足 枷

 
 なにから、どうやって説明すればいいのだろう?
 どんなに忙しくても疲労がたまっていそうな状況下にあっても変わらない清冽な美貌を目のまえにして、桜子は言葉を探していた。
 そこは、以前にも一度、解読結果の不安から呼び出したことのある喫茶店だった。
 もちろん、呼び出した相手も同じ、一条薫警部補だ。
 ただし、用件は前回とは微妙に異なっている。五代雄介に関して、ということは同じなのだが、内容は以前のような漠然としたものではなく、ずっと深刻である。
「また何か、よくない解読結果が出ましたか?」
 美味しくもなさそうにコーヒーを飲んだり、手のなかにあるハンカチをぐしゃぐしゃにしたりしながら、なかなか話を始められないようすの桜子に、助け舟を出すつもりか、一条が穏やかに尋ねた。
「そうじゃないんです」
 桜子は、それを思い詰めたようすで否定する。そして、黙っていては埒があかないのだと悟ったのか、ようやく居住まいを正して口を開く。
「このまえ五代君が助けた高校生がいましたよね?」
「ええ」
 一条は、予想外の話を持ち出されて、軽く眉をあげつつ頷いた。
「あの子が『ポレポレ』に訪ねて来たんです。五代君に、会うために」
 病室で対面したとき、雄介の立場を説明することはなかった。クラスメイトが軒並み殺されていったなかで、たった一人生き残れたあの高校生は、雄介の存在をなんと思ったのだろう? 恐らくは、警察関係者だろうと見ていたのではないか。
 間一髪、襲われかけたあの時に、彼の病室で変身した雄介だったが、それは睡眠薬で熟睡していたはずのあの高校生の知らぬことだ。
「どうして、五代のところに?」
「五代君、あの子のこと『殺させない』って、言ったそうですね。みんなが、そう思ってるからって。でも、あの子はそれを五代君の決意だと受け取った。五代君が約束してくれたと思ったそうなんです。それで、自分は本当に助かったんだと」
 一条は、あのときの雄介の真摯な眼差しを思い出す。彼が、そう思っても不思議はない場面だった。
「五代にお礼を言いにいったんですか?」
 事実、彼が助かったのは雄介の活躍のおかげである。一言、お礼を言いたいという気持ちなら理解出来ないことはない。
 だが、桜子は首を振った。
「あの子、五代君に聴きにきたんです。どうしたら強くなれるのかって」
 一条は眉を寄せる。
「化け物相手に、自分は怯えて震えるばかりの子供だった。父が猟銃まで持ち出して、必死に守ってくれたのに、自分は怖がるばかりだった。体力だって運動神経だって、もうすっかり父を凌駕しているのに、精神力で遠く及ばなかった。五代君の言葉を聴いて、それから自分が助かってみて、とても反省したって言うんです。このままじゃいけないと思った。強くなりたい。力が欲しい。もしまた、化け物に出くわすようなことがあっても、こんどはリベンジしたいって」
「それで、五代は?」
 桜子は、暗い表情で俯いた。
 あの日の戦いぶりがどんなものだったのか、桜子は見ていなかった。けれど、高校生と雄介のやりとりから、なにか察するものがあったのだろう。
「五代君、ようすがおかしかったんです。すごく、辛そうに笑ってて。『ごめんなさい。俺にもよく解らないから』って」
「どうしたら、強くなれるのかが解らない、と?」
 一条の問いに、桜子はまた考え込む。その場にいなかった人間に、どうにもいたたまれない重苦しい空気を言葉で説明するのは、とても難しい。
「ただ力を強くしたいなら、身体を鍛えればいいですよね。でも、精神力の問題なら、ひとからなにか教えてもらって強くなれるものじゃないでしょう?」
「そうですね」
「最初は、五代君、そういう意味で解らないって答えたのかと思ったんです。その子は、しばらく納得いかないようなようすだったんですけど、五代君がただ謝ってばかりいたから、諦めて帰っていきました。そしたら、その後姿に、五代君がすごく小さな声で呟いてたの、聴こえちゃったんです『強くなることが、いいことかな』って」
 一条は、その言葉を沈痛な面持ちで聞いた。
―――強くなることが、いいことかな。
 その言葉に、戦い終わって水辺に佇む雄介の淋しげな後姿がだぶって見える。
「ここが、すごく痛そうな顔をしてました」
 そう言って、桜子は心臓のあたりを押さえた。
「だけど、私にはなにも言ってあげられなかったんです。ただ、聴こえないふりをするのが精一杯で」
 桜子の不安を拭おうという意識からか、一条はかすかな笑みを浮かべて頷いた。
「わたしが、話をしてみましょう」
 当然、その答えをもらうために、桜子は足を運んだのだった。
「ありがとうございます。多分、一条さんじゃなきゃ駄目なんです。五代君、すごく傷ついて落ち込んでるみたいなんですけど、ほかの誰かじゃ慰められませんから」
「わたしだって、慰められるような状況ではないのかも知れませんよ」
 謙遜ではなく、心からそれを危惧するように一条が答えた。けれど、桜子はその言葉を、思い切り首を振って否定する。
「いいえ。一条さんなら、きっと大丈夫です。よろしくお願いします」
 桜子は、来たときとは正反対の明るい笑顔でそう言って、颯爽と席を立った。
 
 
 生真面目な一条は、桜子との約束を果たすべく、早速雄介に連絡をとった。こちらもまた、以前待ち合わせをしたことのある噴水公演へ、呼び出した。
 憂鬱そうな表情で現れるかと、覚悟を決めて待った一条だったが、雄介は見かけ上はいつもと変わらない飄々としたようすでやってきた。
 そうなってみると、言い出しにくい。さきほどの桜子のように言葉を探して、一条も黙り込んでしまう。
「どうしたんです? また、奴らのことでなにか相談があったんでしょう?」
 雄介は、一条の心の葛藤など知らずに、いつもと変わらない態度で訊いてくる。
 ますます言いにくい状況になってしまった。
 一条は、雄介を直視できずに、思わず噴水に目をやりながら言う。
「俺が、手枷にでも足枷にでもなるから」
「え?」
 雄介が来るまで、なにを話そうか、どうやって元気づけようかと、あれこれ考えてはいたのだ、これでも。
 しかし、あまりにもいつも通りで、この青空の似合うやさしい表情に出会ってしまったために、全部忘れてしまった。
 結果、考えていたことの間を全部すっとばして、結論を口にしていた。
「だからおまえは、安心して強くなっていいから」
 不器用な一条は、しばしば言葉が足りないことがある。だから、雄介も慣れていて、今回もそれだけで、なにを言いたかったのか、あらかたのところを察してしまった。
 察したうえで、一条の顔を真っ直ぐに見たまま硬直する。
「一条さん」
「見当外れなことを言ってるのかも知れない。だが、これだけは言っておく。あのときのおまえの気持ちは、やさしい人間の当然の感情だから。気に病むことなんか、なにもない」
 照れたのか、視線を外したままで一息に言い切った一条に、雄介は極上の笑みを見せる。
「でも、一条さん。困りますよ、それ」
「なにが、困るんだ?」
 そのとぼけた声に反応して、一条はようやく雄介を見た。
「だって、手枷は手で、足枷って足についてるもんでしょう?」
「それは、そうだが?」
 なにを当然なことを聴くのか、いぶかしむ一条を雄介がいきなり抱きしめた。
「一条さんの居場所は手や足じゃなくて、ここ。俺の腕のなかにいてもらわないと、困ります」
 衆人環視の公園内で、懲りない男である。
 が、一条のほうには、しっかり警察官としての自覚も一般人としての羞恥心もある。
 そんな気持ちが咄嗟に雄介の腹目掛けてのパンチに変換される。
「ぐぇっ」
「真剣に心配した俺がバカだった」
 一声そう残して一条が立ち去ろうとする。
 雄介は、その場に立ち尽くしたままで、両手を拡声器代わりに口にあてる。
「ありがとう、一条さん。俺、だから一条さんが大好きでーす!!」
 恥ずかしさに足を早めた一条は、泣きながら笑うという器用な表情を周囲から隠すのに苦労していた。
 そんな背中に手を振る雄介の表情は、とても切ない笑顔だった。
 
 

fin.2000.10.11