―葦原パパ 2―
byりか
「葦原さぁ〜ン」
少し甘えたような、元気の良い声で玄関先から自分の名前を呼ぶ声に、涼はハッと我に返った。本当は面倒だが、しかし開けなければずっとそこに立っているとわかっているので涼はしぶしぶという感じで扉を開けた。
案の定、そこにはにこにこと嬉しそうに笑っている翔一が立っていた。本当なら別の名前があるらしいが、記憶が戻った後も本人は回りの事思うと(特に、警視庁のあの面白い刑事さん)このままの名前でも構わないというのでそのまま津上翔一で済ませるという。
おおらかではあるが、言葉を変えればただの無頓着でもある。
彼らしいといえばそうなのだが…。
「…どうした?」
「ご飯、差し入れです。さっきの闘いでお腹が結構空いたでしょう?」
大きな風呂敷包みを差し出してにっこりと笑い掛けた。ほんのりと匂いが漏れてくるそれはどうやらお弁当の様だった。
匂いに誘われた様に、くぅーっと唸る。気恥ずかしさに、涼は無言で翔一を部屋の中に通す。聞えないふりをしていても、涼が背中を向けた時に小さく笑いを堪えている気配は感じた。
「相変わらず綺麗にしてますね、折角片付けも手伝おうと思ってきたけど…」
「別に散らかすほど、物もないしな」
キッチンに向い、お茶の用意をする涼の背後では、当然の様に翔一がベッドの上に座って辺りをキョロキョロと見まわしていた。
ふと、テーブルの上にある 手紙に気がついた。
「あれ?」
何気なく手を伸ばす。狭い部屋なので、見ないふりも出来ないような距離だった。
「あ、おい。お前勝手に見るなよっ」
お茶を持って戻ってきた涼が、手紙を手にしている翔一に気が付いて慌てて取り上げようとしたときにはもう、その中味に目を通してしまった後だった。
「もう遅いですよ〜、こんなところに出したままにしてあるから、気になっちゃいました。ラブレターとかだったらやだなぁて思って」
悪びれない風を装っているが、しかし少し照れた顔で翔一は肩を竦めた。
「お父さんからの…手紙だったんですね」
「ああ、あかつき号の中で書いて、船内のポストに投函したらしい。間抜けだよな、俺のこっちの住所を忘れて実家のほうに送ってやがった」
だから実際に手にするのがこんなにも遅くなってしまった…と残念そうに呟く。翔一はもう一度手紙をそっと手にとって、そうして船内で出会ったときの、葦原の優しげな笑顔を思い出した。あまり涼には似ていない、温厚な人柄の素敵な人だったと思う。
「思い出せて良かったな、葦原さんのお父さんのこと。その…亡くなったんでしたよね」
「ああ、野垂れ死にだった。やせ衰えて、身元の確認が遅れてしまうほどに…な」
死に顔を思い出すと今も胸が痛くなる、あの顔を見て、自分は父の死の謎を探ろうと思い、そうして―あの化け物たちとの戦いに身を投じることになってしまったのだ。
運命として受け入れるにはあまりにも過酷な身上だった。
「俺、覚えてますよ、葦原さんのお父さんのこと」
作ってきたお弁当を広げながら、翔一は静かに話し始めた。揚げたてらしいコロッケやから揚げ、野菜の煮しめにフルーツのサラダ。ご飯は奮発したのかまつたけと栗の入った五目御飯だった。相変わらず、見事な腕前だった。同じように戦って、その後分かれたはずなのにこうしてすぐに料理を作って持ってくるあたり本当にマメだと思う。
当然のように椅子に座ってその弁当に手を出しながら、涼は翔一の話を聞いていた。
「優しい人ですよね、凄く。俺、みかんおすそ分けしてもらっちゃいました、甘くて美味しかったです。他の皆さんにも配っていて、本当に…いい人だった」
「ああ、そうかもな」
ぱくっと、味噌味のついているから上げをつまむ。暖めなおさなくても十分に味がしみていて美味しいくて、良く翔一が作って持ってきてくれるものだった。
「そこで…俺、プロポーズされたんですよ」
「―−ぶっ!」
思わず気管に鶏肉が張り付いた。
「なっ、なに?」
「葦原さんのお父さんに、直に頼まれちゃったんです、今度うちの息子に会ってくれって、それで気に入ったら嫁に来て欲しいって」
嬉しそうにそのときのことを思い出しながら話す翔一に、涼は愕然とする。
『やっぱりぼけてたのか、あの親父!』
「俺、まだ調理師学校の途中なんで結婚はちょっとって言ったら、息子も大学生だからかまわないって。まずは交際からしてみないかって言われて」
「…お前、断れよ、そういうのは…」
基本的に、何で男を誘うのかが判らない。せめて女だろうこの場合はっ!と突っ込みそうになった時には、翔一はますますニコニコとして首を振った。
「まさか、だってそこで葦原さんの写真も見せてもらったんですよ! 断るわけないじゃないですかぁ」
「……なぜ?」
ビクビクして翔一を伺い見る涼。翔一は少し照れくさそうに笑いながら答えた。
「だって凄く格好よかったんですから、まぁ結婚は無理でも友達になったら嬉しいかなぁって思って」
友人という響きに、ほっとする。そのくらいなら、確かにまぁ…いいだろうと思った。
「友達から恋人、結婚って言うのが俺の理想だったし」
「ぶっ――ぅ」
今度は栗五目御飯を吐き出しそうになる。
「か、からかってないか、お前」
「からかう? 何でですか?」
「…」
どうも、美杉家の人間といい自分の父親といい、この翔一も何か基本的な部分で間違っているような気がしてならない涼。が、それをまじめに告げてもあまり意味がないことはなんとなく察することが出来た。
「とにかく、今回記憶が戻ってひとつ凄く安心したことがあるんです」
あきらめて、再び弁当に手を出す涼に 翔一は新しいお茶を入れながら呟いた。
「安心したこと?」
「亜紀さんのこと」
「…」
ふと出た女性の名前に、一瞬、涼の手が止まった。
「亜紀さん、俺の恋人じゃなかったんです」
「…そうか」
興味のない振りをする涼に、翔一はさらに言葉を重ねてゆく。
「なんだか、それで凄くほっとしちゃいました。だってもしも本当に恋人だたら、きっと葦原さん…嫌でしょう?」
「別に、俺は亜紀のことは…」
「でも、気になる存在だったんですよね? アギトのことを敵だって思い込むくらいには…大事な人だったんですよね?」
変身する自分を、必要だといってくれた最初の人間だった。その理由が自分の保身だったとしても、それでもそのときの涼には救いだったのは間違いなかった。
「もしも、俺が記憶をなくさないでいたら…葦原さんのこと、一番にわかって上げられたのは俺だったかもしれないんですよね…悔しいなぁ…」
翔一は珍しく真剣な瞳で涼を見つめながら呟いた。どきりと、心臓がなる。
「亜紀さんじゃなくて、俺が…葦原さんの癒しになりたかった」
静かな声の告白には、いつものふざけた様子が少しも入っていなかった。
涼は、顔を上げないままご飯を綺麗に食べ切って、残っていた野菜の煮しめを口に放り込むとすばやく嚥下する。
「別に、今がそうなんだから…いいだろう」
ボソリと呟いて、そうして熱いお茶も一気に飲み干した。その間、翔一は意外な涼の言葉に、動けなくなっている。
「あの…それって、あの…今は俺が葦原さんの癒しになっているってことですか?」
「…」
そっぽを向く涼に、翔一は慌てて移動して顔を覗き込む。
「ちゃんと、答えてください〜! 俺、葦原さんの癒しになってます? 俺のこと少しは気にしてくれてます?」
子供のようにじゃれ付く格好で涼に接近して行く翔一。
「別に、今更だろうが。何度も言わせるな」
うるさそうに翔一の体を振り払いのけて 涼は立ち上がろうとしたが―直前に、がっしりと翔一が首に抱きついてきた。
「うっ」
「嬉しいです!」
素直に喜ぶ翔一を首に抱えたまま 涼はベッドの上に倒れこんだ。
「お前っ、俺を…殺す気か!」
ようよう首から翔一を引き剥がした涼に、けれど翔一は執拗に擦り寄って行った。狭いシングルのベッドの上に、二人分の体重がかかる。
「葦原さんになら、殺されてもいいな」
「…冗談じゃない、お前なんか殺したら、ずっと祟られそうだ」
「祟るなんて、とんでもない。俺…じっくりと葦原さんを見守ります。いつも傍にいて、葦原さんを…」
守ります、という言葉はそのまま涼の唇に塞がれた。そうして、翔一の体がベッドの上に抱きなおされる。
「…食後の運動だ、付き合え」
キスの後、涼のささやく言葉に翔一はまた嬉しそうに微笑んで頷いた。
「妻の、務めですね」
「うるさいぞ、お前。 余計なことを覚えるなっ」
『結局、ボケ親父の思惑どおりかよ…』
翔一が家に戻ったのは、翌朝のことだった。
―END―
2001.12.1