慟 哭

 
 大きな台風が首都圏をかすめて過ぎて、明け方に激しい稲光と雷の音に悩まされたその日。
 断定は出来ないが奴らかも知れない、という事件で呼び出され、三日ぶりに会った一条さんは、酷く憔悴したようすだった。
「どうしたんです? もしかしてこれのせいで、上層部ともめたりしてませんよね?」
 これ、と言ったのは、一条さんが自ら運転して渡してくれたBTCSのことだ。警察が、俺が・・・というよりクウガが乗ることを前提に開発してくれた新しいバイク。
「いや、それの件はもう心配いらない」
 事件現場に向かう途中、覆面パトカーと伴走しながら無線で会話、などということをしている。
「だったらいいんですけど。それの件は、ということは、またほかの問題が持ち上がった、ってことですか?」
「問題・・・と言っても、もうすんでしまったことなんだ。俺にどうすることも出来ないし。そんなことより、現場の状況だが――」
 一条さんは、なにかを振り切るように話を変えた。それで、多分こんどの事件とは別件なのだろうと俺も頭を切り換えることにした。
 現場は都内某所のコンビニエンスストアだった。異臭がして、客と店員がそれぞれ一名ずつ倒れたというので、もしかしたら奴らの新しい手口かと思われ、一条さんともども現場に向かうことにした。
 だが、ついてみると、明らかにそれは人間の仕業であることが判明した。
 異臭の原因は高校の理科室から生徒が無断で持ち出した実験用の化学薬品で、先週万引きを咎められたことへの腹いせのために起こされた騒ぎだった。
 俺たちが現場に到着したときには、犯人らしい高校生の一団はこぞって制服の警官に付き添われ、所轄署へ出頭するところだった。
 一条さんは、そんなようすを眉間に皺を寄せて見送った。奴らの仕業でもなく、被害者の命にも別状はなかった。なのに、とてもそのことを喜んでいるようではない。
「奴らじゃなくて、大きな被害もなくて、良かったですよね」
 高校生の度を越した悪戯に、苛立っているようすの一条さんに俺は声をかけた。
「ギャップが激しすぎて、なにをどう考えればいいのか解らないな」
 一条さんは、何故だかぐったり疲れたようすで呟いた。
 どちらにしても、事件が奴らの仕業ではないと判明したばかりだ。少しくらいなら時間はあるだろう。俺はそう判断して、BTCSをしばしくだんのコンビニの駐輪場に置かせてもらい、一条さんの覆面パトカーの助手席に乗り込んだ。
「いったい、なにがあったんです?」
 丁度時間も出来たところだ。今こそ一条さんの憂鬱の原因を聞いておこうと思ったんだ。
「今朝の台風、ひどかっただろう?」
 いきなり天気の話題に面食らいながらも、そうですね、と頷くと、一条さんは大きな溜め息を漏らした。
「あれのせいで、警察関係者も現場までたどり着けない者があって。俺のマンションが近かったせいもあって、早朝から応援を頼まれたんだ」
「応援? なんのです?」
「国営昭和記念公園というところで、警視庁主催の交通安全イベントがあるはずだったんだ。それで、よく知らないが、なんとかいう俳優をゲストに呼んでいた」
「警視庁も、色々あるんですね」
 ほかにコメントのしようもない。滅多にテレビを見ない俺が名前を訊いても、それがどんな俳優かなど解るはずもない。
「ところがあの台風だろう? 野外イベントは危険だからというので、急遽中止になったんだ。かなり早朝からあの雷雨のなかを並んでいたファンがいたらしくてな」
「もしかして、その中止を知らせる役目を一条さんが引き受けたんですか?」
 俺は憤りを隠せずに訊いた。いつも奴らのせいで睡眠時間を削って大変な思いをしているというのに、交通機関が麻痺したせいで、頭数が足りなくなったからといって、その麻痺に関係なく駆けつけられる場所に住んでいるからといって、なにもこんなに忙しい一条さんを呼びつけなくてもいいのに。警視庁は、人遣いが荒すぎる。
 だが、そんな俺の怒りを察したかのように、一条さんが苦笑を漏らす。
「仕方ないんだ。その場で俺が一番若かったし。並んでいた年代と近いということもあって、お鉢がまわってきたんだから」
「一条さん、若くても一番下っ端ってわけじゃなかったんでしょう? 人が良すぎますよ!」
 若干26歳でも警部補だ。その場で一番位が低かったわけはないだろう。なのに、一条さんはそんな役職などとは関係なく年長者を敬う気持ちを持っている。律儀で真面目な一条さんらしい行動だけれど、それにつけこまれているんじゃないかと心配になる。
「長い長い列に向かって、とにかく中止になったことを知らせた。大部分のお客さんたちは、それでも諦めきれないようすで、なかなか立ち去るようすを見せなかった」
「そのひとたちが帰るまで、一条さんずっとつき合ってたんですか?」
「まさか、そこまではしていない。ただ、そのなかの恐らく高校生くらいの女の子が、泣きながら抗議しに来たんだよ。雨天決行だと聴いたから、北海道から来たのにって」
「北海道、ですか」
 関係のない一条さんを責めたことには腹が立つが、さすがにそれは同情に値する事態だと思った。
「今時の高校生はあんまり他人に剥き出しの感情を向けたりしないだろう? どこか醒めてるというか、妙に悟ったようすで斜に構えてるのが多いというか。ほら、さっきの犯人だった子たちだって、なんだか悪びれたようすもなく淡々としていたし」
 それで、北海道から来たという高校生と引き比べ、複雑な思いを抱いていたらしい。
「あたりはばからぬ慟哭だった。なりふり構わずに泣かれて、俺は困ったけど、ちょっと感動した」
「はぁ?」
 一条さんの口から意外な言葉を聞いて、俺は間抜け面をさらしてしまった。
「そんな風に泣いてたのは、その子ひとりだったけど、恐らく帰れないでまだ強い雨のなかその場に居残ったほかのお客さんたちも、同じ気持ちなんだって解った」
「だったら一条さん、よけいに針のむしろだったんじゃないですか?」
 俺には可哀想なその子たちよりも、一条さんが大切だ。
 だけど一条さんは、なんでもないことのように首を振る。
「残念で可哀想な場面だったけど、どこかひねたように見える高校生も、もっとこずるい大人たちも、あの時、あの場所では、みんなが同じ気持ちでいるように見受けられた。どうすることも出来ない自分が辛くて歯がゆかった」
「一条さんのせいじゃないでしょう。ちょっと近いせいでお手伝いしてあげただけのことなのに」
 力をこめて言い過ぎたのだろうか? 一条さんは俺の言葉にくすくすと笑う。
「君も同じだろう? 奴らのせいで被害者が出るのは、君のせいなんかじゃない。それでも、被害者が増えるのを、悔しいと思うんだろう?」
「それは、そうですけど」
 同じ次元の問題なのか?
「話してみるもんだな」
「え?」
「さっきまではただ申し訳ない気持ちで、なんか重たい気分だったんだ。だが、言ってみてはっきりした。悪いことばかりでもなかったよ。ひとを想う気持ちにあれだけ直に触れられて、パワーもらってきたって気がしてきたから」
 辺り憚らず慟哭していたという高校生には申し訳ないけれど、俺は一条さんの言葉にすっかり舞い上がってしまった。
「少しでも一条さんの役に立ったなら嬉しいです。いつでも言ってくださいね」
「そうだな。でも、あんな辛い役目はもうごめんだよ」
 役目より、ああした状況にはもう二度となってくれるなと、一条さんは祈っているのだろう。だけど、それをストレートに言えないところが、どこまでも一条さんだなぁって思う。
「事件の犯人だった高校生も、同じような局面に出くわしたら、あんな風に慟哭したりするんだろうか?」
「多分、そういうこともあるだろうって、思っておきましょうよ」
 そう言った俺の言葉に、一条さんは苦笑混じりに、そうだな、と頷いた。
「それで、一条さんならどんな場面ならなりふり構わず泣いたりすると思いますか?」
 困らせようと思ったわけではない。なんとなく、訊いてみたくなっただけ。
 なのに一条さんは、真面目な顔で考えこんでしまった。このひとが、人前で泣くことなんか、ないんじゃないだろうか?
「俺はおとなになってしまったから、そんな新鮮な感性はもう持ち合わせていないだろうな」
 真剣に考えたすえの答えがこれ。
 俺から言わせてもらえば、そこまで真剣に考えこめるところが充分新鮮なんですけど、ね。
「俺ならきっと、一条さんとのデートの約束が反故になったら、辺り構わず慟哭しちゃいますね」
「バカなことを」
「本気ですよ。そしたら一条さん、ちゃんとあとで慰めてくださいね」
 一条さんは答えずに肩を竦めて車中の時計に目をやった。
「五代、時間だ。そろそろ戻るぞ」
 すっかり刑事の顔で言う。でもその表情は、今朝会ったときよりもずっと晴れやかで、すっきりとしている。
「はーい。それじゃ、また、一緒に帰りましょう」
 俺は車から降りて、メットをかぶりBTCSにまたがった。
 結局無駄足だったけれど、短い間でも一条さんと話が出来てすごく嬉しい。俺は、不謹慎にも悪戯した高校生や今朝の雷雨にちょっとだけ感謝したいような気持ちになって、晴れ渡った青空を仰ぎ見た。
 
 

fin.2000.9.25