の力の抜けてしまった氷川を押さえたまま、唇を離し、思考が停止している瞳を楽しそうに覗き込んだ。
「まさか、初めてじゃないですよね?」
「えっ…! あ、そんな…こと…はっ…」
 舌が痺れて上手く話すことが出来ない。余りのショックに体の神経までいかれてしまった状態で、上手く話せない。翔一は心底嬉しそうに微笑んでみせた。
「ご褒美、ありがとうございました」
「…今の…がですか…?」
「はい」
「あんな…キス一つで…っ…」
「はい、それに付随する 氷川さんの反応とかも楽しめました」
「……な…」
 またからかわれてしまったのだと思いついた瞬間に、フリーズしていた体と思考の機能が一気に回復した。
「津上さん! 貴方って人は…そ、そんな事の為に…!」
 怒りと屈辱感で、今度は顔が真っ赤になった。が、翔一は矢張り平気な顔で、そんな氷川の変化を楽しむ様に微笑んでいるままで…反省をしている様子は全く無かった。
 ワナワナと拳を震わせる氷川が、更に言葉を続け様とした時に、無線からいきなり小沢の声が飛び込んできた。
『氷川君! 君はっ―――!』
 小沢の怒っている声に、しまった…と言う顔をする氷川。

 職務違反で、氷川が聴聞会に小沢ともども呼ばれたのはその翌日の事だった。

―そうして……。
「惜しいコトしたなァ…、もう少しおねだりしても良かったのかなぁ…?」
 警視庁内の氷川のピンチには特殊な能力は発動しないので、のんきに掃除機を掛けながら翔一は次の機会にはどこまでお願いをしようかと、鼻歌混じりに掃除機を掛ける。
 意外に簡単にアンノウを倒せた事で自信がついたのと…やっぱり、あんな簡単な事ができない氷川が可愛いなァ…と思うのだった。

―END―
2001.7.25