キスまで何秒?
byりか


 「もうすぐ死んじゃうかもしれないから…氷川さんと一緒に草むしりしたかったのになぁ…」

 うな垂れ、肩を落としながらそう呟く言葉に慌てて着ていた背広を脱いだ。
「わ、わかりましたよ、津上さん! やりましょう、草むしり。やりましょう! さぁ!」
 翔一の肩を抱える格好で、自分もその場にしゃがみ込み、そうして勢いよく家庭菜園の、あちこちに見えている雑草を指差した。
 本来は勤務時間で、今回はちょっと彼の様子を見に来ただけだけだが、矢張りこんな風に言われてしまっては…断れない。いつもの、あの全開の笑顔ではないのが 結構胸に応えてしまう。やはり彼には―あの笑顔でいて欲しいのだと、思う。だから、つい翔一の言葉に反応してしまうのだ。
「うっ」
「あっ」
「ああっ!」
 ぶち、ぶちと…いう音が小さく響く。その度に、氷川の低い呻き声が漏れて、翔一は楽しそうにその手元を覗いていた。
 雑草を抜こうとするが、しかしなかなか上手くいかない。どうも草のサイズと指の長さがうまく合わないらしいのだ。力加減が…悪いのかもしれないと、思いながら一生懸命に根も抜こうとするのだが、やはり上手くいかない氷川は少し焦りはじめていた。
 フト気が付くと、横からの視線に気がついた。なにが言いたいのか…瞬時に理解してしまう。
「氷川さんって…やっぱり、ぶ…」
「ええ、不器用なんです! どうせ、俺は草むしりも手伝えないくらい、不器用なんです!」
 最後まで言わせないで、自分の方から申告する。G3ユニットの、尾室にも言われた事がある。ライバルだと囁かれている北條とは…その点が違うらしい。
 ギュッと、こぶしを握り締めて、根の残ってしまった雑草の、緑の部分だけを握り締める。なんだか物凄く口惜しい気分になっていた。落ち込む必要はない筈だが…、しかし…矢張り何となく、惨めな気分だった。
 ふと、軍手を脱いだ翔一の手が、握り締めているこぶしに触れてきた。暖かい感触にドキッとする。
「氷川さん」
「はい」
「…キスして下さい」
「え?」
 なにを言い出したのか、わからずに目を見開く。話の展開も読めないで口をパクパク、金魚の様に動かすのがやっとだった。そんな氷川に翔一は真顔で言葉を重ねてくる。
「俺の体の事心配してくれたんですよね? だから元気だった事を確認する意味で、キスして下さい」
「あっ、…なっ、なに…! ええっ、しかしここは…あの…!」
「ダメですか?」
 そんな可愛い表情で肩を竦めながら小首を傾げないで欲しいと心の中で絶叫する。ぐらぐらしてしまう…。
「…昨日は、してくれたじゃないですか」
「―――――!」
「真魚ちゃんがいても、してくれたじゃないですか?」
「あ―−−−−−−−−−あれっ! あれは…!」
 アンノウンに襲われた風谷真魚嬢をかばって、彼が倒れているのを見た時に、思わず駆け寄ってしまった。抱き起こし、そうして―。
「あれは…間違いだったんです、息が止まっているから、とにかく人工呼吸をしないといけないと思って…」
 キスではないと、言いたいのに翔一は聞いてくれない。それどころか、ますます丸い瞳を向けて氷川をみつめてくる。
「俺、意識なかったから氷川さんが キスがうまかったかどうか解らないんですよね〜」
「だから…それは…」
 泣き出しそうな表情をしていたのかもしれない、こんな事で彼に突っ込まれるとは思わなかった。意識がなかったから解らなかったんだろうと思っていたのに…きっと、真魚嬢がばらしてしまったのだ。
「あ〜あ、俺 死んじゃう前に、氷川さんにキスしてもらいたかったなぁ…」
「う…」
 とどめ言葉を口にする翔一。それを言われたら逆らえないのを彼はちゃんとわかっているのだ。
「…あ〜あ…」
 わざと肩を落として俯く。けれど、こぶしの上の手はそのままで…、更にそっと撫でてくる。小悪魔だ…、と頭の中で冷静な自分が分析しているが、体と直結している意識の方は自分でも止められなかった。土のついたままの手で、彼の手を引き寄せてそっと触れるだけのキスを彼の唇に落とした。
 突然の自分の行動に、彼は一瞬だけびっくりしたようだったけども、すぐに離れた唇に小さな笑みが浮かんだ。 それを見た瞬間に、顔が熱くなってしまう。
 なんとなく、また自分がからかわれてしまったのではないかという気がした。
「―やっぱり…氷川さんって不器用ですね」
「――――!」
 咄嗟の事で、言い返したいのに、言葉が出なかった。それどころか 呆けている間に、今度は彼の方からキスをされてしまう。
「…!」
 翔一のキスは、触れるだけではなく、しっとりと重なり合う本格的で、恋人同士のようだった。
 しかも、離れる瞬間には軽く唇を噛むという高等テクニックまで駆使されてしまう。
「あ…」
 そんなささやかな動きに、腰が抜けて地面にへたり込んでしまった。目の前に、翔一の少し悪戯っぽい笑顔が残っていて、彼は氷川の反応に楽しそうに笑っている。
「ね、氷川さん。俺が死ななかったら…もっと一杯、う〜んと、濃厚なキスを 今度は氷川さんからしてください。約束ですよ」
「う…」
 ノーとはいえない笑顔に、氷川は返事を口にする事が出来なかった。
 しかし、約束だけはしっかりと交わされてしまったのだった。

―END―