byりか

―17〜18話に関しての勝手な希望:考察
(涼君の部屋にお嫁に行くバージョン)
 
「う…」 
 気が付くと、そこは自分の部屋だった。ここ暫くまともに使っていないベッドの中で、涼は目を覚ました。時間は夕暮れか…部屋の中は薄暗い、それでも自分の部屋だと言うのは、匂いで判った。
「…俺は…」
 警察の攻撃を受けて、倒れたところまでは覚えている。幸い、ダメージを受けたがしかしそれで死んでしまう事はなく、逆に襲ってきた警察官達を蹴散らし、そうして―見た事もないロボットのようなものと戦い…辛くも、その場を逃げ出す事が出来た。危なかったのは確かで、体力は限界だった。変身が解けてもとの自分の体に戻った時、その手がかさかさに干からびているのに驚きながらも…どうする事も出来ずに、その場に倒れてしまった。
 意識が急速に失われ、指先一本さえ自由にはならなかった。あのまま体の機能がゆっくりと止まって、そうして…死んでしまうのだとそんな風に思いながら意識を手放したのだ。
「俺は…生きているのか…?」
 ゆっくりと体を起こそうとする。が、上手く力が入らない。もぞもぞとしたささやかな動きさえ出来なかった。
「あ、気が付きました?」
 途端、聞こえてきたのは翔一の声だった。リビングに通じる引き戸が開けられて、明るい声が寝室に響いた。不快ではない、安心出来る不思議な響きが耳に心地良かった。
「なにか、飲みますか? 喉乾いてませんか?」
「…お前が…?」
 翔一はベッドに近寄ってきて、間近に涼の顔を覗き込んだ。優しい手のひらがそっと額に添えられる。
「…熱はなかったみたいなんですけど…逆に、凄く冷えてたんで…びっくりしました。でも、もう大丈夫みたいですね? 今は、寒くないですか?」
「あ…ああ…力が…うまく入らないだけだ」
「筋肉が、萎縮しているんですね…ああ。まだ指先は冷たいままだ…」
 布団の中で涼の手を掴んでそっとなで摩る。
「…気持ち悪くないのか? 俺の…体」
「どうしてですか? 俺、道端で葦原さんを見付けた時の方がびっくりして、気持ち悪くなっちゃいましたよ」
「?」
「なにかこう…頭の中がぐしゃぐしゃになった感じで、気持ち悪かったです。でも―今は全然平気ですよ」
 布団から涼の手を取り出して、そうして涼の目の前でその指先にそっと口付けた。かさかさの枯れ木のような指先に、その刹那僅かに艶が戻った様に感じられた。
「…お前…」
「ね? 平気だって言ったでしょう? それよりも、喉が乾きませんか? スープを作ってあるので飲みませんか?」
「…お前が…作ったのか?」
「ええ。味は保証しますよ、まずはゆっくり休んでください。―でもまだ辛いようなら、お医者さんに行った方が良いかもしれないですけど…」
「…医者は…いい」
 この異常な体を他人に見せるのは絶対に嫌だった。先の警察の攻撃を思えば、自分の正体が分かればどんな扱いを受けるのか…明白だった。自分の人間としての尊厳も、意識も何もかもを奪われてしまうだろう。そんな屈辱的な扱いを受けるくらいなら、苦しくても「人間」として意識を持ったまま死んでしまう方がマシだった。
「そうですか。じゃあ、俺、そんなに詳しい看護とかできないですけど…でも俺ができる精一杯をしますから」
 翔一は、敏感に涼の感情を感じ取ったのか、詳しい詮索をしないで何事も無かったような顔でとん、と胸を張った。
「……お前…やっぱり変なヤツだな…」
「そうですか?」
 にっこりと笑って答えながら、翔一は一旦部屋から出ていった。そうして直ぐにスープ皿を乗せたトレイを持って戻ってくる。甘く柔かな野菜を煮た匂いが涼の鼻先を擽った。
「起き上がれますか?」
 翔一に腰を支えられながら起き上がる。情けないくらいに体力が消耗している涼は、それだけでもふらつきそうだった。しかし 翔一の前で余り恰好の悪い事をしたくないと言う意地で、かろうじて持ちこたえる。
「どうぞ…あ、どうせなら食べさせてあげましょうか?」
 スプーンを渡しながら真面目な顔をして尋ねる翔一に、涼は苦笑混じりに肩を竦めた。
「まだそこまで弱ってない。―だけど、どうしてもって言うなら、口移しで飲ませてくれても良いんだぞ?」
 ふわりと頬が僅かに赤くなってから、翔一はそんな冗談が言えるならもう良いですね、と言って立ちあがってしまった。
 意外に純情な翔一の反応に、涼は久しぶりに楽しくなって小さく笑いながらスプーンを口に運んだ。一口でわかる、優しい自然の味だった。
 体が変わってから味覚も変化してしまったのか、余り味の濃いものは食べたくなくなっていたその舌に、翔一の味はピッタリとマッチしていた。
「…美味い…」
 呟くような涼の言葉はちゃんと部屋を出ていく直前の翔一の耳にも届いていた。
 涼には背中を向けたままだったが、照れている顔のまま嬉しそうに微笑む翔一だった。
 ゆっくりと時間をかけてスープを飲み終えると、指先を初め体の隅々に力が戻ってきたように感じられた。ホッと、一息をついて皿を枕もとのトレイに戻すと、そのタイミングを見計らっていた様に翔一が現れる。今度はお湯を張った洗面器とタオルを二、三枚持っていた。
「体も少し拭きましょうか、さっぱりしてまた横になれば直ぐに元気になれますよ」
 皿の乗ったトレイをどかし、涼の着ていたシャツを脱がせると洗面器にタオルを浸す。少し熱めにしてあるのか湯気が立っているが、首筋をなでられると丁度良い体感温度だった。
「気持良いですか? 熱くないです?」
「いや…丁度良い…ん? なんだ?」
 背中を拭いているのとは反対の手が、筋肉の流れをなぞる様にして動いている。暖かなタオルよりは少しぬるい、人の掌の感触に涼は不思議そうに背後の翔一の様子を伺った。
「流石に水泳選手だっただけの事があって…見事な筋肉だなぁって…。凄いですね」
 つつっと、指先が綺麗な形の背骨をなぞる。ゾクゾクっとした疼くような痺れがそこから全身に広がる。意識しているのか無意識なのか、それは涼の中に記憶されている翔一の肉体への欲望を思い出させるには十分なものだった。
「…誘ってる…訳じゃなさそうだな」
「誘う?」
 ふいと、涼は横に座っている翔一の体を引き寄せた。一瞬は、びっくりして体を竦ませた翔一も、直ぐに涼の変化に気がついて、愕き戸惑った後、小さく笑った。
「さっきまで…死にそうな顔をしていたのに…」
「看病の賜物だろう?」
「看病を無駄にするつもりですか? …無理ですよ、今は…体を休めないと」
「それならなおの事、心残りを…残したくない。求めるのは、雄の性だろう?」
「それは…わかりますけど…でも、本当に無理は…しない方がいいですよ? …俺は消えて無くなったりしませんから…」
 翔一の言葉は簡単に涼の唇に塞がれてしまった。抵抗は直ぐにやんで、そうして翔一の方から舌を差し出して行く。二人は暫くお互いの熱を唇に感じていて、やがてゆっくりと離れた。翔一の瞳は熱っぽく潤みながらも、それでもまだ涼に抱き上げられるのを良しとはしなかった。
「…焦らすな」
「焦らしてません。だから 無理な事はしないで下さい…。今日は、俺が看病しているんだから…最後まで俺がちゃんと…してあげますから」
「…?」
 フッと微笑むと、翔一は涼の腕をすり抜けて床に膝をつく。そうすると丁度涼の腰の位置に、翔一の目線が来た。潤んだ瞳のまま涼を見上げる翔一は静に彼の股間へと手を伸ばして…―――。
 白衣を着ていないくても、涼にとってその瞬間の翔一は天使だった。
 
「なァ…」
「はい?」
 きちんと新しいパジャマを着せてもらい、ベッドの中に再び押し込められる。枕もとには、先程と同じ翔一が涼が寝つくまで付き添ってくれるつもりらしい。
「お前…ここに住まないか?」
「え?」
「あの女の所に行くくらいなら…どうだ?」
「どうだって…言われても…。どうして急にそんな事を言うんですか?」
 困惑を隠せないまま翔一は首を傾げる。 
「俺は…きっと…そう長くはないだろうから…」
「葦原さん―――!」
 自嘲を込めた涼の言葉を、翔一は厳しく止める。ギュッと、布団の中の手を握り締めて、そうしてもう一度彼の指先に唇を押し当てた。
「…わかるんだ、俺はもうそんなに…長くない。だからこそ…大事な人間に側にいて欲しい…」
「それは……俺で、良いんですか?」
「お前が・・・・、良い」
「葦原さん…」
 翔一は、今にも泣き出しそうな笑顔を見せて、そうしてギュッと涼の手を握り締めた。
「一生分の恋を…したいな、お前と…」
「葦原さん…恰好つけ過ぎです…」
「似合わないか?」
「いいえ…」
 泣き笑いの表情を浮かべて、翔一はそっと伸びをして涼の唇にキスをする。少しだけ涙の味のするキスになってしまったそれは、翔一なりの、了解の返事だった。
 
 
―END―
(2001.6.4)