殉 愛

byりか

39話より


 どうしたら良いんだろう! 俺に、何ができるんだろう…。頭の中はその事でいっぱいだった。木野さんに再び襲撃されて、そうして警察が助けに来てくれたけれども、次にはアンノウが現れて…命からがら逃げ出した。
 闇雲に逃げた。人が逃走するときには、無意識に地下や暗闇を求めるというけれど、俺自身もそうだった。無人ビルの地下に、なんとか葦原さんを運び込む事が出来た。
 バブルの崩壊以降、都内でもそういったビルが結構多くある。まだ電気が通っているので完全な闇の中ではない中に、俺達はそっと身を潜めた。
「葦原さん…!」
 息が荒い、全身にびっしょりと脂汗を浮かべていて 胸の紫色も酷くなってきている。彼が本当にもう危ないのだ、命の光が消えそうになっているのだというのが素人にも解る―そして、素人だから…俺では何も出来ない。
 怖くて…、でも葦原さんを置いてはいけなくて―逃げ出したい…。
 何も出来ない自分自身が…嫌になる。 
「葦原さん…俺、どうしたら良いんだよ…」
 思えば、ずっと逃げていた。逃げて逃げて、そうして今ここにいる。
「…おまえ…は…無事…か?」
 虚ろになっている瞳が俺を見上げてくれる。焦点が合っていないのに、ここに俺がいるのを解ってくれているのだと解ると、それだけでも嬉しくなってしまった。
「大丈夫だよ、平気! 葦原さん、だからしっかりしてよ!」
 俺の声を聞いて、微かに口元が笑った様に見えた。途端、葦原さんの表情がまた苦悶に歪む。ぎゅっと、心臓が握り潰されたような気分だった。
「葦原さん…!」
 警察を呼んだ方が良いのだろうか? 木野さんのアギトは倒されたのだろうか? アンノウは? 動けない…もしもまだ彼らが動いているとしたら…また襲われてしまう。
 怖くて動けないまま、俺はやっぱり葦原さんの側にいることしか出来なかった。
 そんな時に、男が―突然姿を表した。

「―お前なら救える、お前の目覚めつつあるアギトの力を彼に注ぐのだ」
 その後、普通の人間になると言う言葉もちゃんと聞えたけれど…。
 見知らぬ男の言葉に、普段なら絶対に信用しないけれども…でも…。
 深く頷いた。迷わなかった。
 男が手を翳す、不思議なマークが俺を貫いて―――。
「うわぁああああああ!」
 光が溢れた、俺の中から何かが生まれてくる感覚。これが―アギトの力。
 少年…いや、まだまだ小さな子供の姿をした光がゆっくりと葦原さんの前に進んで…その中に吸い込まれて、消えていった。
 直後、ビクンと体を大きく震わせて葦原さんの上体が跳ね上がって、静かになった。
「葦原さん…」
 気が付くと、謎の男はもういなくなっていた。幻だったのだろうか? 
 自然と、泣けてきた。涙が頬を伝わってきた。何が悲しんだろう? …悲しいんじゃないのかな?
 そっと葦原さんの首筋に手を当てると、弱々しく乱れていた脈が復活しているのがわかった。胸の紫色の肌も徐々に回復しているように見えた。
「すご…いや、本当に俺の中に…あったんだ、アギトの力…」
 真魚ちゃんみたいな回復能力だったのかな?
 俺は動かなくなった葦原さんの体をぎゅっと抱きしめた。まだ冷たいままだけど、きっとそのうちに体温も上がって、元の葦原さんに戻ってくれる…。
 神様、どうか…葦原さんを助けてください。俺に出来ることは全てしたつもりです、まだ足りないなら…いくらでもささげますから…だから…。
 だから、葦原さんを助けてください…!
 力の解放のせいなのか、急速な睡魔が俺の意識を包みこんでいった。

 目が覚めた時、どのくらい時間がたっていたのかは解らなかった。でも頭の中はすっきりしていたので、何日間も同じ服でシャワーも浴びてないのに気が付いてしまった。
 俺は抱きしめているはずの葦原さんに、しがみ付いた格好で眠っていたらしい。久しぶりに、胸の奥にあるもの全部が消えたすっきりしたすがすがしい目覚めだった。
「…葦原さん…?」
 呼んでみたけど返事はまだない。でも呼吸は落ちついていて、血色も大分良くなっている。もう少しだ…と思うと、嬉しくなる。
 葦原さんをまた床の上に横にしてから、そっと彼から離れた。逞しい体、男らしい目許…俺にはない物をいっぱい持っている人。そうして、俺の一部を…与えた人。
「…がんばってください…、絶対に…復活してください…」
 ぎゅっと手のひらを握り締めて、祈る様に呟いた。どうしよう…胸の奥が痛い。
 ごめんね葦原さん…俺…一緒に闘えなくなっちゃったんだね…ごめんね…。
 嬉しい気持と悲しい気持ちが一緒になっている不思議な感じ。俺は、なんとなくそのまま…そっと葦原さんの唇にキスをしていた。
 触れるだけのキス。物語のお姫様が相手だときっとこの後、葦原さんは目が覚めるんだけど…。
「…馬鹿みたい、俺…」
 キスをした事が猛烈に恥かしくなった。何よりも、このときになってはじめて、俺は葦原さんへの気持が、恩とか憧れじゃないってことに気が付いてしまった。
 馬鹿だなァ…普通の人間になった俺になんて、もう意味はないのに。俺を守るために傍にいてくれただけだから、もう今は葦原さんの側にいる理由なんて…ないのに。
「今ごろ気が付いても…遅いのに…!」
 俺は居たたまれなくてその場を駆け出してしまった。どこに行くって言うのはない、ただこのまま葦原さんの側にいたら、もっと惨めな気分になってしまいそうで怖かった。
 なんだ―俺はアギトの力を手放しても…結局は同じだったんだ…。
 葦原さんを残して町をさ迷っていて、結局入ったのは映画館だった。薄暗くて他人に干渉されない場所、最低でも上映時間の間は一人で静かに過ごせるところだった。 
 そうして、この映画館に入る前に、一件の電話を木野さんにいれていた。
 映画の内容なんてどうでも良かったから、まさかアニメだとは思わなかった。人なんて殆どいない、静かな映画館の中だった。
 ほど無く、木野さんが現れる。不思議なくらい平淡な気持で、木野さんと向かい合う事が出来た。そう、俺にはもう彼に狙われる理由がないのだから…。
 案の定、木野さんには罵られた。おかしな人だと思った。だって…アギトの力を持っている俺を殺そうとしたのに、その可能性を捨てた事を罵るなんて…言っている事と実際にやっている事のギャップが大きすぎてやっぱり理解できない人だ。
 葦原さんや翔一さんとは全然違う人なんだって、今ならはっきりとわかる。
「でも…俺は、後悔してないよ……」
 映画館から出ていく木野さんの背中に届いたかどうかはっきりしなかったけど、でもその正直な気持を言葉に出来たのは大きな進歩だと思えた。
 そうして映画の終わるまで、そこを動かなかった。まだ、木野さんに逆らった事に対して、体と心がびっくりしているのでそれを落ち着け様と思ったのと…気が抜けてしまって動く気分じゃなかったからだった。
 それでも、自分の中の気持を整理した後、結局は葦原さんを残してきたビルに戻った。葦原さんが…そのまま残っていてくれたら嬉しいって思いながら、でも、もし本当にまだあのままだったら…どんな顔をしてあえば良いのか、一寸心配だった。

「―葦原さん! 気が付いたんだ!」
 戻ってきて意識を取り戻して目をパチパチさせている葦原さんの姿が直ぐに目に入った。駆け寄った俺を、葦原さんは少し不思議そうな顔をして見上げる。
「よかった…気が付いたんだね。よかった…!」
 後はもう言葉にはならなくて、俺は夢中になって葦原さんに抱きついた。まだ少しふらついている葦原さんはどんと壁に背中をぶつけながらも俺を受けとめてくれた。力のあまり入らない腕が背中と肩に回って、ぎゅってしてくれる。
 それだけで嬉しくなってしまった。胸が熱くなる、泣きそうになった。
「…逃げなかった…のか?」
「だって…葦原さんを置いてなんて…逃げられないよ!」
「…馬鹿だな…、津上の所でも、どこででも…行けただろう…?」
「違う…そんな、護ってもらいたいからなんかじゃなくて…!」
 傍に居たかったんだと、そう言おうとした時に背後で物凄い音がした。鉄筋の柱を軽がると床に叩きつけて現れたのは、木野さんだった。
「馬鹿なヤツだ、わざわざ俺をここに案内してくれるとは」
「―――!」
 息を飲む。そんなつもりは無かったのに…! 俺は、葦原さんを裏切った事になるんだ。そんなの…嫌だ! 絶対に、嫌だっ! 俺は、急いでまだ動きの鈍い葦原さんを引きずる様にして逃げ出した。
 俺が…今度は俺が葦原さんを守るんだ!
 途中で真魚ちゃん経由で翔一さんに連絡を取ってもらったけど…でも間に合うかどうかわからなかった。しかも、港に追い詰められてしまって―もう逃げ場はなくなってしまっていた。アギトに変身している木野さんが、一歩一歩確実に葦原さんに近づいていく。
 本当に、このままだと間違いなく葦原さんは――。
「やめてよ、木野さん!」
 俺は夢中で飛び出して行った、恐怖感が不思議と無かった。夢中だった。とにかく葦原さんを…守りたかった。
「ふっん!」
 でも、必死の行動もアギトの軽い一振りで振り払われてしまった。弾き飛ばされて、積んであった資材の上に背中から落ちてしまった。激痛で、意識が途切れてしまった。

 どのくらいの時間気を失っていたのかわからないけど、でも―そんなに長い時間じゃなかったと思う。目が覚めてでも、まだ―朦朧とした意識の中、葦原さんのギルスが…変化した姿をぼんやりと認識する事が出来た。
 復活…出来たんだ……凄く強そうな―――ギルス…葦原さん…。
 俺の中のアギトの力が…ちゃんと形になっている、それが嬉しい。やっぱり俺よりも、葦原さんに託して正解だった…。俺ではあんな風になれないから―だから…。
 だから、もう良いよね…もう、―俺が傍にいちゃ…いけないんだよね…。
 俺の想いが、これ以上大きくなっちゃいけない。葦原さんの足枷になっちゃいけないんだっ…! 
 そう思ったとき、俺は叫んでしまっていた。
「―やめて! 木野さんを、殺さないで!」
 葦原さんのとどめが決まる直前だった。木野さんとの圧倒的な力の差、葦原さんは、想像以上に強くなっていた。
 俺の声が届いたからなのか、葦原さんの動きが止まった。俺の方に振り返ってくれる。
 俺はよろよろと葦原さんの近くへと進む。足が自然に前に進んでいる感じだった。
「…木野さんを…殺さないで…」
 命を狙われたこともあったし今だって、正直まだ怖いけども―でも。やっぱりあかつき号の仲間として、もう残っているのは俺と木野さんしかいないんだ。『仲間』がいなくなるのは…嫌だった。
 変身しても、葦原さんは俺の言葉も気持ちもわかってくれたみたいに完全に動きを止めていた。そうして、その後ろには木野さんのアギトがいて…。
「木野さん!」
 木野さんがゆらりと立ち上がった、反射的に振り返った葦原さんだけど―でも攻撃が繰り出される前に木野さんは自分の右手を不自然に抱えるような格好で、そのまま海の中に静かに落ちて行ってしまった。
「木野さんっ!」
 波間に沈んでいく木野さんの姿は直ぐに見えなくなってしまった。
もう、俺の声は木野さんには―――届かないんだ……。
 いい様の無い喪失感で、胸が一杯になってしまった。自然に涙が溢れてくるのはどうしてなんだろう。
 俺は木野さんの名前を大きな声で叫んでいた。


 それから二時間後。変身を解いた葦原さんと二人、俺は葦原さんのマンションに居た。
 着たきりだった服を脱いで着替えとシャワーを借りた。
 本当は駆けつけてきていた警察の人に色々な事情を話さないといけないらしいんだけど、泣き喚いていた俺を気遣ってその若い刑事さんは(あのロボットみたいなのを着ていた男の人、この間も会ったことがあった)後でも良いと言ってくれたから、葦原さんは俺を自分のマンションに連れてきてくれた。
 もう、木野さん名義のマンションには戻れなかったし、木野さんに関連した何かを見るときっとまた思い出して泣いてしまいそうだったから、葦原さんの気遣いが嬉しかった。
 そうして、自分もシャワーを浴びて着替えた葦原さんを前にして、俺はなにを言って良いのか、最初全くわからなかった。表情が強張っていて、きっと…情けない顔をしていたんだと思う。漸く搾り出した言葉は、なんだか少し的外れみたいだった。
「約束…守れなくなった。…ごめんなさい…。俺、葦原さんと一緒に…闘えなくなった」
「……」
 俺の言葉に、葦原さんは答えなかった。俺は一人でしゃべり続ける。
「…もう俺は、一緒にいられないと…思うんだ。俺、きっと葦原さんの足手まといになっちゃうから」
「…それは俺のせいだな。生き返ったのは―お前の中のアギトの力だったんだろう?」
 葦原さんは、そっと自分の心臓の上を押さえて、俺を見た。ギュッと、俺の心臓がわしづかみされた感じがする。気が付いていたんだ…俺の力だってこと。ちゃんとわかってくれたんだってわかっただけでも、俺は嬉しくなった。後悔しなくて…良かった。
「…葦原さんのせいじゃない…、きっと葦原さんだって俺と同じことをしたと思うよ」
 俺は、本当に自然に笑う事が出来た。まだ泣き笑いみたいな顔だったと思うけど、でも心の中はすっきりしていた。
「そうか」
 葦原さんもそれ以上はなにも言わなかった。
「俺さ…家に帰るよ。帰って、勉強して…医者になる」
 あれだけ嫌っていた家で、医者って言う仕事だったけど、でも今は、本当にそうなりたいって思った。もうアギトの力は無くなってしまったけど、でも、そんな俺でももしかして葦原さんの役に立つ事があるかもしれない。医者になれば葦原さんが怪我をした時に…治せるかもしれない。
 今回の時のような苦しい思いをしなくても済むかもしれない。木野さんみたいにはなれないかもしれないけど、でも…少しは役に立てるようになるかもしれない。
「…頑張れよ…」
 低い、葦原さんの声が心地良い。胸がきゅんと痛くなる。
「…うん……、絶対に名医になるから…」
―だから、それまで絶対に…生きていて。木野さんみたいに、俺の前からいなくならないで…―
 最後にそう言いたかったのに、結局また泣けてきて言葉が続かなかった。泣き出した俺の肩を、葦原さんはそっと抱き寄せてくれた。優しい優しい葦原さん…。
「葦原さん、葦原さんっ!」
俺は夢中になって葦原さんにしがみ付いた。
「本当は離れたくないよ、ずっと一緒に居たいよ! 俺、葦原さんが…」
 好きって、告白する前に葦原さんの唇が俺に触った。頬に触れた。
「あ…」
 びっくりして動きが止まって、俺は直ぐ近くにある葦原さんの顔を見上げた。
 嘘、こんなの…夢みたいだ。本当に、こんな事があるなんて…幻覚?
「待ってるから…戻ってこいよ」
「あ…あし…葦原さん…」
 啄ばむ様に葦原さんが唇にもキスをしてくれた。なだめる様に優しく触れるだけのキスだったけど凄く、幸せにな気持になれるキスだった。
 俺は夢中になってそのキスをもっと欲しがって、ぎゅうって葦原さんに抱きついた。
「…好き…、好きだよ、俺…葦原さんが…好きだよ…」
 葦原さんは言葉では無く、そのまま何度もキスをしてくれた。やがて疲れに負けて眠りに落ちるまで、優しいキスを続けてくれた。
それが、葦原さんの返事だった。

 翌朝目が覚めると、もう葦原さんは居なくなっていた。俺は借りていた服を着替え様として、でも…やっぱりこのまま借りておくことにする。
 何時か、本当に医者になって葦原さんに再会する時まで、借りておこうって決めた。
 さよならとは書かないで、またねって…メモを残して俺は葦原さんのマンションを出る。
 葦原さんにつりあう男になって戻ってくるから、それまで、待っていて。
 後ろに、微かにバイクの音が聞えたけど―振り向かなかった。
 葦原さんだったら…って思いもしたけど、でも―未練になるといけないから、そのまま歩きつづける。

 ゆっくり地面に足をつけて 俺は歩き出した。


―END―
2001.11.7