byりか
49話の納得のいかない部分について―
がつんと背中を中心に全身に衝撃を受ける。気力が急速に失われ、そうして変身も解けてしまったらしい。その事を正確に確認する前に、意識も失われてしまった。
全く適わなかった。完全な敗北であったと…そう認識する事もできなかった。
「う…」
程なく意識が覚醒した時、一番最初に思い出したのは、自分が倒される直前に見た涼の姿だった。地面に倒れている涼の姿が鮮明に甦る。
「あ…、葦原さん…」
まだぐらつく頭と視界、それに全身の激しい痛みに動きが鈍くなる中、辺りを見まわした。先程のアンノウはもういなくなっていて、傍には破壊された車の残骸しか残っていなかった。
「葦原さん、葦原さんっ…!」
呼びかけるが返事は無かった。もしかして―動けないほどの大怪我なのだろうかと、一瞬で全身の血が引く思いがした。
地面を這う様にして記憶の中、涼が倒れていた辺りにむかう。みっともないという感覚は全く無かった。たとえ、芋虫の様に転がっていても兎に角、涼のもとに少しでも早くたどり着きたかった。
「葦原さん…!」
そうやって漸くたどり着いた涼は、半分ひしゃげている車の下のほうに転がっていた。火事場のばか力で、翔一は強引に涼の体を車の下から引っ張り出した。二人ともドロだらけのびしょ濡れだったので、今更という思いから、翔一は自分よりも酷くぼこぼこに去れている涼の体を抱き起こした。
「葦原さん!…しっかりしてください、葦原さん!」
あまり大きく揺さぶる事が出来ないので、耳元で叫ぶ。少しだけ肩を揺らして、漸く涼の閉じられていた瞼が開いた。
「…津上…」
「葦原さん! …良かった、生きてた…良かった…」
目を開く涼に、心底安心して翔一は思わず涙を目許に滲ませてしまった。子供の様に涙を浮かべる翔一の顔を見て、涼の意識も急速に覚醒する。そうして、自分があのアンノウに簡単に倒されてしまったのだと言う事を思い出した。
「あいつは…、お前が…?」
「いいえ。俺、全く歯が立たなかったです…簡単に伸されちゃって…ほら、見てください、みっともないでしょう?」
わざとおどけて笑顔を見せながら翔一は擦り切れた手のひらや頬の傷を見せた。しかし、涼にも同じ様な傷があって、結局はお互いに顔を見合わせた苦笑いを浮かべる格好になってしまった。
「……強いやつだった…その気になれば、簡単にトドメを刺せたのに―何故、あいつらは…しなかったんだろうな」
「…その価値も無いと、判断されたんですかね?」
ヨロメキながら何とかして二人で支えあって立ちあがり、辺りを見まわしてもう一度先程の戦いの事を思い出す。赤ん坊の手をひねる様に簡単にあしらわれてしまった。しかし、それは同時に新たな疑問も生み出した。
「…あるいは…もう俺達には構う必要が…ない」
「え?」
何か胸の奥で嫌な予感がしている涼の寄せられた眉に、翔一も漠然とした不安を感じ取る。しかし、今は取り敢えずはお互いが無事であった事に安心するばかりだった。
「兎に角、この濡れた服とかどうにかしないと拙いですよね。―あ、でも…俺…約束が…」
このときになって漸く、翔一は約束を思い出す。レストランで頑張るシェフ志望の女の子のこと。今夜一緒に練習をしようと約束していたのだ。
「何か約束があるんだろう? 行ったほうがいい」
傍に転がっていたヘルメットを手に、涼も自分のしていた約束を思い出した。
「あ、でも…! あの…そのままじゃ…」
「別に構わない、走っているうちに乾くだろうしな」
「でも、怪我は…」
約束を思い出しても、翔一はこの場から離れがたいと思ってしまっている自分に戸惑っていた。本当なら何を置いても約束を守らないといけない、相手は特に女の子だし、もしかしたらずっと自分を待っているかもしれない。
そこまで想像できて、わかっているが、足は…動きたがらなかった。しかし、それとは別に涼の方はさっさと自分のバイクに向かっていく。
「あ、葦原さんも…何か、約束が…あったんですか?」
無い―と言って欲しいと無意識に考えて訊いてしまった問いかけに、涼はスグに頷いた。
「人を、待たせているんだ」
思わず、息を飲み 翔一は一瞬で泣き出してしまいそうになった。
「…彼女…ですか?」
確実に自分の心を傷付けるだろう言葉を、自虐的な気持でまた投げかけた。もしも『そうだ』と 答えられたら、どんな顔をして良いのか、激しく混乱しているまま。
「ちがう、ただのガキだ」
「ガキ…? え、真島君? 戻ってきたんですか?」
「あれよりも、ガキだな。とんだじゃじゃ馬なんだ」
じゃじゃ馬―という言葉に、また胸の奥がチクンと痛んだ。それはつまり、女の子なのだ。彼女じゃなくても、こんな夜になってから会う女の子というのに、翔一は胸の奥がカーッと熱くなるのを感じた。
「お前も早く行ったほうがいい、待っているかもしれないだろう?」
ヘルメットをしっかりと被りなおして、涼はバイクのエンジンをかける。すぐにでも走り出しそうなその前に、翔一は無意識に飛び出した。
「―――津上?」
怪訝そうに首を傾げる涼の頭から強引にヘルメットを奪い取ると真っ直ぐに睨みつける様に見詰める。
「どうした?」
「明日は…会えますか?」
咄嗟に何を言って良いのか解らず、口を突いて出たのは明日の『約束』だった。
「会えますか?」
スグには返事をくれない涼に、たたみかけるように同じ事を尋ねる。少し困った顔をしながらも、涼はアア、と答えてくれた。
「明日もバイトだ、それが終わってからなら大丈夫だが…お前も、仕事あるんだろう?」
「あります、ありますけど…でも、会いたい…んです。あ、あの! 俺の料理、また食べてくれますか? 今度店で俺の作ったものを出しても良いって、オーナーシェフがいってくれたんで、その味見をしてもらいたくて…」
オーナーの言葉は本当だが、味見は即興の嘘だった。しかし、正当な理由にはなると思えた。少なくとも、ただ会いたいというだけよりはずっとリアリティがある。
「俺で良いのか? あの家の奴らとか、あの刑事とか…」
「葦原さんに、第一号になってもらいたいんです! ―駄目ですか?」
必死だった。断られたくないという必死の思いが見詰める瞳にも宿ったのか、涼も真っ直ぐに翔一を見詰め返してから頷いた。
「アア、良いぞ。俺みたいなのでも良いなら、な。それに最近はまともなメシを食ってなかったからな、楽しみにしている」
「はい!」
漸く、欲しかった返事をもらえて、翔一は全開の笑顔で頷いた。
「じゃあ、明日! 楽しみにしててください!」
翔一のほうが嬉しそうに約束を確認しなおして自分のバイクに戻って行く。先程までの痛みは、今の約束ですっかり消えてしまったのか足取りも軽い。翔一もバイクに乗り込んだのを見届けてから、涼も漸くその場を走り去った。
リサとのツーリングの途中から意識が無くなったのは、闘いのダメージが出たからだった。不覚にもそのままリサに部屋まで運ばれて、そうして翌朝、目が覚めると彼女は当然の様に部屋の中にいた。
見ると台所で何かを作ったようで、香ばしい匂いも残っていた。
「―暇だったから、作ってみた」
と、その言葉のままの代物で、女の子がどうしてこんなにオモシロ不味い物が作れるのか不思議なほどだった。しかし、残す事も出来ないので一気に食べきる。
『あいつが来た時に、食い物が残っていたら不味いしな…』
味はこの際関係無かった。兎に角、目の前のものを消す事だけを考える。早々に食べて、そうしてリサには早く部屋を出て行ってもらわないと―妙な誤解を翔一がするかもしれないと、その事ばかりを考えていた。
『何やってんだ、俺は…』
あっという間にリサの分までの不味いヤキソバを食べきってから、ふと涼は思う。
何故、部屋に女の子がいた痕跡を隠さないといけないのか。目の前の女よりも、どうしても夕べの切羽詰ったような翔一の瞳を思い出した方が心がざわつくのか、を。
何か、表す言葉が霞のように形になりかかっているが…はっきりはしない。言葉は、まだ…涼の胸の中に静かに眠っている。
しかし、目覚める瞬間はすぐ近くに迫っている予感がしていた。
―END―
2002.1.17