恋愛は俗に、より惚れたほうが負けやなんてことをよく聴くけれど、ほんまのところはどうなんやろうな。
僕の身近には、日頃はクールで凄腕で、取り澄ました雰囲気の刑事さんと、やたらと周囲にのほほんとした笑顔を振り撒いて明るく優しい風来坊の兄ちゃん、という珍しい組み合わせのカップルがおる。
刑事さんは、美形で恰好良くていつでも颯爽としていて、男性比率が極端に高いという警察内部にあっても、府警さんや女刑事さんや女子事務員さんがほってはおかへんやろうと思わせるような美丈夫で、名前を一条薫という。名前までこんなに恰好いいなんて、出来すぎな話やと思う。
風来坊の兄ちゃんのほうは、僕の叔父の昔からの被保護者で、なんと特技が2000個もあるという器用な男で、優しくひとを気遣うことが出来、人好きのする笑顔で誰とでもすぐに仲良くなれる男前や。なにせ、外見は僕とそっくりなんやから、その点は間違いない。名前を五代雄介という。
さて、そんな二人を見ていて、それではどちらが「負けて」いるのか? と、問うならば、恐らく10人中10人が五代さんのほうやと言うやろう。五代さんは考えてることが大きく言動に出るから解りやすいし、とにかくあの綺麗な刑事さんのこととなると目の色が変わる。僕が、ちょっと一条さんと仲良うしただけでも、はっきり解りやすい拗ねかたをしてみせたりする。
デートの約束をしようものなら、その約束を取り付けた瞬間から、実際に会うまでの間、ずっとずっとそわそわドキドキ、わくわくのし通しで、当日までの準備などでわたわたと落ち着かないようすは、年下の僕から見ても涙ぐましいほどや。
せやけど、事実は小説より奇なり。とは、よく言ったもんやと思う。現実は、見かけほど単純に出来てはいないもんやね。
その写真集を本屋で見つけたのは、偶然やった。なにげなく通りかかった芸能関係本のコーナーに、平積みになっていた。タイトルは『Real Still』ベンチに腰かけて黒ふちのめがねをかけてみかんを食べてる表紙の写真は、見逃してしまいそうなくらいやったけど、よく見ると五代さんそっくりやった。
ヌードがあるわけでもないやろうに、ビニール本になっていたので、中身は確認出来へんかったけど、その表紙だけで充分やった。
僕は嬉々としてそれを持ってレジに走り、大切に抱えて店に帰った。
ランチタイムを過ぎてひまな時間帯やったから、僕はそれを空いた席に腰かけてじっくり鑑賞することが出来た。
五代さんに似てるゆうことは、僕にも似てるってことなんやろうけど、どの写真も五代さんよりも少しおとなっぽい印象やったせいか、あんまり似てるとは思えない。
アイドルの写真集なんか買ったことないからようは知らんけど、たぶんこの写真集はそういう類のもんとは、はっきりと一線を隔したもんなんやろうな、と思う。被写体を恰好良く見せようとか、綺麗に撮ろうとかいう意識が希薄で、とにかく自然な感じとか、アートな感覚とか、そうしたものを重要視して選ばれた写真たち。どれもこれも印象的で、被写体が足しか写ってなくても、ついついぼんやりとしばらく見蕩れてしまうような、そんな作品たちなのだ。
僕は無意識のうちにその写真集に引き込まれ、夢中になっていて、店にお客さんが入ってきたのも気がつかなかった。
五代さんは例によって留守をしている。関東医大とかに用があるんやそうで、朝から出てったきりやった。
「随分、熱心に見ているね」
唐突に頭のうえから、綺麗な声が降ってきて、僕は驚いて顔をあげた。
「い・・・いらっしゃいませ」
慌てて写真集を閉じて、立ち上がった。目の前には、一条さんの美貌があったんやから、僕が少々慌ててもしょうがないやろう。
「それ、君も買ったの?」
お水を運んで、コーヒーのオーダーをとって、写真集を片づけようとしたところで、一条さんがそう聴いてきた。
「も、って、一条さんもですか?」
一条さんは、少しはにかんだように笑って頷いた。
「五代には、内緒にしといてくれるか?」
「ええ、もちろんです!」
「実はね、本屋に平積みにしてあったの、全部買おうかと思ったくらいなんだ」
本気なのか、冗談なのか。僕には測りかねる悪戯っぽい目つきで一条さんは告白してくれた。
「なんでまた、そんなに?」
「だってそれ、五代にそっくりだろう?」
「似てますけど、やからって全部なんて・・・」
いったい何冊積んであったやら。僕の感覚からしたら、それを全部やなんて無駄遣いにもほどがある。
「すぐに諦めたよ。出版されてる以上は、その本屋のを全部買い占めたところで、ほかの本屋でなら手に入るわけだしね」
「それって、つまり全部欲しかったんやなくて、人手に渡るのがイヤやったってことですか?」
「君も見たなら解るだろう? 随分と色っぽい写真もあって、他人には見せたくないって思ったんだよ。いくら本人ではないと解っていても、理屈じゃなく、嫌だと思ってしまって」
その気持ちは解らないでもなかった。僕も、この写真集のなかで引っかかったものがあったから。
「そしたら一条さん、この写真なんかどう思います? ホストやないですか、ホスト!! 五代さんがホストのバイトとかしはったら、どうします?」
どこかの店で撮ったらしいその写真の彼は、派手なシャツに黒いスーツ、金色のネックレスで、濡れたような髪を横分けになでつけて、妖艶な雰囲気を醸し出していた。
「それが五代本人だったら、毎晩買い占めて他の客になんか渡さないよ」
「せやけど一条さん、ホストクラブって女性がいかはるとこやないんですか?」
男性専用のところがあるのかないのか、僕は知らない。けど、普通はお金持ちのマダムが若い男と遊ぶ店のことを言うんやないやろうか?
「俺もよくは知らないが、男性客を拒むような店なら女装してでも通ってやる」
「い・・・一条さん?」
そこまで言います? と、僕が驚いて目を白黒させていると、一条さんはくすくすと笑い出す。
「というくらいの、気持ちはあるって話だ。五代がそんな店で働くはずはないだろう。もしバイトしたいって言っても、俺が駄目だと言えばやめるだろうし」
「えらい自信ですね」
と、正直な感想をもらした僕に、一条さんは肩を竦めてみせた。
「そうでもないよ。今のはね、君に対する宣戦布告だから」
「はぁ?」
「五代のまえで俺に懐いてみせるのは、君が五代の気を引きたいからだろう? 当て馬にされてることに気がついてないとでも思っていたのか?」
「うっ」
あんまり解りやすいラブラブぶりが面白くて、かきまわしたいって気持ちがあったのも事実やけど、一条さんに指摘されてしまえば、それがまったく間違いだと否定することも出来ない。さすがは観察眼の鋭い刑事さんや。実際、僕は五代さんが大好きやし、それやからこそあの一条さんにぞっこんなところをつついてみたくなってしまうのだろう。
「でも、今言ったことは、五代には内緒にしといてくれ。あんまり図に乗せることもないしな」
「はい。僕も、そんなこといちいち報告して、今以上にお二人にラブラブバカップルになってもらいたくありませんから!」
皮肉のつもりで言った僕の言葉に、一条さんはとてもとても幸せそうな笑みを見せてくれた。
とても、幸せそうで、とろけそうな笑顔。非常に整っていて、美しい顔で、これ以上はないってくらいの綺麗な綺麗な笑顔。
負けてるのはこの人のほうなんやないかって、僕はその顔を見ながら思った。
溺れるほどに愛してる。溢れるほどの愛情を惜しみなくそそいで、五代雄介だけを見ている。
一条さんは宣戦布告やなんて言わはったけど、勝敗は見えていて、僕には戦う気力も湧かない。せめて、時々五代さんに揺さぶりをかけて、負けの決まった自分を慰めてみるのが精一杯や。
でも今ここには五代さんがいないから、とりあえず一条さんを冷やかしておこうかな。
「溺愛してますね」
少しは照れるのかと期待したんやけど、一条さんは澄ました顔で頷いた。
「なんとでも」
fin.2000.12.30