Byりか
26話補完(?)な涼と翔一編
深夜、人々が眠りに落ちている静かな夜に、涼は目を開けていた。胸騒ぎがしていた。何か、起こりそうな予感がしていたのは動物的な本能だったのかもしれない。
ピンポーンと言う、控えめなインターフォンが鳴った。扉を開けると案の定そこには翔一が立っていた。
「…寝てました?」
何時に無く気弱そうな笑みを浮かべて尋ねる翔一に、微かな違和感を感じる。
「いや。―どうした?」
何か思い詰めているのは薄暗がりの中でもはっきりと見て取れた。
「……入っても、良いですか?」
「ああ」
少し体をずらして、部屋の中に導く。すると 何時もは軽装な翔一が、少し大きめの斜め掛けリュックを背負っているのに気がついた。
「どこかに、出掛けてたのか?」
「あ…いえ…あの…。一寸…。あの…朝まで居ても良いですか?」
歯切れの悪い口調は、本当に何時もの翔一らしくは無かった。
「…構わないが…」
「始発を…って思っていたら、凄く早くなっちゃって…」
それにしては今は真夜中である、いくらなんでもはや過ぎる。違和感は増して行った。
「家を出てきたのか?」
「…はい」
小さく頷く。指先が小刻みに震えていた。
「気がつかれない様に?」
「はい」
それが自分の元に来る為ではない事は…なんとなくわかった。
無言で頷きながら、翔一はベッドの下に腰を下ろし、ふうぅっと深く溜息をつく。涼は少しのあいだ無言でそんな姿を見ていたが、やがてキッチンに立って、前に翔一が作り置きをしていった麦茶をグラスに注いで運んできた。
「何も無いが…」
「あ…、ありがとうございます」
素直にグラスを受け取った翔一の姿を確認してから、涼はその向いに腰を下ろす。二人の間のテーブルの上には、涼の父の形見である手帳が置いたままになっていた。さりげない、普段の自分を演出するためか 翔一はぼんやりと手帳を見つめた。
「随分と古い手帳ですね」
「ああ…船乗りだった父の、形見だ」
「へぇ…、お父さん船乗りさんだったんですか…カッコイイですね」
「そうか?」
「エエ、なんとなく葦原さんのお父さんって…感じがします」
妙な誉め言葉だと思いながら、涼は更に翔一が自分から話し出してくれるのを待った。何か隠しているのは、一目瞭然だが せっつくのは涼の性格では出来無かった。
暫くの無言の後、重い口を開いた翔一は、おずおずとした口調で涼の言葉を望む様な言葉を呟いた。
「…葦原さんは…俺が誰か別の人間になっても…あの…構ってくれますか?」
「別の人間…?」
話の意味が良くわからず、展開が読めない。涼は困惑する。
「その…、ある日突然…普通のコレまでの記憶が甦って…」
「―記憶が、戻ったのか?」
さりげない風を装った言葉だったが、しかし涼は直感としてそれが翔一自身の身に起こった事だとわかった。実際、一瞬驚いた顔をした翔一は、素直にそれを認めた。
「……はい…」
「どうやってだ? それまでは回復の片鱗も無かったんだろう?」
実は…と、翔一はその時の状況を伏せながら昨日の、自分(アギト)とギルスの戦いの話をした。 海に落ちた事は伏せているが、大喧嘩をしたとだけは告げた。
「その喧嘩のショックで、治ったって言うのか?」
「多分…」
赤水門の上から水中に落ち、そうしてその衝撃で記憶が沢山フラッシュバックを起こした。水が、記憶へのキーワードになったようだった。
「随分と派手な喧嘩をしたんだな」
そう言う自分も、昨日はかなり派手にアギトと闘ったが―しかし、それが目の前に居る翔一の事だとは思いもしなかった。涼の中では、はっきりとアギトは倒したものであったのだ。
「しかし、それならどうして? ちゃんと世話になっている家に、全部話せば良いだろう?」
「……怖いんです、それが」
忽ち、翔一の表情が強張った。
「怖い?」
「皆の知っている俺って言う人間が、消えてしまったみたいで…不安で、その事で皆に…」
「嫌われるって? ばかばかしい」
「俺自身が…怖いんです…、それに…」
思い出したくない事も、あった。はっきりさせなくてはならない事もある。明らかに、津上翔一ではない自分―、涼と知り合った時の自分ではない、本当の自分。その自分を、涼は…美杉家の人間が認めてくれるのか…、不安で、心配であった。
「…俺じゃなくなりそうで…」
ハッと、そこで息を飲む翔一。無言で、涼がすっぽりとその体を抱きしめてきたのだ。
「…大丈夫だ、お前は…ここに居る。名前が変わっても、お前は…お前だ」
「葦原…さん…」
耳元で熱く語ってくれる涼の言葉に、翔一の背中がぶるぶるっと震えた。一番欲しくて、でも怖くて頼めなかった言葉だった。
「……葦原さん…葦原さん…、葦原さん…!」
「俺が…ずっと見ててやるから…、たとえお前が何者でも…」
抱きしめる腕に力がこもる。その感触は間違い無く、涼の知っている津上翔一のままだった。
翌朝―、朝日の登る少し前に、翔一は涼の腕をすり抜けてそっと部屋を出ていった。寝たふりをしたまま、涼は無言で翔一を見送る。彼がどこに行くのか、どこに行きたいのかは敢えて聞かなかった。
「ちゃんと…戻ってこいよ」
俺達は、何度も巡り会って何度も…求め合わないといけないんだ。―以前言った言葉を、改めて思い出し、噛み締めつつ囁く。
その言葉に頷いた翔一を、涼は信じた。
―END―
2001.8.1