新宿の高層ビルの屋上。少々風が強いが、眺めはいい。
そこで、次々に打ち上げられる光の花を二人並んで見ることになったのは、夏の盛りもそろそろ峠を越そうというとある夜のことだった。
「これで、レジャーシートとビールがあったら、完璧なデート気分を味わえるんですけどねー」
雄介は楽しそうに言ったが、一条は眉を寄せた。
ここに来たのは、当然デートのためなんかじゃない。
「まさか、知っていてこの場所を言い出したんじゃないだろうな?」
付近一帯を縦横無尽に移動する怪人を見張るのに、この場所が一番だと言い出したのは雄介だった。一条に、東京の花火大会の日程など解るはずがないので、単純にその言葉に従ってここで張り込むことに同意したのだ。
しかし、来てみれば丁度花火大会の真っ最中。次々に打ち上げられる花火が、そこからはかなり大きく見ることが出来た。
「奴らにだって、美意識はあるんじゃないかな?」
「美意識?」
「そうですよ。こんなに綺麗な花火があがってる間は、どっかで見蕩れてても不思議じゃない気がしませんか?」
一条は、奴らのあじとで見つけた悪趣味な遺留品を思い出す。
「もし美意識があったとしても、俺たちとはかなりかけ離れたものなんじゃないか?」
「そうですね。綺麗だとは思ってないかも知れませんけど。でも、花火見たことなかったら、やっぱり驚いて口あけて空を見上げてますよ」
開ける口の形状がどんなだったか・・・。と思いながらも一条は、つい、くすっと笑いをもらした。
「良かった」
雄介は、そんな一条のようすを見て、笑顔全開になる。
「俺ね、どうしても花火、一緒に見たかったんですよ」
「やはり、知っていたから、ここに?」
近くで花火大会があることを、そしてここがその特等席だということを、雄介は知っていたのだろう。
「すみません。でも、一条さんここのところちょっと視野狭窄を起こしてるような気がしたから」
責任感が強くて、なにに対してもとことん真面目過ぎるひとだから、終わりの見えない戦いに、焦りを感じているのだろう。
実年齢よりもずっと年上に見えていたおとなの余裕に、影がさしてきているようで、気になっていたのだ、と雄介は静かに語る。
「生意気言ってすみません」
最後にそんな言葉で締めくくられて、一条は複雑な表情で空を見上げる。
大きな破裂音。それと同時に花開く美しい光の饗宴。
赤、青、黄色、緑、オレンジ、白、紫・・・。次々に、鮮やかに色を変えて、大輪の花が空を彩る。
「綺麗なものだな」
目を細めて呟いた。
「花火って、どこから見ても同じに見えるように球形なんですよね」
「ああ、なにかで聴いた覚えがあるな」
どの角度から見ても綺麗な円形に見えるためには、実際には球形である必要がある。
「まさに、裏表のない美しさってやつですよね」
「刹那の夢みたいなものだけどな」
派手に美しく花開いて、残像だけをのこして消えていく。
「そういう花火と、夢みたいに綺麗な一条さんと、同時に見ることが出来て、俺はきっと宇宙一幸せ者ですね!」
現状を無視して、雄介は言葉通りに幸せそうである。
「夢は―――いつか醒めるさ」
憂いをひめた一条の横顔を、打ち上げられた花火が赤く染めた。
「良かった。一条さん、自分が綺麗だってことはやっと自覚してくれたんですね!」
はずむような調子で言われ、一条は困惑顔で振り返る。
「そういう意味ではなくて」
「そういう意味でいいでしょう。ね。俺は、そのこともずっと心配だったんですよ。一条さん、あまりにも自分の美貌に無頓着すぎるって。狙ってる人間は、男も女もごまんといるのに、あまりにも無防備で無警戒で―――」
「論点をすりかえるな!」
一条がどれだけ綺麗で魅力的か、これから力説しようとしていた雄介を、一条の大きな声が遮った。
「おまえの見てる夢も、いつか醒めるって言ったんだよ。頭が冷えたら驚くんじゃないか、どうして俺なんかをそんなに綺麗だと思っていたのかって」
一条は、早口にそう言いきって、自嘲的な笑みを浮かべた。
おまえが思っているような、そんな綺麗なものじゃないさ、とどこか淋しげに呟く。
「あの花火は、確かに綺麗だって思うでしょう?」
雄介は、また大きな音とともに天井に咲いた花を指差して言う。
「一瞬で、燃え尽きて、消えてしまうけど。消えてしまったあとも、綺麗だったという事実は残るじゃないですか。綺麗だな、って思った気持ちまで一緒に消えるわけじゃない」
「それは、そうだが」
「俺の今現在の気持ちを、来るか来ないか解らない『いつか』なんて言葉で否定しないでください!!」
雄介は、切なげな瞳で一条を真っ直ぐに見た。
「夢のように綺麗だと思うけれど、俺にとって大切な現実だってことも解ってください」
「揚げ足を取るつもりで言ったんじゃない」
雄介の勢いに押されるように、一条は言い訳のように囁いた。
「解ってます。ただ、俺はそんな一条さんのそばにいられて、大好きで綺麗なひとを見ていられて幸せだし、きっとそれだけ心が豊かになってると思うけど、一条さんは俺を見てもそんな風には思えないだろうなって思ったから、だから花火、見せたいって思ったんですよ」
増え続ける被害者。倒しても倒しても、また現れる新たな敵。
果ての見えない苦しい日々に、ささくれだっていく心を、どうしたら癒せるのか、雄介は一生懸命考えていた。
「本当はもっと長期休暇でもとれるなら、静かなところに旅行でもして、リラックス出来れば一番いいんでしょうけど」
一条の性格では、逆効果かも知れない。こんな状況で東京を離れたら、残してきた仕事が心配で寛ぐどころか余計にやつれてしまいかねない。
「近場で手っ取り早いやつ。これでもない知恵絞りました」
雄介の言葉に、一条はまた空に目を向ける。
「余裕がなさそうだと心配させたなら、それは悪かったと思うが、おまえは勘違いしてる」
すだれ桜のような光の花を眺めながら、一条は言った。
「俺もおまえのそばで安らいでいる」
照れたのだろう一条は、花火に見入るフリをして屋上の端を移動し、雄介から距離をとる。
「一条さん!」
しかし、雄介はあっという間に走りより、一条を背中から抱き締めた。
「俺の気持ちは、一瞬で消えたりしません。でも、きっと花火と一緒で、どっから見ても変わらない。一条さんが、大好きです」
心が心臓にあるというなら、切り開いて見せたいくらい。
裏表も駆け引きもなく、ただ真っ直ぐに一条だけを想っている。
「おまえの言う通りだな。ここから見たこの花火を綺麗だって思ったってこと、きっとずっと忘れない」
「俺も、俺も忘れません!」
こうして少しずつ時を重ねていこう。本気の気持ちが、一条に届くまで、根気よく。抱き締めた腕を振り払われないことを嬉しく思いながら、雄介は空を見上げる。
花火はその残像が消えきらぬうちに、また次の花が開くように、絶妙のタイミングで打ち上げられている。
確かに美しい眺めではある。けれど、腕のなかにいるひとの、その気高い魂と、高貴な美貌には比べるべくもない。
勝ったな、と雄介は心で呟いて、宇宙一の幸せをかみしめた。
ヒートアイランド現象か、それとも世紀末の異常気象なのか。
ひどく暑い夏の終わりが、そっと近づいてきている晩夏の、戦士たちのささやかな休息の時間だった。
fin.2000.8.20