Byりか
「ちょっと、君! 津上君でしょう? 私よ、小沢澄子!」
そういって大学構内で、いきなりナンパされてしまった翔一は、気がつくと焼肉屋の店内で、おいしそうな肉を前にしていた。
「あの。俺…あんまり持ち合わせは…」
「いいのよ、付き合ってもらった結果だもの。私が払うわ、少なくとも君や氷川君よりは高給取りよ」
「あ、俺…今、無職なんです」
「じゃあなおさらね、大人しく奢られなさいな」
そういって、豪快に飲む。飲む。自分よりもはるかに小柄で華奢な女性なのだが、アルコールの入る胃袋は別にできているのかもしれないと思うような豪快さだった。
そうして、その豪快さに促されるようにして 翔一はポツリポツリと自分の元気のない理由を、話し始めた。自分の、過去を知っているかもしれないだろう女性の登場と再会、そうして―永遠の別れ。あまりも状況が急展開すぎて、気持ちの整理がつかないことが、小沢に話すことですっきりと見えてきたような気がした。
「そうか、わかるわ。親しい女性が亡くなったのなら、元気がなくなるのも当然ね」
「はぁ…、でも…その…」
いい難そうにうつむいたまま、翔一は更に言葉を続けた。ジョッキを片手に、小沢は一応話を聞いてくれているようだった。
「―俺、そんなに悲しくないんです。それどころか…実は…もっと気がかりなことがあって」
「気がかり? 何? はっきり言いなさい、男でしょう?」
「実は俺…彼女が亡くなるまで、彼女が契約していた部屋に住んでいたんですけど…、そこになんだか、ちょっと訳ありっぽい人が尋ねてきて…」
「男? 何、その女は君のほかにも男がいたの?」
小沢的には一番好ましくない女性のようだった。目の前の、大きいガタイをしているくせに、妙に人懐っこい笑顔を見せる青年に、そんな女は似合わないと、小沢コンピュータはコンマゼロ秒で判断を下した。
「いや、どうせ俺…記憶喪失で彼女のことを覚えていないから、そんなには気にならないんですけど…。その、男の人が―心配で」
「心配? なぜ、君がそんな男の事まで心配しないといけないの?」
「俺と違って、ものすごく彼女のことを大事にしている人みたいだったから…」
ジュージューとにいう、肉の焼ける音にも消えてしまいそうな翔一の声だった。
「―ナマお代わり!」
だん!と、このとき3杯目のジョッキをテーブルにたたき置いてから、小沢はきりりとした顔で翔一を見た。
「その女性が亡くなったのは、君のせい?」
「え? いや…そんなことはないです…」
「じゃあ、余計なことを考えるのはよしなさい。その女性の死に、君が少しでもかかわっていて、責任を取らなくてはいけないというのなら いろいろ考えてもいいと思うわ。でも違うのなら、それはその男と女の問題よ、第三者が関与するべきことではないわ」
「あ……」
小沢の言葉を聞いて、翔一はびっくりした顔を上げた。四杯目のジョッキが、もう半分以上彼女の胃袋の中に消えている最中だった。
「それでも気になるなら、―ナマ、お代わり!、君ができることを考えればいいことよ」
すでに店員との戦いのようになっていたビールのお代わりが速攻で届いて、小沢はまた軽々とそれを口に運ぶ。一気に半分まで飲んでから、また翔一を見た。
「で? どうする?」
いたずらを仕掛ける子供のような表情で瞳をきらきらさせながら、小沢がまた尋ねた。翔一は、一瞬動きを止めて、そうして焼きあがってくる肉へ視線を落とす。しばらく考えた後でその肉を口に運び…。今度は無言で食べ始めた。小沢は何も言わない。
パクパク、ごくごくという音が二人から聞こえてきそうな勢いの時間がしばらく続いた後、翔一は唐突に顔を上げて、そうして小沢にはっきりと言い切った。
「俺…が、力になります」
「え? なに?」
酔っているからではなく、あまりに唐突な語りはじめに、小沢は戸惑った。その戸惑いを受けるようにして、翔一は更に言葉を続けた。
「俺が、その人の力になってあげようと思います。亜紀さんのようにはいかないかもしれないけど、でも少しでも癒せるようになろうと思います」
口の周りについた泡を豪快にぬぐってから、小沢はにっこりと笑った。
「…そう、―がんばりなさい」
「え?」
何となく、彼女には似合わないような激励の言葉に、一瞬翔一は目を見開くが。しかしすぐにいつもの笑顔を浮かべて大きく頷いた。
「はい! がんばります!」
翔一の笑顔に、小沢もまた満足そうにうなずいて、そうして空になったジョッキを翳す。
「ナマ、お代わり」
亜紀のアパートはもう引き払われてしまっていたので、彼女の死体が発見された場所まで行ってみる。花を購入して向かった先には、案の定、涼がいた。ちょうどそこに亜紀が横たわっていた場所にたたずんで、地面を見ている。ひどく儚い感じのする背中を見て、翔一は一瞬声を掛けるのを躊躇ったが、焼肉屋での決意を思い出して一歩前に進み出る。
「葦原さん」
呼ばれて振り返った涼は、そこに翔一が立っているのが不思議そうな顔をした。
「お前…」
「あの―、これ。亜紀さんに」
抱えていた小さな花束を涼に差し出す。
「……俺が礼を言うのも…変な感じだな」
「そうですか? そうかもしれないですね、でも…もう亜紀さんはいないので、御礼は気にしませんから」
「…お前は…いいのか? ずいぶんとさっぱりした顔をしているぞ」
確か、亜紀のアパートにいたはずなので、それなりの関係があったと思っているのだが。本人も、記憶をなくす前は恋人同士だったと言われたといっていたのだが…、恋人を亡くしたと言う悲壮感は感じられなかった。
それが少しだけ 意外な気がしてしまった。
「俺は…元々、あまり実感が無かったので良いんです。申し訳無いんですけどね、どちらかと言うと…葦原さんの方が心配です」
「ああ、そうかもな……。亜紀は…俺にとって…」
「凄く大事な人だったんですよね? それは…わかります。こないだの朝の、あの真剣な様子で…わかりましたから。だから、アア、俺は…もうきっと亜紀さんには必要の無い人間なんだろうなぁって、そうも思ったんです」
余りにもあっさりと自分の事をそう評価する翔一に、涼の方が驚かされてしまった。
「…だけど、俺達 良い友人になれると思いませんか?」
「友人? お前と?」
「はい、そうです。 俺じゃ…亜紀さんの半分も、葦原さんの事を癒せないかもしれないけど、でも…。一人でいるよりはずっと良いと思うんです。俺は、葦原さんを一人にしておけないんです」
怪訝そうな涼に、翔一はそれでもにっこりと笑って手を差し出した。
「俺にできる事、言ってくださいね。俺は…ずっと葦原さんの側にいますから」
「………」
おずおずと、涼は本人が意識ないまま手を差し出して、翔一と握手を交わした。暖かな掌の感触は、本当に久しぶりでそれだけで胸の中が一杯になってしまいそうだった。
「…泣いても、良いですよ?」
細かく肩を震わせている涼を見て、翔一は静かに促した。
ハッと息を飲む涼に、もう一度笑いかけて、そうして本当にさりげなく涼の体を抱き寄せた。
「お、おい?」
「見ませんから。このまま…泣いちゃってください、その方がすっきりしますから」
ぽんぽんと涼の背中を軽く叩いたが、翔一は涼を離すつもりはないようだった。もがけば、きっと抜け出せただろうが―しかし、思った以上に暖かな感触が逆に心地よくて不覚にも胸の奥に溜まっていたものがゆっくりと押し出されて行く。
自分の頬に涙が伝い落ちているのに気が付いた。
「暫く…いいか?」
できるだけ平静を装っているが、しかし声に涙が混じっているのは隠し様が無かった。けれど、翔一は気がつかない振りをしていた。
「はい! あ…でも、ごめんなさい、俺…ムネが無くて、抱きごこち悪いですよね」
「ふっ……そうだな…、まぁ…その点は我慢してやるよ」
今度は涼の方から翔一の体を抱きしめ、しばし声を押し殺して泣く。
翔一は、涼を抱きしめる腕に力をこめて、彼が静かに泣き終わるのを待った。
それはとても静かで、厳かな時間であった。
―END―
2001.7.4