意味深な偶然
〜はじまりの予感2
Byりか
―17話より
「あ〜! 俺を殴った人」
翔一は自分の背後に亜紀を隠す様にして叫んだ。威嚇の意味というよりも、彼が顔見知りであるとは知られたくないような、不自然過ぎる大声とリアクションに 涼は一瞬黙ってから、直ぐに気を取り直して厳しい顔で翔一にせまった。
「お前こそ…どうして…」
「俺は、亜紀さんの恋人なんだそうです!」
変に説得力の無い言い分で胸を張る翔一の背後には、亜紀が脅えた瞳で涼を見詰めてくる。確かに、その仕種は親しい男女のものだが…しかし。涼には、説得力の無さをそまま裏付ける様にどこか演技のような、うそ臭さを感じ取った。本能的な直感だが、何か虚構が見える。
「だから、亜紀さんに乱暴な事をするって言うなら今度は俺だって黙っていませんからね」 一応恰好だけはファイティングポーズを取っているが、どうにもへなちょこに見えてしまい逆に、涼は闘争心をそがれてしまった。
結局はそれ以上なにも言わずに、涼は憮然とした表情で二人の前を立ち去ってしまう。 途端、ホッと息をつく亜紀に 翔一は振りかえる。
「知っている人なんですか?」
「い、いいえ…」
俯き、表情を強張らせる亜紀に翔一はそれ以上は追及しないで、何事も無かった様に歩き出し、その二人の背中を、涼が物陰に隠れながらじっと見詰めつづけたのだった。
亜紀の住んでいるアパートまでの道の途中、大型のスーパーがある。普段の翔一は商店街で買い物をするが亜紀は自分の物を買うために店の中に入っていった。翔一は珍しそうに辺りを見まわしていて、やがて亜紀の視界から一瞬、消える。
『翔一…?』
首を傾げるが、しかし直ぐに意地悪く笑ってから買い物を続けた。店を出る頃には彼がまた戻って来るだろうというのは予測済みだった。それは、彼女の女性としての自信だった。
亜紀の背中を確認しながら、辺りを見まわっていた翔一は突然背後から伸びた手によって強引にスーパー内にある男子トイレの中に引っ張り込まれてしまった。
夕方のスーパーの中に、男性の客は少ない。なので、トイレの中にも誰もいなかった。翔一は壁に押し付けられる格好で動きを封じられたまま、耳元に聞き覚えのある声を聞いた。
「お前は…何が目的だ」
「ア…、葦原さん?」
不自由な体制から、背後を降りかえると間違い無く、険しい表情の涼が立っていた。そう言えば、まだ後を付けている気配はしていたが…まさか、亜紀ではなく自分のほうにやってくるとは思わなかった翔一は無防備だった。
「―答えろ、お前は何の目的であの女に近づいている」
「答えろって言われても…さっき、言ったじゃないですか。亜紀さんと俺、恋人どうし…って…、痛いです、腕、腕折れちゃいます」
グイと腕を逆に折り曲げられてしまいながら、涼が伸し掛かってくるので、激痛が翔一を襲う。かなり強引な口の割らせ方をする人だ…と思いながら、翔一はゆっくりと息を整えて、もう一度詳しい自分と亜紀の関係を説明した。そのほとんどは、亜紀の言葉そのままなので、翔一自身にも実感は沸いていないのだが…しかし、彼にはそう説明するしかなかった。彼にとっては、今は亜紀の言葉が過去へ繋がる僅かの望みなので疑うと言う事はなかった。涼は、すべてが亜紀の説明だと聞いて、僅かに眉を寄せながらも一応は納得してくれた様だった。
「…記憶喪失というのは…本当だったんだな」
「こんな事で、嘘を言ってどうするって言うんですか…? 全く…納得したら、腕を緩めて下さい、本当に…痛いんですから」
いい加減痺れてくる痛みにうめきながら、翔一は訴える。流石に今度は涼も聞き入れてくれて漸く戒めは解かれた。一気に血が指先に戻って入って、ほぅっと溜息をつく翔一。
「それで…芦原さんは? どうして亜紀さんに? う〜ん…やっぱり、亜紀さん狙いなんですか?」
一寸だけ 痛みのせいで涙の見える目尻で恨めしそうに呟きながら、翔一は背後の涼に振り向いた。
「お前には関係ないだろう」
「あ? そう言う事を言うんですか? 一晩、俺を帰さなかったくせに」
「―――!」
恨みの篭もった翔一の爆弾発言に、強面の表情が一瞬にして崩れ去った。それでもなんとか取り繕い、無言で、横を向く。答えるつもりはないようだった。翔一はそれでも引かずに、しっかりと涼のジャケットの腕を掴みながら体制を変える。正面から涼を見据える恰好で、間近にお互いの顔がせまってくる。息がかかりそうなくらいの接近に、少しだけ翔一は声を震わせながら話しかけてきた。
「…俺の事…一回であきちゃったんですか?」
少しだけ、本気とそうしてできるだけ明るくしようとしている口調だった。
「ど、どうしてそう言う話になるんだ!」
「だって、葦原さんとは最初からそうだったじゃないですか? 俺が部屋に遊びに行ったらそのまま押し倒して、朝まで離してくれなくて…」
べらべらと話し始める口を、涼の掌が押さえる。うう〜っと、唸りながら翔一は一旦は言葉を止めた。そうして大きな瞳で涼を見詰めてくる。
「…一々、余計な事を言うな…。大体…お前は翌日俺に黙って帰ったじゃ無いか。―普通は…そこで怒ったのかと思うだろう…!」
涼の言葉に、しかし翔一はふるふると頭を振る。怒っていないのだという意思表示をしたいらしい。
「…怒っていないというのか?」
おずおずしながら涼は手を離した。翔一はふぅっと息を整えてから、また悪戯っぽい笑みを浮かべて涼を見詰め返した。
「怒ってないですよ、結果的に俺は許したじゃないですか? 覚えてないんですか?」
「……」
確かに抱きしめた腕は優しく抱きしめ返された。暴れないし…何度も何度も自分を受け入れてくれたのは間違いが無かった。あれは…確かに怒っている様子ではなかったし、流されただけというのとも少し違う様だった。
ふっと、翔一の表情が緩んではにかんだ笑顔を浮かべながら涼の瞳を見詰める。
「なにも言わないで戻ったのは申し訳ないって思ったんですけど、学校に行っている子が二人一緒にいるから、朝ご飯の用意をしてあげないといけないじゃないですか」
説明をしている間も、翔一は真っ直ぐに涼と向かい合っている。言葉は軽い雰囲気だが、しかし…その一つ一つには嘘は感じられなかった。
「まぁ、夕方まで家の事とかして抜け出せなかったし、そのあとも色々ごたごたしてて…二〜三日は行けなかったけど…、でも その後は部屋に居なかったみたいだし。伝言も何も無かったし…だから、もうどうでも良いのかなぁって不安になったんですからね?」
最後は少しだけ涼を責めるがどこか少しだけ甘えも含んでいた。
「……済まない…」
「元々芦原さんは、なにも説明してくれないし…俺、本当に不安だったんですよ? 一夜限りの遊びだって…そう思ったんですからね」
「それは…」
涼は翌朝、自分だけだったベッドの冷えた感触を思い出す。なにも言わずに消えた彼だったから、てっきり怒って帰ってしまったのだと思い、そうしてまた自分の手の中から暖かなものが抜け落ちたのだ…と辛い気持になった。
「もしかして、真面目にそうだったんですか? 遊びで…俺と…? それで、今度は亜紀さんなんですか?」
ますます不安そうな、けれどどこか試している雰囲気もある翔一の言葉に涼は素直に頭を振って答えた。
「―あの女は…そう言う対象じゃない。俺はただ…聞きたかっただけだ」
「…お父さんの事…ですか?」
湖の淵で、一緒に濡れた体と服を乾かしている時になんとなく耳にした涼の事情を思い出す。確か、彼の亡くなった父親の事を何かしらないか…というそんな内容だったはずだ。
「…聞いて、何か解ったらそれで良いんだ。あの女に…どうこうって言うわけじゃない」
実際、涼にはその気は全くなかった。思わせぶりな物言いや、条件を切り出してくる方法は…正直余り好きではない。実は、翔一が彼女の恋人だと聞いたときには、かなり衝撃を受けたのだ。翔一のキャラクターと彼女は、余りにもアンバランスに感じられた。
「…良かった」
小さな声で呟き、本心からホッとしている表情の翔一。キュウと、指先が涼の袖に食い込んできて、腕を強く掴む。
「…お前…」
掴まれた腕の痛みに、僅かに眉を寄せる涼。
「―名前、覚えて下さいね…。お前、じゃなくてちゃんと…俺の名前呼んで下さい」
「名前?」
「…津上…翔一です。前に名乗りませんでした? でもこの名前も、もしかすると偽者かもしれないけど、何となく葦原さんに呼んでもらえれば…本物になりそうです」
微笑みながら、翔一は顔を上げてまた正面から涼を見詰めた。人懐っこい、優しい笑顔に、涼は途惑う表情しか浮かべられない。
「…俺は…」
「俺達…もっとちゃんと知り合いになりましょうね。順番は逆になっちゃったけど、でも俺…きっと芦原さんの事好きになると思いますから」
途惑ったままの涼に笑いかけ続けていた翔一は、ふと思い付いたようにして両腕を涼の首に回してきた。あっ、と思う間に涼の唇に翔一のそれが重なった。触れ合うだけのやさしいキスは、ほんの一瞬ですぐに離れてしまう。
「…約束、ですからね。ちゃんと、今度は名前で呼んで下さいね」
「……」
驚いて、息を飲む涼に少しだけ悪戯っ子のように微笑んでから翔一はそっと離れた。タイミング良く、トイレの入り口で亜紀が翔一を呼ぶ声が聞こえてきた。
「翔一? いるの?」
「あ、はい! 一寸待って、今…」
亜紀の呼ぶ声に答えてから、翔一はもう一度涼に振り返ってそうして出て行こうとした。刹那、涼の手がしっかりと翔一の手首を掴んで、もう一度強く抱き寄せる。
「あ、葦原さん、あの…、んっ…」
今度は涼の方から強引にキスを仕掛けてきた。しかも翔一とは比べられないほど強引で深いキス。唇をこじ開けて、舌が口内をたっぷりと弄ってから唇が離れた。
「…ッ、はぁ…あ…」
がくんと、膝から力が抜けそうになりつつもなんとか立ちつづける翔一。
「葦原さん…」
「俺との約束だ…。たぶらかされるなよ」
ぶっきらぼうな口調で、それでも自分の事を心配してくれているのだとわかり翔一は花の咲いたように口元をほころばせた。
そうして言葉では答えないまま頷くと、静かにトイレを出ていった。涼は、亜紀に気付かれない様にその場に残りながら、店からでてゆく二人を見送った。
『このまま、泊まっていっても良いのよ?』
誘う亜紀の言葉を何とか理由をつけて断って駆け出す。涼の言葉が耳の底に残っていた。
亜紀と恋人同士だったという記憶よりも、いまは涼との約束の方が大事だと思える翔一だった…。
―END―
(2001.5.29)